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2009/11/20

『未來のイヴ』な人たち

http://www.gizmodo.jp/2009/11/post_6396.html
『寧々さんと結婚報告した人から手紙が届きました。おめで......え? 寧々さんと?』
(「ギズモード・ジャパン」より)

Nintendo DSに『ラブプラス』というゲームがあるそうです。ゲーム内で女の子と付き合うという恋愛シミュレーションゲームだそうですが。そのゲーム内の姉ヶ崎寧々という女の子と実際にグアムで結婚式を挙げた方がいるとか。
(私はDS持ってないんですが、『ラブプラス』はちょっと欲しいなと思ってるゲームですけど)

いや、いい時代になったものだな、と。

人外との恋愛や結婚、つまり「異類婚姻譚」はまぁ創世神話から雪女伝説みたいな怪談まで昔らか人類が持っていた物語のパターンなんでしょうが。そして、人外との恋愛は最近の“物語”-小説とか漫画とかアニメとかゲームとか-でもよくあるおはなしですけど。とうとう“物語”じゃなくてほんとに結婚しちゃう人がいるとは。

近代の“物語”で人造人間との恋愛を描いたのはヴィドエ・リラダンの『未來のイヴ』を読んだことがあります。
三次女に絶望した青年貴族エワルドにエジソンが人造人間ハダリーを勧めるというおはなしでした。

ただ、本書を読んで意外に思ったのは、おはなしの大部が「人造人間との恋愛はアリだ」と説得するエジソンとそれに抵抗を示すエワルドの問答で占められているって部分です。エワルドと人造美女ハダリーとの暮らしはほとんど描かれていません。
逆に言えば「二次元キャラとの恋愛はアリか?」という論議において理論武装に使えそうな本でもあるのですが。

そして、リラダンもヘタレだったのか、エワルドがエジソンの説得に応じ、ハダリーとの恋愛を受け入れ、ハダリーを受け取った直後、ふたりを乗せた船は沈没して、ハダリーは海底に沈み、失われてしまいます。ほんとリラダンはヘタレです。まぁそれでも百年以上前に現代のオタクカルチャーを先取りできたってのは凄いことでしょうが。

『ブレードランナー』という映画を封切りで見てますが。これもまた人間と人外の恋愛が大きなモチーフになってると思います。ハリソン・フォード演じるデッカードとレイチェルですな。
私はそういう観点で『ブレードランナー』を観たいので、「実はデッカードもレプリカント(人造人間)だった」という説には賛同したくないのですが。

そういう「ゲーム内のキャラとの恋愛」をキモいと思うような奴がいるかもしれませんが。
もしそうならば、昨今の「恋愛教」の世の中こそ責められるべきだと思います。

「恋愛教」、それに恋愛資本主義的な消費のテーゼが加わり、「恋愛は素晴らしい」「お前も恋愛できる」「それにはカネを使え」というスローガンのはびこる昨今。あちこちに「恋愛指南」記事のはびこる昨今。
そして「見合い結婚」は否定され「恋愛結婚」しか選択のない昨今。
そのかりそめの“恋愛至上主義”から疎外された「恋愛弱者」の発生はシカトされてる。

そうなれば、三次元の恋愛が手に入らない人間はどうすればいいのかな。そう考えたら、こういう虚構キャラに行くしかないじゃないですか。「理想の相手」なんてそうめったに見つかるもんじゃないですよ。妥協しろ?あんたらのゴタクによれば、“恋愛”ってのは何かとても素晴らしい物じゃないですか?言ってみれば天上的なものみたいなんでしょ。妥協なんてできるわけないじゃない。それこそ虚構の存在でもないとそういう存在はいないでしょ。

それともかつての恋愛ってのはできる奴だけすればいい、そして、恋愛できない奴はそれを引け目と感じず、物語の中のこととして無邪気に憧れ目線で楽しんでいればいい。恋愛ができなくたって、自我の安定装置はたくさんある。そして、所帯を持ちたければ親戚かご近所の世話焼きオバサンの持ってくる縁談に乗ればいい、そんな時代に戻すか。

ま、いい時代になったとは一概には言えないだろうけど。でもこの恋愛教の必然の帰結じゃないかとは思います。

これからは三次で恋愛できて結婚までいける人たちはそれはそれでいいとして、うまくそうできない人たちは自分の理想のパートナーのアンドロイドを作ってもらうって事でいいんじゃないかな?それでは少子化するとかもんくを言う奴がいると思いますが。それは何度も書くとおり、この恋愛教社会、恋愛消費社会の当然の帰結だと思います。
もしそれに文句を言うなら、この恋愛教社会、恋愛消費社会をまずやめませんか?

ま、イケメンで知能の高い男についたアンドロイド女房から精液を取り出して、アンドロイド旦那入れて、相手の女性を妊娠させるって方式を取れば少子化もそこそこ防げるのではないかしら?子育てはアンドロイド旦那に任せるか、アンドロイド子守りでも開発するか。
ま、人類なんて滅びるんなら滅びればいいですが。人類も地球上で栄枯盛衰してきた生物の一種に過ぎませんし、いつか種としての限界が来て滅びるのも自明。

もちろんそういうアンドロイドパートナーには他者との付き合いの醍醐味である「意外性」とかないのだけど。自分の予想を外れたふるまいを他者が行うことによる意外性。それは新しい出会いをもたらすだろうけど(と同時に破局をもたらすかもしれないけど)。まぁ、そういいうのに耐えられる人も減ってるんじゃないかな?

私はそう思うのだけど。

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