映画『NAGASHI~その名はマレンコフ~』
昨日は新宿ゴールデン街劇場でドキュメンタリー映画『NAGASHI~その名はマレンコフ~』を見てきました。
昨秋亡くなられた新宿の伝説の流し、マレンコフさんをテーマにしたドキュメンタリーです。
1時間半くらいの作品です。
“流し”ってのはギターやアコーディオンを携えて呑み屋を回り、酔客の歌の伴奏をする人のこと。今はカラオケに押されてもうほとんど滅びてしまった職業なんですが。
“流し”という職業が発生したのはいつごろなんでしょうか。もちろんかつては瞽女とか放浪しながら音楽を演奏してお金を頂くという職業があったわけですが。琵琶法師とか吟遊詩人的なものもありますね。
呑み屋街とか呑み屋が密集している場所が生まれて、そこからそういうストリートミュージシャン的な職業の人たちがそういう呑み屋を回って酔客の歌の伴奏をする、っていうかたちが生まれたのかしら?
私はゴールデン街に行きます。といっても呑み屋をハシゴするということはなく、ほとんど日本冒険小説協会公認酒場・深夜+1しか行かないのだけど。深夜+1は流しを入れる酒場ではないので、流しで歌ったという経験はありません。
マレンコフさんとの接点は、もうだいぶ前ですが、日本冒険小説協会の屋形船宴会にマレンコフさんがいらしたことぐらい。そのときのマレンコフさんはアコーディオンでした。どうも手を悪くしてギターからアコーディオンに持ち替えていた時期だそうです。
先日、日本冒険小説協会の古参でもある映像作家のかわなかのぶひろ先生の主催する映像作品上映イベント「映像の地下水脈」で、かわなか先生の『新宿伝説2 マレンコフがいたのだ』を拝見しています。本作でマレンコフさんをモチーフにした映像作品は2本目になります。
ゴールデン街は久しぶり。
昔は深夜+1に週一で通っていたものですが、最近はすっかり足が遠のいています。
ゴールデン街的な雰囲気は好きなんですが。ゴールデン街ハシゴとかもいつかやってみたいとは思っていたのですが。
ま、収入も減っていて、なかなかそれもできない昨今であります。
本作の監督さんは大上典保さん。
上映前のご挨拶によると、マレンコフさんとの出会いはもう二十年以上前になるそうです。それからマレンコフさんの伴奏で歌ってきていて。
で、十年ほど前からマレンコフさんのドキュメンタリーを撮りたいと口説き始めていて。やっとマレンコフさんの許可が出て撮り始めたのが去年の春。その年の9月にマレンコフさんが亡くなられたのですが。
本作はそのマレンコフさんの映像、マレンコフさんのご家族の映像、かつての新宿の街の映像、ゴールデン街の酒場の人たちが語るインタビュー、などから構成されていました。
マレンコフさんは撮影時の3年前、奥さんを亡くされていたそうです。それからマレンコフさんは日々の思いを綴ったノートをつけ始めていたそうです。そのノートに書かれたたくさんのマレンコフさんの想い。いつも話を聞いてくれていた奥さんを亡くして、ノートをつけ始める。そのお気持ち、何となく解りました。私だって話を聞いてくれる相手がいないから、こうやって文章を綴っているのかも知れず。
酒場の人たちが語るマレンコフさんの思い出。
そして、“新宿”という街。その思い出を語るマレンコフさん。
そして、本作で初めて知るマレンコフさんの私生活。
昔、家ではマレンコフさんは荒れていたそうです。DVであったとか。そしてそういう父親と息子さんとの確執。息子さんは結局家を出たそうですが。後悔。償い。救い。
ラストシーンで私も深く感動しました。
つうか私も父親と“和解”しないといけないのですが…。
私の父はDVではありませんが。むしろ甘い親だったと思います。
ただ私もいろいろあって、結局東京に出てきましたし。
難しいです…。
マレンコフさんの芸能活動40周年と45周年記念のつどいの映像もありました。
こちらはかわなか先生の『マレンコフがいたのだ』でも拝見しましたが。
しかし、マレンコフさんの伴奏で歌いたかったな。
ほんと、後悔はいつも取り返しがつかなくなってから。
マレンコフさんはカラオケなんて目じゃなかったってある酒場の方が仰っていたのが印象に残ってます。
そう、マレンコフさんは“人”であり。“キカイ”なんて太刀打ちできないですな。もちろん酔客の調子っぱずれの歌にも合わせられますが。いや、それだけでなく。“人”であるということ。開店したばかりのまだお客さんのついていない酒場にお客さんを連れてきていたというエピソードもあったそうです。
そういう“街”の人だったのだろうなと思います。マレンコフさんは。
今は“店”の人はいても。“街”の人はなかなかいないと思います。
“街”という“場”を形づくれる人は。
かわなかのぶひろ先生のマレンコフさんの思い出。
そして、三上寛さんのマレンコフさんの思い出。
三上寛さんが中津川フォークジャンボリーに行ったのはマレンコフさんに連れられてだったそうです。お話を伺ったこともありますし。三上寛さんの『怨歌(フォーク)に生きる』(彩流社:刊)にもあったエピソードですが。
三上寛さんが働いていたゴールデン街の酒場、唯尼庵(ゆにあん)の方がそのエピソードを話されていたのが興味深かったです。
ほんとうに流しという職業が滅びつつあるというのは仕方ない事かもしれませんが。
しかし、“流し”という生き方も魅力的でありますよ。
その滅び行く“流し”の記録としても本作はとても良かったです。
映画を見終わってから、久しぶりに深夜+1へ。会報の原稿を届けてちょっと呑みました。
やっぱりゴールデン街はいいものです。
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コメント
かわなかのぶひろ先生の「マレンコフがいたのだ」の方の感想はこちらです。
http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2009/11/15-f70a.html
投稿: BUFF | 2010/01/20 18:56