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2009/10/28

諸悪は“恋愛消費社会”にあり!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091028-00000008-mai-soci
『<連続不審死>さらに4人 詐欺容疑の女と接点 詳細に捜査』
とか。

犠牲者のおひとりはプラモマニアだったとか。私も高校時代までプラモマニアだったし、狭いアパート住まいでプラモ作りを諦めなきゃいけなという状況じゃなかったら、まだまだモデラーやってたと思いますし。
また、私は「もてない男」であります。ま、そろそろ諦めがついてきた年頃ですけど、私は。今は妹夫婦の甥っ子の成長が楽しみです。

だから、その被害者の方の気持ちは痛いほど解りますし、彼や他の被害者を手にかけた毒婦を決して許せないです。死刑ですら生ぬるいかと。

しかし、このような悲劇の原因はやはり現代を覆う「恋愛結婚至上主義」そして、それを支える「恋愛消費社会」があるのではないかと。
(作家&評論家の本田透さんは同じような概念を「恋愛資本主義」あるいは「恋愛セックス資本主義」と呼んでいらっしゃいます)

そもそも人はただひとりでは生きていけず、なんらかの「自我の支え」となるものが必要です。
その「自我の安定装置」はかつてはたくさん存在していました。国家、宗教、民族、そして家族。地縁血縁を背景としたものたち。

それが現在では解体されてしまい、自我の支えとして機能しづらくなってきました。それはそれらが「自我の支え」であるとともに人々を縛る「くびき」として存在していて、その「くびき」から人々を解放することでもあったのだけど。
しかし、その代償として人々は自我の不安定さに苦しむ事となったと。

そこでクローズアップされたのが「恋愛」でした。それは「自我の安定」と引き換えに生まれながらに選択の余地なく人々を縛っていたかつての「自我の安定装置」と違います。
“恋愛”はお互いの自由意志に基づくものであり、生まれながらに人々を縛っているものとは違います。それは何より“自由”を尊ぶ近代人の自意識にぴったりのものでした。
そうして“恋愛”がもてはやされるようになり。

そして“恋愛”がもうひとつの近代の成果物、「消費社会」と結びついて「恋愛消費社会」が生まれました。
「恋愛消費社会」は3つのシンプルなスローガンから成り立ってます。
それは、「恋愛は素晴らしい」「お前も恋愛できる」「それにはカネを使え」です。

これは素晴らしいシステムでした。なんといっても消費活動のコアとなる「恋愛」がプライスレスってのがグッドアイディアです。金持ちは金持ちなりに、貧乏人は貧乏人なりにカネをつぎ込むシステムになって。

つまり、金持ちが財布の底をはたいて手に入れた”恋愛”、も貧乏人が財布の底をはたいて手に入れた“恋愛”も、“恋愛”としては等価です。車なら一千万円の車と百万円の車じゃぜんぜん違います。百万円の車しか持てない貧乏人は一千万円の車を乗り回す金持ちを見て惨めな思いをするかもしれません。「もう車なんていらねーよ」と思うかもしれません。
でも、恋愛はプライスレスだから、百万円しか恋愛につぎ込めない貧乏人が惨めな思いをすることもないでしょう。“恋愛”さえ手に入れば。だから、金持ちも貧乏人も等しく恋愛のためにそれぞれの収入に見合ったカネを使う、と。

モテのための服からデートコースのレストラン、セックスのためのラブホテルまで、恋愛産業おおはやり、と。
そして「見合い結婚」は邪道として蔑まれ、人は結婚するなら「恋愛結婚」しなきゃいけないとなって。

もちろんみんな恋愛できてりゃ万々歳なんでしょうがね。
しかし、この恋愛消費社会はそこから疎外された「恋愛弱者」を生み出してしまっていて。
恋愛を手に入れられない「恋愛弱者」は恋愛どころか、かつての自我の安定装置であるところの「家族」さえ手に入らない状況になっていて。

昔は親戚かご近所の世話焼きオバサンあたりが見合い話とか持ってきてくれたものなんですよね。んで、お見合いしてそこそこ気に入れば所帯を持って。それでうまくいっていたと。

落語なんか聴いてると、ほんと近所のご隠居さんあたりが縁談を持ってきて、気楽に所帯を持ったものみたいです。逆に恋愛結婚なんて「くっつきあい」なんてあまりよろしくないように呼ばれてたみたいだし。
そして、その時代は“恋愛”なんてものは必需品じゃない、せいぜいが“物語”の中のもので“物語”として楽しめばいい。恋愛できない事が引け目になんてならない、そんな時代だったと。

もちろん昔の人は所帯を持たないと生活そのものが難しかったという事もあるのでしょう。かつては家事も大変で。ご飯ひとつ炊くのも井戸で水を汲んでお米を研いで、かまどに火を起こして、炊き上がるまで付きっ切りで面倒を見なきゃいけない。今なら無洗米に水道水をジャーっと注いで電気釜のスイッチポンでほっとけばご飯は炊けるし。
(女性の人口が圧倒的に少なく、独身男性が多かった江戸期の江戸はそういう独身者をサポートするシステム、総菜屋や一膳飯屋とかインスタント食品とかが発達していたそうです。現代日本みたいに)

そして、家庭の持つ機能はほとんど他で代替できるようになり、家庭じゃなければという機能はせいぜい子育てくらいになって。
結婚もしなきゃいけないという風潮もなくなって。ま、そのおかげで少子化ですけど。少子化で日本が滅ぶなら我々が進んできたそういう消費社会の行き着いた先だから、滅ぶものなら滅びればと思いますけど。

まぁ、そういう時代の流れがあって。
“恋愛”以外の自我の安定装置の崩壊と恋愛至上主義の勃興。
「見合い結婚」の絶滅と「恋愛結婚」の主流化。
そして「恋愛弱者」の疎外。
問題はその3つかと。

いちばん問題なのは恋愛以外の自我の安定装置の崩壊でしょうか。その流れに今時のネット右翼の発生とかもあるし。また、自我の不安定に苦しむ奴等がそのストレス解消に“炎上”騒ぎとかも起こすのだろうし。

いや、話を元に戻して。

だから、自我の安定装置たる“恋愛”が手に入らない弱者たちが出会い系サイトとかに出入りして、素性の怪しい、こういう毒婦に出会って(世話焼きオバサンの紹介ならそういう毒婦にあたる可能性も低いでしょう)、狩られてしまうと。こういう悲劇が生まれると。もちろんここまで行き着かずも、“恋愛”をちらつかせてオイシイ思いをしようとしている女(男もいるか)はごまんといて、こういう出会い系サイトに溢れているでしょう。

だから、こういう悲劇の根っ子にはこの「恋愛消費社会」、「恋愛市場社会」があると、そう思います。

ほんと、こういう今の時代のありように虫唾が走ります。
それと同時に今の時代のありようは、私も含む人々が良かれと思って進んできた道のはてにあるものであることに対しても忸怩たる思いがするのですが。

ほんと、早いとこ「恋愛消費社会」は崩壊してほしいものです。
そして、“恋愛”に替わる、人を縛りすぎない、誰にでも手に入る、何らかの「自我の安定装置」が生まれてほしいものです。

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