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2009/11/09

ベルリンの壁崩壊二十周年

ベルリンの壁が崩壊して今日で20年とか。
つい先だっての事のように感じてしまうのは私が歳をとってしまったせいでしょうか。

西と東のベルリン市民たちが、そして、遅ればせながら私がたしかな手ごたえとして感じとったのは、現実は変わりうるということ、いや、現実は変えられるのだという確信だった。(吉岡忍『M/世界の、憂鬱な先端』文春文庫版22p)

私は日本を思った。私の国のことを思い起こしていた。そいつが言うのが聞こえた。
ここには日本の入り込む隙がない、とそいつが言った。(同書23p)

あちこちで大衆社会が生まれ、消費社会が立ち上がり、新中間大衆がどっとやってきて、やがて焼けたフライパンの上で、歴史が終った、お金儲けはゲームだ、ネアカが一番、グルメが最高、ブランド大好きと浮かれ出す。
(中略)
その先に、私の国がある。薄くスライスされた、いま、ここ、というだけの社会。新しくなることは豊かになることで、豊かになることは過去から自分を切り離すこと。
(中略)
世界の、憂鬱な先端。(同書45-46p)

そして今の日本、どうも「出口なし」の閉塞感が覆い。いや、閉塞感はそれ以前にもあったのでしょうが、その閉塞感をごまかすだけの“豊かさ”があったし。今は“豊かさ”という鎮痛剤も切れ始めていて。

昔、ミリタリー雑誌に、「東西ドイツ統一の時には…」とさらっと書いてあって。「そんなことありっこねーよ」と思ったことがあります。まだまだソ連が元気で東西冷戦真っ只中の時だったのですが。あの文章を書いたのはどなただったのか。近い将来に東西ドイツが再統一されるという慧眼をお持ちだったのでしょうか。

ベルリンの壁崩壊のTVニュースは仲間が働いていた酒場で見てました。あのころはひとりで来てピッチャーでビールを何杯も頼む客だったのですが。
今はピッチャー一杯のビールも持て余しそうです。

深夜+1である方から頂いたベルリンの壁のかけらはどこかにあるはずですが…

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