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2009/08/07

「エンドレスエイト」考2

という訳で、『涼宮ハルヒの憂鬱』のループエピソード、「エンドレスエイト」(以下EEと略す)が昨夜、ループ8回で終了したようですね。前にも書いた通り、私は3回目で挫折したのですが。
昨夜、私も気になって、夜中起き出してネットチェックしたりしてました。(しかし、録画した「エンドレスエイト」を、録画がうまくいったかチェックしたほかは観ようとしなかったのも自分で自分を面白く感じる反応です)

けっこう好意的な「感動した!」というような反応が意外に多かったと思います。それも面白く感じました。怒りの反応が多いと思っていましたので。
まぁ、呆れた視聴者はもう視聴を切ってしまって、口を閉ざしてしまったのかもしれませんけど。

たぶん、苦行のあとの解放というカタルシスのせいかなと思ってます。けっこう好意的な反応が多かったのは。
山登りみたいなものかなぁ。ゼイゼイ息を切らしながら山を登って、やっと山頂にたどり着いた快感というか。ループされる各話、ちょっとした差異を探したり、「よかった探し」しながらがんばって、脱落しないように視聴を続けて。息を切らして、あえぎながら登る登山道、道端に咲く花に心慰められるような感じで。そして山頂を極める事ができたと。

その快感に浸っている人たちの反応を見ると、ちょっとうらやましく感じるのもまた正直な気持ちです。私もついていったら楽しかったかなと。

しかし、まぁ、考えてみれば、「見るのは苦行、見終った開放感が快感」という経験は読書にしろ、映画にしろ、あるいは他の芸術作品にしろ、ままあるわけで。
思いっきり長くて退屈な小説を、「名作だから」という理由でがんばって読んで、読み終えた快感に浸るとか。そして、その本を「面白いよ」と他の誰かにおススメしたり、読み終えた事を自慢したり。その部分、今まで自分で自分をごまかしていた部分もあったのだろうけど。でも、「エンドレスエイト現象」を見た今、そういうのが改めて自分の前に浮き上がってきた感覚がします。

しかし、その“山”は、「果たして登るべき山だったのか?」というような気もします。
別にEEなんて山を用意されなくても、用意しなくても、良かったのではないかと。

そう考えると「EE現象」にはまた、宗教の臭いもします。
苦行で信仰を試され、それに合格したヨロコビ、というか。ま、「悟りのための苦行」じゃなくて「苦行のための苦行」なんでしょうけど。
でもまぁ、「苦行のための苦行」でも、乗り越える快感があるのでしょうし、乗り越えればさらに信者としてステージが上がったことになるのでしょうが。
カルトの信者が「苦行のための苦行」を経て、さらにその信仰心を、教団との結びつきを深めていくように。

念の為に明記しますが、私は別にEEを頭から否定しようとは思ってません。
ただ、「EE現象」を面白いものだなぁと眺めているだけです。
それは人の心の面白い反応を改めて気づかせてくれるものでありました。
ほんと最初は大顰蹙の大合唱になるかと思っていましたものね。

そしてやっぱりEEを作った人は、作ることを決裁した人は、凄いなと思ってます。
こういう反応は想定のうちだったのかしら。
それとも、どうなろうとやってみたいと思って押し通したのかしら。
どちらにしろ、凄い事だと思ってます。
『涼宮ハルヒの憂鬱』というドル箱シリーズを下手したらぶち壊しにする可能性のある試みに踏み切ったのですもの。
(もちろんセールス面での最終的な結果は今後の事になるのだけど)

ほんと、最初っから最後までEEにリアルタイムで付き合ってみたかったものです。
もちろん最初から「EEは同じおはなしが8回ループします。最初から順番に全部見てください」と言われたら、たぶん、見る気はしなかったと思いますが。

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