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2010/02/02

『ラブプラス』考

去年の12月にNINTENDO DSiと『ラブプラス』を買って、毎日遊んでいます。
ヒロイン3人とも攻略して、恋人モードで遊んでいます。
そろそろちょっと感想など。

『ラブプラス』は現実時間とシンクロさせてプレイする「リアルタイムモード」とゲーム内時間がシンクロせずに進む「スキップモード」があるわけだけど。ま、やっぱり「リアルタイムモード」で遊ばないと面白くないかなと思って「リアルタイムモード」遊んでいます。時々どうしても時間が合わなくなって、DSiの内蔵時計をいじるズルはしてますが。

いろいろな扱い方の“コツ”情報として攻略サイトを覗いたりはしますが。でも、ガンガン攻略するというよりカノジョたちとのお付き合いをまったり楽しむソフトですな。そういう意味においては「環境ソフト」という呼び方もできるかもしれません。

まぁ、ほぼ毎週末カノジョたちとデートしてるんですが。しかしもうキスばっか。そろそろ飽きがきました。つうか三次恋愛もそうなのかな?だとすると三次恋愛も退屈だな。
そーゆー三次恋愛幻想ブレーカーかもしれませんね。ラブプラスは。

もちろんラブプラスを遊んでいて、「もうセックスまで行くだろ、三次なら」と思わないではないけど。カノジョが主人公ひとり暮らしのアパートまでやってきてキスまでして。しかも普段もキスしまくっていて、カラダなんかも触りまくってるのに。これでセックスしないなんておかしいです。
セックスまで行けばまた楽しいかもしれないですけど。

そういえば先日、高校生ぐらいのカップルがいちゃついているのを見て、「現実ならああいう感じか」と思っておもいっくそ萎えましたけど。

攻略ヒロインが3人いるわけですが。高嶺愛花、小早川凛子、姉ヶ崎寧々。面白いと感じたのは3人ともちょっと“翳り”の部分があるということ。ちょっと傷ついているというか。

愛花はちょう箱入り娘。小さいころからお稽古事ばっかり。友達とも遊べない。それは本人には自分の希望として認識されてるけど。たぶんそれは「すり替え」の論理じゃないかと思うのですが。両親が望んでいる事を、両親の希望によることを、本人の希望と「すり替え」られているのではと。だからそのことを、それを苦痛に感じることがあっても、「自己責任」として自分では認識されてるから自分で負うしかない。誰かに責任を問うことはできない。だから、自分で自分を追い詰めてしまう。

ま、こういうのはよくある話ではないかと自分の経験から感じますけど。

そして、部活仲間と学校帰りハンバーガーショップに立ち寄ることさえその厳しい躾によってできなくなってる。だから、同級生、部活仲間たちの間でも浮いてる。

凛子は小さいころ両親が離婚、そして今度再婚して新しい家族ができる。彼女はそれが受け入れがたく、心を閉ざし。そのため、同級生ともうまくいかなくなってる。

寧々は他のふたりほどはトラウマキャラじゃないけど、私がプレイして見聞した範囲では。でも、主人公が自分より年下という事で、主人公と恋愛関係に入るのに躊躇している。戸惑っている。

主人公はその3人の誰かをある意味“救う”存在でもあって。そういう構造が面白く感じました。
『ラブプラス』を遊ぶプレーヤーは、たぶんほとんどの人が“恋愛弱者”なんでしょうけど。
そういう人たちが好む“物語”はこういう形になるのかな。逆「白馬の騎士」幻想というか。

例えば滝本竜彦の小説、『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』『NHKにようこそ』とか私は好みますが、そのシノプシスは「虚しさに囚われている少年が傷ついた少女に出会う。彼は彼女のために戦い、そのことでちょっとだけ自分の人生の意味を見い出す」というパターンなんだけど。

「もてない男」ってのはそういうパターンが好きなのかなぁ。少なくとも私は好きだけど。
いや、ま…。

たぶん、もうすぐ『ラブプラス』も遊び飽きるでしょう。でも、このようなゲームがもっと進化してくれることを望みます。究極としては愛玩用アンドロイドとかそんなの。

早く三次元に未練なく(ま、お金を稼ぐのには少しは必要ですが)、二次元に旅立てるソリューションができて欲しいいものであります。

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