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2009/12/07

『マイマイ新子と千年の魔法』

日曜日は新宿ピカデリーで劇場アニメ『マイマイ新子と千年の魔法』を観てきました。
マイミクさん大おススメの一本、ということで。

ほんとは土曜日観に行くつもりだったんですが。

しかし、観に行くつもりの回を改めてチェックするともうやってません。入りが悪いみたい。
しかし何で遅い回から上映をやめるんだろう。サラリーマンが平日観に行ける7時前後の回も早々に上映がなくなってて、観に行くなら土日(私の勤務先は土曜日出社があるので最悪日曜)しかありません。

という訳で、日曜日観に行くしかなくなって。しかし、日曜日は何もないはずだったから、「ラブプラス」の凛子ちゃんとのデートを入れてしまっていて。しかたないのでDSの内蔵時計をいじって早めにデートは済ましちゃいました。リアルタイム性が売りの「ラブプラス」なので、そういうことはあまりしたくなかったんですが。

そういう事をグダグダやってたので、到着は上映時間ギリギリ。でもまぁ大丈夫だろうと思ったら、切符売り場は長蛇の列。オンライン予約しとくんだったです。
入場は予告編の最中、本編上映には何とか間に合いました。

『マイマイ新子と千年の魔法』。時代的には昭和三十年代初頭。舞台は山口県防府市、かつては周防の国の国府があったところ。清少納言も幼少期、父親の赴任に伴って防府で暮らしていたそうです。
新子はおはなしの始まりのころは小学校三年生。額の真ん中にマイマイ(つむじ)があって、だからマイマイ新子。そのせいでいつも前髪がハネてます。
ちなみにあたしも新子と同じところあたりにつむじがあります。しかも左巻き。昔は新子みたいにいつも前髪がはねていました。でもさすがにトシのせいか生え際が少々薄くなっていて、つむじも目立たなくなりましたが。

ある日、東京から貴伊子という女の子が転校してきます。町の工場に赴任してきた医者の娘。母親は亡くなっていて、父ひとり娘ひとりみたい。
転校したばかり、クラスでも浮いていて、ひとりぼっちの貴伊子。しかし新子のおかげでみんなと溶け込め、友達もできて。
しかし、ある事件が起きて…。というおはなしでした。

うん、面白かったです。派手さはなかったけど、そのぶんずしりと“届く”気がしました。

(以下、半可通がエラそうにちょっとネタバレしつつ雑感を書いていきますので)

「小学生くらいの子供に一番大切なものは?」と訊かれたら、私は「好奇心と想像力、それと少しばかりの優しさ」だと答えます。それがあれば子供は自分で伸びていくと思います。伸びていく“芽”だと思います。そのくらいの年頃なら成績とかは二の次と思うのです。

新子は先生だったおじいちゃんから、それを学んでいます。そして、千年前の周防の国の防府という都、その風景を生き生きと空想します。
そして、その好奇心と優しさから、貴伊子ともいっとう最初に仲良くなります。

そして、千年前の少女・諾子(なぎこ)を空想し、その子とさえ“繋がり”ます。
(ちなみに諾子は清少納言の幼名とか)

吉岡忍の宮崎勤事件、酒鬼薔薇事件を扱ったルポルタージュ、「M/世界の、憂鬱な先端」(文春文庫)をまた引きますが。
現代人の閉塞状況、それはこの“消費社会”のために地縁血縁から切り離され、つまり“繋がり”を喪い、「いま、ここ」に薄くスライスされた状態の現代人の病理から起きていると思います。

しかし、新子は「いま、ここ」に薄くスライスされた存在ではなく、豊穣な「繋がる力」を持っています。例え千年前の少女といえど繋がる事のできる。

世界が私を、神のような大きな力で支えていること。
私が世界を、絆のような小さな力で支えていること。
(吉岡忍『M/世界の、憂鬱な戦端』文春文庫版567p)

という“こころ”を持っている少女かと。

しかし、新子たちはまた、団塊世代でもあります。その「繋がる力」を捨て、「いま、ここ」で薄くスライスされた世界を生きることを選んだ第一世代かと。

そして我々は豊かさへの切符を手にし。しかし、心の底には抑圧された、喪ったものへの“痛み”を抱えていて。
切符を手に“豊かさ”へ向かっている時はそれでも良かったと。今日より明日、我々はずっと豊かになっていく、その夢に浸っていられる間は痛みも忘れられていて。
しかし、その夢がついえた今、忘れられていたその痛みに苦しんでいる、と。

『新世紀エヴァンゲリオン』でシンジは綾波になぜエヴァに乗っているのかと尋ねます。
綾波はぽつりと答えます。「絆だから」と。私があの台詞に頭をバットで殴られたような衝撃を感じたのは、その“絆”を捨て去ってきたことに気がついたからでしょう。

しかし、私はそれを取り戻す気はあまりありません。取り戻す気になってもどれだけ取り戻せるか。故郷を離れてもう二十数年になりますし。故郷は嫌な思い出にも満ちていて。

父親がどうも苦手なのかな?父親にベーゴマの削り方を教わるのを拒んだ少年。父親を誇りに思いながら。それが絆のほぐれ始めというのは残酷すぎるのでしょうが。でも、彼のスタンス、私の小さいころにちょっと似ているので。私はふと気がつくと父親と何ヶ月も会話してないことに気がついたりしてました。どこか父親を遠ざけていたのでしょう。父親をちょっと誇りに思いつつもね。

当時の風景とわけ隔てなく、現れる、表現される、千年前の風景。
そういう手法もいいなぁと。

新子はイマジナリー・コンパニオン(空想上の遊び友だち)を持っています。千年前の少女もそうですし、現代でも持ってます。アニメーション上で空想の風景として実景に描かれます。

あらかじめ言っておけば、イマジナリー・コンパニオンはあらゆる人間の中に住みついている。頭や心に思い描く友だち。空想上のプレイメイツ。勝手に動きまわり、時には妖しく、危ないことをそののかし、また別のときには慰めたり、励ましてもくれる自由自在、変幻自在の不思議な存在。
(中略)
宮崎勤にとっての祖父や鷹にいは現実化したイマジナリー・コンパニオンのようなものだった。(中略)ところが鷹にいが消え、祖父が死ぬと、彼の中で空想と現実がねじれてしまう。
(中略)
(-BUFF注-酒鬼薔薇事件の)A少年のなかには凶暴なガルボスがいて、グロテスクなエグリちゃんがいて、冷血な酒鬼薔薇聖斗がいて、守護神のバモイドオキ神がいた。そして、彼自身はひそかに争う意思を持ち、生命に価値などないという独善的なエクソファトシズムを信奉している。
(吉岡忍『M/世界の、憂鬱な戦端』文春文庫版563-565p)

“絆”から切り離され、遊離し、狂気をまとってしまったイマジナリー・コンパニオン。
それがあの時代から始まり、この時代に表層化してしまった変化かと。

ある事件がきっかけとなり、ある場所に殴り込みをかける少年と新子。私もモヒカンのデニーロになって助太刀したいと思いましたが…。しかし、あのような展開。一筋縄でいかないなぁ。
そういえばあのエピソードも生々しいなぁ。つうか、好きだった女の子が実は不倫してましたってのが3回ばかりあったあたくし。

工場町。工場と共にできた新しい街。貴伊子についていって初めてその町に入る新子。
新しい時代の象徴なのかな。そういえば桜庭一樹の「赤朽葉家の伝説」もそういう旧来の町と新しい工場町を描いた作品でしたな。(読み止しで置いてあるけど)古来からの製鉄の町にできた製鉄所?

まぁほんと、東京から田舎町に引っ越してきた子と仲良くなれたけど、また引越しでさようなら、くらいのお話を想像していたのですが、まったく裏切られました。
子供向きにはちょいと重めのおはなしかなぁ。でもこのくらい重いのでもいいと思いますが。

音楽もちょっと普通とは変わったセンスな感じがしてよかったです。

本作はあまり入りが良くないそうですが…。
しかしアニメ史のエポックメイキングな作品。『宇宙戦艦ヤマト』も『機動戦士ガンダム』も最初は打ち切り作でしたし。劇場作なら『ルパン三世 カリオストロの城』も不入りでしたし。
ちなみに封切り時不入りでのちにエポックメイキングな作品とされて評判になった『カリオストロの城』と『ブレードランナー』を封切りで観てるのがあたしの自慢だったりします。
本作はジワジワと評判が出てくる作品だと思います。ほんと、見た目の派手さがないからちょっと損をしていると思います。そして、封切りで本作を観てる私はまた自慢の種ができる、と。

そしてまた私も『マイマイ新子と千年の魔法』を胸を張っておススメする者でありますよ。

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