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2009/12/22

『カラシニコフ自伝』

091222 『カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男』(エレナ・ジョリー:聞き書き 山本知子:訳 朝日新書)
読了。
AK-47シリーズの開発者、ミハイル・チモフェエヴィチ・カラシニコフ氏の来し方についてのお話を、著者が聞き書きして自伝の形で纏めたものであります。
ちなみに書影写真の下にあるのは床井雅美さんの「AK-47&カラシニコフ・バリエーション」(これも大おススメ)、で、さらに下にチラッと写っているのは東京マルイ製のAK-47の電動エアガンです。
(まぁこういう奴がこの文章を書いているとご理解頂ければ幸いであります)

AK-47シリーズ、旧ソ連圏の代表的な銃。旧共産圏でAKシリーズ以外を軍制式小銃にしてるとこはほとんどないんじゃないかしら?チェコは銃に関してプライドがあるのか独自設計のVz58を制式にしたけれど。
そしてAKシリーズはさらに”共産主義”ゲリラへの支援物資としてアンダーワールドにも流入し。ここらへんは以前読んだ朝日新聞社から出ている松本仁一著の「カラシニコフ」「カラシニコフⅡ」に詳しくありました。

AK-47。「突撃銃」。

第2次世界大戦当時、歩兵用小銃は1000メートル程度の射程を持っていました。そして「ボルトアクション」という、一発づつボルトを手で操作して弾をこめる方式が主流でした。
しかし、ドイツ軍の調査によると歩兵の銃撃戦は400メートル以内で行われているということが判明して。
じゃあ歩兵用小銃の弾は火薬を減らしてその程度の有効射程にしよう。そのかわり、強度などの関係で歩兵用小銃のサイズに組み込むことが難しかった「セミ・オートマチック」(銃を発射すると自動的に次の弾が装填される。つまり引き金を引き続けるだけで連射できる)、「フル・オートマチック」(引き金を引いている間機関銃のように弾が連続して発射される)機構を組み込もう。そういう流れになりました。

そうしてドイツで誕生したのが「突撃銃」と呼ばれる新しいジャンルの銃でした。
突撃銃は戦線の兵士達からは熱狂的な支持を受けたのだけど、ヒトラーの理解のなさもあってドイツ軍内には充分に普及しませんでした。
しかし第2次世界大戦後、歩兵用の小銃はこの「突撃銃」のコンセプトで行こうという流れになって。
で、いち早くソ連で開発されたのがAK-47シリーズでした。

対して西側はまず弾丸の開発から失敗します。弾の威力を落とすことを怖れた米軍は、中途半端に火薬の量を減らした7.62X51(最初の7.62という数字は口径で、あとの51という数字は薬莢長です。つまり7.62ミリの口径で薬莢長が51ミリという意味)という弾丸を採用してしまいます。さらにその弾をNATO共通規格にしてしまいます。このため7.62X51世代の西側の歩兵用小銃は反動が大きすぎ、フルオートでのとり回しが困難な物になってしまいました。そのため英軍が採用したFAL(英軍の制式名称はL1A1)のようにセミオートのみにしてしまったものもあります。西側の7.62X51世代の銃でまともにフルオートが使えるのは西ドイツ軍が採用したG3くらいじゃなかったかしら。G3のメーカー・H&K社独自のローラーロッキング機構が反動の低減に役立ったそうです。

さらに米軍は銃のデザインも失敗しました。フルオート時の反動を押さえ込むためにデザインを変更すべきだったのに、大戦型の歩兵用小銃のデザインを引き継いだM14という小銃を採用してしまいます。このためM14はフルオートではまったく使い物にならない小銃になってしまいました。

そのおかげでAK-47の優位性は揺るぎのないものになってしまい。

この状態は米軍が反動の少ない5.56x45弾を使い、デザインも一新したM16をベトナム戦争当時に採用するまで続きます。M16はM16で初期には動作不良問題を起こしたのですが。開発時に使うことになっていた火薬を軍が勝手に変更したせいとメンテナンスフリーと兵士が勘違いしたせいで。

…いや、閑話休題。

ま、そのAK-47シリーズの開発者・カラシニコフ氏の自伝が読めるなんて驚きです。
もちろん冷戦当時は鉄のカーテンの向こう側の人でしたし。
先に挙げた『カラシニコフ』にカラシニコフ氏のインタビューが載っていただけで驚きましたが、さらに自伝という事でまたまた驚きです。
大昔読んだ「GUN」誌でM16シリーズの開発者、ユージン・ストーナーとカラシニコフの2ショット写真が載っていたのにも腰を抜かしましたが。
ほんと、冷戦時代は遠くになりにけり、ですな。

本書の構成は以下の通り

はじめに-恐怖と栄光の日々
弟一章 隠された悲劇
追放農民
脱走-さらばシベリア……
第二章 一介の歩兵から銃器設計者へ
最後から二人目
病院こそわが大学
「カラシニコフ軍曹を助けよ」
第三章 AKの誕生
「ミヒチム」プロジェクト
「二〇二五年まで、そしてそれから先も……」
第四章 唯一の銃器
銃の規格統一を目指して
さらなる一歩
第五章 ソ連・ロシアの指導者たち
最高会議代議員としての日々
クレムリンの内部
第六章 祖国と外国
イジェフスク
さまざまな出会い
第七章 雑記

1919年、農民の子として生まれたカラシニコフ。そのため奇しくも本書はスターリン圧政下の農民の暮らしの記録、第2次世界大戦に従軍した兵士の記録、東側の代名詞となった銃を開発した技術者の記録、政治家としての記録、そしてそういう経験を経てきた祖国を愛する老人の思いの記録、になってます。
ちなみにスターリン支配下のソ連については去年読んだスターリン体制下のソ連を舞台にした冒険小説、トム・ロブ・スミスの『チャイルド44』ともかぶって面白く読めました。

カラシニコフは18人兄弟だったそうです。しかし生き延びることのできたのは8人だけ。その過酷な半生。カラシニコフは今年90歳になっても現役でいらっしゃるようですが。そういう状況を生き延びてきたタフさのせいでしょうか。(ちなみに先に挙げた『カラシニコフ』では兄弟数の記述はちょっと違います)

大家族のため、家畜とかも多くて。そのためスターリン体制下のソ連でカラシニコフ一家は「富農」の烙印を押され、シベリアに追放されてしまいます。過酷な暮らし。父親は私と同い年くらいにその過酷な暮らしが元で亡くなったそうです。

そして、カラシニコフはシベリアからの脱走を企てます。しかも2回も。徒歩でタイガやステップ地帯を横断して。
最初の脱走は行き詰ってしまい、自発的にシベリアに戻ってしまいます。
そして2度目の脱走。カラシニコフはその生来の器用さで自分でスタンプを偽造した書類を作り、それを携えて脱走します。

シベリアから無事脱出できたカラシニコフ。そして軍隊に入り、技術者としての頭角を現し始めます。
戦車用の機材とか開発したようですが、しかし独ソ戦が始まり、カラシニコフも戦車兵として戦います。

負傷したカラシニコフ。後送される途中、彼の乗った救急車はドイツ兵に襲われ、近くの村に偵察に出かけた彼ほか数名以外は全員ドイツ兵のサブマシンガンで射殺されてしまいます。このときカラシニコフは自動銃に対する強烈な印象を持ったようです。
入院した病院で銃の研究に励み、自分で考案した銃のスケッチをするカラシニコフ。
退院後、鉄道機関区の設備と人員を借りて銃器の開発にいそしむカラシニコフ。
そして念願の銃器開発者としての道を歩み始めたカラシニコフ。

話の中にちらと第1次世界大戦後に突撃銃的なものを開発したソ連の技術者の話が出てきましたが。あれは日本軍の三八式歩兵銃6.5ミリ弾の弾丸を使う奴じゃないかしら?大昔読んだガン&ミリタリーマニア向けの本に出てきたと記憶していますが。三八式歩兵銃用の6.5ミリ弾は比較的弱装弾で、突撃銃的なものを作るのに適していました。(後に日本軍も当時の通常の威力を持つ.7.7ミリ弾を使う九九式小銃を採用するのですが)

そしていよいよAK-47開発秘話。複数の開発者による競争試作方式だったそうですが。
そのデザインセンス。

軍用小銃にとって一番大切なことは何か?となるとそれは「いついかなる時にでも弾が出る」ことだそうです。兵士にとって銃が撃てなくなることはいちばん困ったこと。精度なんてのは二の次三の次とか。

この問題にカラシニコフは部品同士の隙間を多くとり、埃や砂が入っても銃の作動に影響がないというソリューションを編み出しました。

このデザインセンス。それはカラシニコフの生い立ちならではのアイディアのように思いました。シベリア送りになった農家の息子。兵卒上がりなれどメカへの思い強く、銃器の設計者に上り詰めたこと。高等教育を受けられず、独学でその技術を学んだこと。シベリアから脱走する反骨精神と、祖国が侵略されるとそれに対して戦う愛国心と。その雑草のような逞しさと経験からのアイディアではないかと。

彼が良家の出自で、貧窮とは無縁に育ち、高等教育を簡単に受けられるような人生だったら、そういうアイディアは出なかったような気がします。それこそ他の試作銃にあったように、部品精度を高め、隙間をなくし、埃なんかが入らないような設計にしたと思います。しかしそのような設計はいったん埃とかが入ると脆いものになるでしょう。

AK-47の生産が始まってからの改良話も面白かったです。
手元にある床井雅美さんの「AK-47&カラシニコフ・バリエーション」によると、AK-47はⅠ~Ⅲ型の3タイプに分けられるそうです。Ⅰ型は機関部がスチールブロックとプレス加工の部品をリベット接合したもの。このリベット接合が緩んでガタが生じるために、機関部をスチール削りだしにしたのがⅡ型。Ⅱ型を元にさらに省力化したものがⅢ型だそうです。Ⅲ型がAK-47ではいちばん生産数が多いとか。

さらに再び機関部をプレス加工にしたのがAKMシリーズ。それをベースに使用弾を小口径化された5.45X39にしたのがAK-74シリーズ。

小口径高速弾化したAK-74シリーズにおいて、銃身内の水分が動作不良の原因になるというエピソードは興味深かったです。同じく小口径高速弾を使うM16も銃身内に水分があると銃身が変形するという問題が開発中にあったそうですし。小口径高速弾を使う銃器共通の問題かもしれない。

カラシニコフの代議士時代のエピソード。スターリンに関する思い。家族がシベリアに送られる原因となったのはスターリンの圧制なのですが。しかし、カラシニコフ自身はスターリンには恨みは感じていないとか。スターリン死去の時には国民は涙を流したとか。

現代でも独裁者の圧政に苦しんでいる人々はたくさんいると思いますが。しかし、圧政下の人民は独裁者を敬愛している。そこらへんの機微というのも不思議で面白いと感じました。

そして、現代のロシアに対するカラシニコフの忸怩たる思い。私利私欲に駆られた連中が跋扈し、大多数の国民が貧しく、治安も悪化している現代ロシア。これはまた現代日本にも共通の問題かと。日本のほうがだいぶマシだと思いますが。

本書は銃の開発者の記録としてだけでなく、ロシア現代史の怒涛の時代を生きてきたひとりの頑固老人の記録としても読めます。
大おススメ本であります。

そしてカラシニコフ氏がご健康でもっと長生きされることを末筆ながらお祈りしております。

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コメント

BUFFさん

この本面白そうですね。藤沢の図書館にもあるようなので予約しました。オウムがAK-47を自作しようと工作機械を購入して工場を作っていたのが思い出されます。

銃のカスタムメイド屋さんって存在するのでしょうか?自分の考えた銃を製作してくれるような。日本には存在しないでしょうが米国なんかには絶対にありそうな感じです。

投稿: よっちゃん | 2009/12/23 08:02

◎よっちゃんさん
ガンマニア向けの雑誌では、既成銃のカスタム職人さんの記事は時々載っていましたが。
オリジナル銃を作るところもあるでしょうね。新進気鋭の銃デザイナーの記事とかもありましたし。

オウムは設計図とかは持ってても銃製作の経験のある職人さんとかいなくて、まともに動く銃を作れなかったそうですが。
そういう頭でっかちの童貞的なところがオウムという連中の特性だったかと思います。

投稿: BUFF | 2009/12/24 01:05

BUFFさん

ネットで調べてみるとやはり米国にありました。カスタムと言っても銃床やスコープのマウントなどで銃身や本体の製作ではありませんが。

私は機械系なので銃のメカニズムやその製作工程には興味があります。CADで設計してみたいと思ってネットで参考になる設計図を探したのですが、さすがに有りませんでした。この辺は動機は違いますがオウムの連中と同じです。てへっ!

銃のカスタム職人のサイトには仕事した銃の写真がありましたが一緒にその銃で撃った象とか大ジカの写真がありました。それを見て、ワッ勘弁してくれって感じです。

投稿: よっちゃん | 2009/12/24 06:42

◎よっちゃんさん
私も昔「自分が考えた新型銃」なんて落書きをしていた時期がありました。
CAD設計でどの程度シミュレートできるものなんでしょうかしら。
そうやっていろいろ考えて遊ぶのも面白いものかと思います。

まぁ、狩猟民族でしょうからそういう獲物自慢もあるものなのでしょうか。
サファリガイド用の銃ってのは凄い威力のがあるそうですが。お客さんが撃ち漏らしてこっちに向かってくる猛獣を一発で仕留めなきゃ我が身が危ないからだそうですが。もちろん肩を痛めるくらい反動がきついそうです。

ちなみに大藪春彦はサファリハンティングとかもお好きだったようです。
(大藪はほとんど読んでいないんですがね)

投稿: BUFF | 2009/12/24 17:55

BUFFさん

大藪春彦の話(実際の)がここにあります。
銃器コラムの下の方「コヒーブレイク」の5番目です。

http://www.fareast-gun.co.jp/goroku/

彼のハンティングは週刊誌の企画でやったような感じですね。彼の小説とは違うようです。

大藪さんの小説は読んでも頭に残りません。オナニーと似たような小説だと言うと怒られる
かも知れませんが、そんな感じです。

投稿: よっちゃん | 2009/12/24 20:44

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