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2009/11/06

三角みづ紀『骨、家へかえる』

091106 『骨、家へかえる』(三角みづ紀:著 講談社:刊)
読了。
だいぶ前に買ってあったのですが、最近やっと読了しました。
新進気鋭の女性詩人、三角みづ紀さんの処女小説集です。
本書は講談社のBirthシリーズの1冊です。
Birthシリーズは若い才能たちのシリーズのようです。

表紙イラストが印象的ですね。硬虎さんとおっしゃる方のようですが。

三角みづ紀さんはちょっと不思議なご縁のある方で、映像作品とかライブとか拝見しています。書籍は一般出版社で刊行された詩集、『オウバアキル』『カナシヤル』『錯覚しなければ』と自伝エッセイ『幸せのカタチ』を読んでいます。ちょっとファン、くらいな方です。

本書には小説が2篇、『骨、家へかえる』と『美代子の満開の下』が収められています。
物語がずんずんと進むような感じじゃなくて、登場人物たちの心のひだが丁寧に描かれるというタッチの小説です。

ま、私の読み解きは三角みづ紀さんの意図、あるいは一般的な読解とずれているかもしれませんが、ま、世間と外れてるあたしだし、とりあえず私はこう読んだということで提示してみます。

(以下、ネタバレゾーンにつき)

『骨、家へかえる』。登場人物たちの交錯するストーリー。

智子。陽平の母。郵便局勤め。亭主と息子のいた家を出て滝也と暮らしている。
陽平。智子の息子。高校生だけど、中学生のころ詩子とつきあっていた事がある。姿を消した詩子(陽平は“ほたる”と呼んでいたけど)に陽平は未練があって、彼女の記憶が薄れていくのを怖れている。
詩子。元・書店員。書店員時代、同僚の滝也にされたある事がきっかけで心を病み、今は無職。陽平とつきあっていたけれど、心を病んだことをきっかけに陽平の前から姿を消した。
滝也。書店員。智子と暮らしている。ただ共に暮らしていてもセックスは無い。詩子が心を病み、書店員を辞めるきっかけを作った。詩子を詩子と名づけたのは滝也。

その、登場人物たちの心を描く物語。
たぶん、「かえる」場所を巡る物語。

「かえる場所」。「約束の地」といった場所になるかしら。
<骨壷に収まるのではなく、肉体をつきやぶって、骨、家にかえり、かえる家を探さなければ、私は風化してしまう。>(85p)

私も最近、ひとりでいる時、「おうちにかえりたいな」とつぶやいてしまうことがあります。アパートの自室にいても。“おうち”はアパートの自室とかそういうものじゃない、実家でもたぶんない、「自分のほんとうの居場所」といったもの。そこが私のかえる場所。でも、それはまだ見つかってないし、見つかってないからかえることもできない。
たぶん、登場人物たちの想いも、そういうものではないかと思いました。

そしてよく出てくる「ただしい」という言葉。「わたしたちはいきているだけでただしいのよ」。自分が”ただしい”存在で、だから、自分の居場所、“かえる”場所がある。そういうことかなぁ。
“現世”の居心地の悪さ、「かえる」場所が持てないということ。それは自分が「ただしくない」からというコンプレックス。自罰的な喪失感。

滝也は自分が死刑になることを願っています。
<自殺では足りない。きちんと罪を与えられ、公けに処刑されたい。ただしい順序をふまえて一瞬のうちにこの世界から消えたいと願う。>(60p)
滝也は「かえる場所」を探すのにも絶望しているのでしょうか。だから、この世界から消えることを願っている。しかしそれは自殺ではダメ。自分が「ただしくない」存在だと罪を与えられ、それを思い知らされてから、「ただしく」消去される事を願っている。

滝也のその想いがいちばん端的なような感じがします。

「“かえる”場所」「“ただしい”という事」、ここらへんをつくねると「ここにいても、よいりゆう」となるのではと思うんですが。これは『新世紀エヴァンゲリオン』第弐拾五話「終わる世界」の冒頭のテロップ台詞なんですが。

ほんと、エヴァにまた話を飛ばしますが。やっぱりエヴァを見て胸がチクチク傷み、惹きこまれるのは、本作に引き込まれるのと同じ根っ子があるような気がします。「ただしい」事がわからず、「かえる」場所のないシンジ君。レゾンデートルが手に入らない苦痛。

じゃあ「ただしくない」者はなぜ「かえる」場所を持てないのか、あるいは持つ資格がないのか、という疑問もあるのだけれど。あたしの理解のしかただと。

「ただしい」ことへのこだわり。う~ん、いつも私は自分が「場違い」な、つまり「ただしくない」人間と感じてしまうことがあります。ここにいてはいけない人間じゃないかと。そういう心の底に染み付いた疎外感、そういうのを作者も抱え込んでしまっているのかもしれない。だからこそ「わたしたちはいきているだけでただしいのよ」という言葉を繰り返し、呪詛のように唱えるのかもしれない。ヲマヂナイのように。

『美代子の満開の下』。こちらは母親と娘・美代子の物語。父親はいないのですが、母親は美代子にふさわしい父親を探していて。「ただしい」父親と共に築く自分の居場所「かえる場所」という事かしら?しかしやって来たのは違和感を感じさせる少年で、しかし美代子は彼になついて、というおはなし。
私自身も“家族”というものを持てずにきましたから、なんかいたがゆくおはなしが迫ってきます。

ま、ほんと、感想というより本作から得られた私の思いに対する説明といった感じですが。
本作の読解として「ただしい」かどうかは解りません。

あと、『骨、家へかえる』で流鏑馬がモチーフに使われたのが私の個人的事情で嬉しかったです。

みづ紀さんのライブ、こことこ行けてないなぁ。
行かないとなぁ…。

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