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2009/09/07

寛闊納涼会

昨日は寛闊(三上寛公式ファンクラブ)の納涼会に行ってきました。
毎年の納涼会の趣向は、昔情緒の残る街を皆で散策するというかたちです。
今回は神田でした。

神田駅に少々遅刻して到着(ごめんなさい)。
ちょうど駅そばでやってたフリーマーケットで皆さんに合流。
フリマでTシャツを少しと中古CDをジャケ買い。
Tシャツの季節ももうすぐ終わりですが。来年メインに着ることになるかしら。

それから出発。

まず玄武館跡へ。千葉周作の道場だそうです。
跡地に小学校が建てられたみたいですが、その小学校も閉校し、更地にされて駐車場みたいになってるところの入り口に玄武館の記念碑が残っていました。
校名のプレートが外された門柱、ちょっとした木立。そこだけがそこが小学校だったらしい面影を残しています。

それからお玉稲荷へ。

昔、ここらへん界隈はお玉が池という大きな池があったそうです。お玉が池は昔は桜が池と呼ばれていたそうですが、そのほとりの茶屋のお玉さんという大美人な女性が恋に悩んで池に飛び込み、それ以来お玉が池と呼ばれるようになったとか。
もともとは不忍池より大きな池だったそうですが、徐々に埋め立てられ、江戸時代末期には姿を消していたそうです。

そのよすがを残すお玉稲荷。脇に小さな池がこしらえてありました。
お玉稲荷にお参りする時は鳥居に注意です。
鳥居の背が低くて、しかも手を合わせてお参りして、頭を起こしたところで後頭部にヒットする絶妙な位置にあります。私も含めて皆さんほぼ頭をぶつけました。
お茶目ですよぉ、お玉さん。

それから伝馬町刑場跡へ。

寛闊会長によると、ここ数年の納涼会で江戸の刑場を巡ってきたとか。
小塚原刑場跡、鈴ヶ森刑場跡と巡り、ここ伝馬町刑場跡。
ちょっと調べてみたんですが、あと板橋刑場跡に行くと江戸の刑場跡コンプですな。
いや私は板橋刑場跡に行った事があります。何かの用事のついでだったと記憶していますが。新撰組の記念碑か何かあったのを記憶しています。

伝馬町刑場跡もお寺になってました。こちらもちょっとお参りして。
伝馬町には牢屋敷もあったそうですから、獄死した方も多かったのではないかと。
ここで吉田松陰も処刑されたそうです。ちょっと調べてみると吉田松陰が刑死したのは松陰が30歳の時とか。ほんと、若いです。それよりずっと長く生きている我が身に引き比べて…。いや、私は優秀な人間ではないですが、それでもちょっと忸怩であります。

それから近くの銭湯に行って。このみんなで銭湯というのも納涼会の趣向です。

3年前、今のアパートに越してくる前は銭湯暮らしだったのですが、もう銭湯に行くのも納涼会のときだけになっちゃいました。久しぶりに大きなお風呂で手足を伸ばして。
お風呂から上がると妙にぐったりとした状態になって。
やっぱり疲れが溜まっているのと体が衰えているせいではないかと。

それから神田に戻って居酒屋で飲み会。
毎年納涼会で寛闊の会費を納めることにしているので、会長に会費をお渡しして。

ふと気がつくともう寛闊に入ってから8年目です。
2001年8月、テラヤマ新聞さん主催の「三上寛と行くテラヤマバスツアー」に参加して。
そのとき三上寛さんにピーナツを分けて頂いたのがご縁の始まり。
それからその年の納涼会に参加したのが寛闊の行事に参加した初めてで。

8年かぁ。子供だったら小学校に入学して中学2年。女の子だったらぺったんこだった胸も膨らみ、陰毛も生え始め、生理も始まり、下手したらHもしてるかもしれませんね。
そして、私の人生のいちばん暗く迷走していた時代も8年間でしたが…。

8年間、出会いがあり、別れがあり、いろいろありました。いろいろあったけど、どうも私の人生あまり成長してない、進展してないような気もします。
ほんとこの歳になるとあっという間の8年間でもあったなと。

というような納涼会でした。
歩き回ってちょっとくたびれたけど、調子はいいです。
ほんと、普段の運動不足が思いやられます。
普段から少しでも体を動かす癖をつけとけばぜんぜん違う人生かもしれません。

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