ネットはダダ漏れツール
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100306-OYT1T00532.htm
『ネットで医師暴走、医療被害者に暴言・中傷』(「YOMIURI ONLINE」より)
とか。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-efa9.html
「意識がダダ漏れになる恐怖」(「たけくまメモ」より)
ネットっていうのは心の底に思っていることを思わずダダ漏れにしてしまうツールであるとは思います。
「本音を隠し、建前飾る」のは、人の世をまぁ大過なく処するために、「丸く収めて」生きていくためには大切なこととは思っていますが。
だから、ネットという意識ダダ漏れツールというのは、今の世が今の世であり続けたほうがいいと思っている人間には危険だと感じられます。
しかしまた一方、もう腹蔵なく言い合えばいいじゃないか、ということも思います。
本心も下心も何も心に隠すことなく、ぶつけ合うこと。そういう世の中になること。
そういう世になると最初は混乱が生じると思います。
でも、お互い本音をぶつけ合うことによって、ぶつけ合い、ゴタゴタ、トラブルのを乗り越えて、ある種の「平衡点」が得られれば、今よりも世の中は
安定するかもしれません。
かなりの犠牲を伴うかもしれませんがね。
それは「本能」によって生きる、「本能」によって生きれば大過なく生きていける、「動物」の世界を改めて取り戻す試みかもしれませんが…。岸田秀 の理論を援用すれば。
数年前、ある方に久方ぶりに再会して、そのとき、「お互い隠しあうことなく言いたいこと言い合って生きればいいんじゃないか?」と言われて。
ま、それ以来たまにその方のその言葉を取り出して自分なりに考えているのですが。
今のところの結論はこんな感じです。
しかしまぁ、こんなことは気の置けない友人同士の身内話で解消しあうことでしたのに。
みんな友達いなくなってきているのかしら?
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