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2009/08/05

J・クロウリー『エンジン・サマー』

『エンジン・サマー』(ジョン・クロウリー:著 大森 望:訳 扶桑社ミステリー文庫)
読了。
とても面白かった『ハローサマー、グッドバイ』の感想をネット巡りで見ていて、同じテイストの作品として本書が紹介されていたので手を出してみました。

作者はジョン・クロウリー。クロウリーって名前でまず思い出すのが有名なオカルティストのアレイスター・クロウリーですな。トート・タロットを作った人。そして『カードキャプターさくら』のクロウ・カードの元ネタになった人。
アレイスター・クロウリーの『法の書』を見せてくれた知人がいました。本の一部が封印されていて、その封印に「この封印を破った事によって天変地異が起こっても責任を持ちません」てな事が書いてあったと記憶しています。
だから、憶えていたのだけど。
アレイスター・クロウリーと本書の作者、ジョン・クロウリーと関係あるのかなぁ。それは解らないけど。

いや、閑話休題。『エンジン・サマー』に話を戻して。
(以下、ストーリーに触れつつ書いていきますので)

舞台は遠い未来のようです。現代科学文明が滅び去ってはるかのち。かつての文明の遺物もまだ残っていて、それをある程度は利用したりありがたがっている時代。
そして、かつての科学文明に暮らす人たちも細々と残っているようです。かつての科学文明に暮らしていた人たち、そして、まだ生き残っているそういう人たちは「天使」と呼ばれているみたいです。いや、本書に登場する一般的な人間たちは現代人そのままか、あるいは変化しているかどうかも解らないのですが。

本書は“天使”じゃない、普通の人間の少年、“しゃべる灯心草”("Rush that Speaks")という少年が自分の来し方を“天使”に語る(それを天使は録音しているようです)、という筋立てになってます。
“しゃべる灯心草”、不思議な感じの名前ですけど、そのころはそういう名前が普通みたい。
なんかインディアンの名前みたいですね。“シッティング・ブル”とか”ダンス・ウィズ・ウルブズ”とか“ダンシング・ベア”とか。

かつての文明や言葉、それはその時代も残っていて。しかし、かなり変容して伝えられているようです。本書のタイトルの「エンジン・サマー」も「インディアン・サマー」(小春日和)が訛って伝えられたものみたい。
更に文明の遺物のガジェットたちもまた、当時の“扱われ方”とは違った形で伝えられているようです。

また、そのころの人たちは“系”(コード)に別れているようです。人種とか文化的バックボーンによる民族性とか、そういうのとはちょっと違った感じ。その人間の本質的な部分によるものなのかなぁ。
ちなみに“しゃべる灯心草”は「手のひら系」に属しているようです。

その、“しゃべる灯心草”の成長物語です。
リトルベレアという街に生まれた彼。どうやら道路があって家があるという構造の町じゃなくて、蜂の巣みたいに家がくっついて建っていて、家々の連なりを抜ける“径”(パス)があるような構造の街みたいです。

“金棒曳き”(ゴシップ)の語るかつての“物語”。
“ワンス・ア・ディ”(一日一度)という少女との出会い、幼い恋。しかし、彼女は街を出ることを決心し、“ドクター・ブーツのリスト”という行商人?集団についてリトルベレアを出て行ってしまい。彼もまた“聖人”になることを目指して、リトルベレアから出て行きます。

聖人との出会い、共に暮らし。聖人の許を去った彼は、ワンス・ア・ディがついていった“ドクター・ブーツのリスト”の街へ向かいます。そこはかつての文明の遺跡、遺物が残り。そこに暮らす人々は、かつての文明の産物を細々とこしらえ、それを行商の商材としているようですが。

彼はそこで、ワンス・ア・ディと再会しますが、しかし、彼女はふたたび街から出て行きます。しゃべる灯心草がいる限り“ドクター・ブーツのリスト”には戻らないと言って。
傷心の彼は“ドクター・ブーツのリスト”も後にし、放浪の末、故郷を目指します。
故郷にたどり着く寸前、彼は“天使”に出会い、物語を語るものとなります。

そういったおはなしでした。

う~ん、どうかなぁ。『ハローサマー、グッドバイ』ほどにはのめりこめませんでした。

ひとつには『ハローサマー、グッドバイ』には、背景に戦争があり、役人と人々の対立があり、そしてどうやらその根底には大きな陰謀がありそうで、そういう緊張感を持たせる部分、ミステリアスな部分があって、「どうなるんだろう」とグイグイ引き込まれる部分があったのだけど。私は冒険小説とか好きだし、そういった部分で引き込まれたのだろうけど。
『エンジン・サマー』にはそういう緊迫感的な部分がないせいだったからかなと。

しゃべる灯心草とワンス・ア・ディの恋路も。『ハローサマー、グッドバイ』の少年少女ほど甘酸っぱい感じはしませんでした。ワンス・ア・ディもけっこうあっさりとしゃべる灯心草を捨てますし。それも2回。もちろん人は恋のみに生きるにあらずでしょうけどね。恋愛よりも自分にとって大切なものがあれば、恋愛なんてあっさりと捨てるんでしょうが。それに私は「恋に生きる」なんてチャンチャラと思う部分もありますけど。あたしはキモメンだし、恋なんて無縁だし(泣)

しかし、ワンス・ア・ディとの失恋で迷走し、聖人を目指し、しかし結局ワンス・ア・ディのいる“ドクター・ブーツのリスト”に向かうしゃべる灯心草の姿も痛々しいです。
私も失恋がきっかけで、「人生恋愛なんてかまけているものではない、真実を目指すのだ!」なんて思い詰めつつ、結局その振られた相手の跡をうじうじと追いかけたりした経験ありますもの。

しかしまぁ、そのおかげでしゃべる灯心草は幸か不幸か世界の真実の一端(“悟り”のような境地?)に触れたようですし、聖人かどうかはわからないけど、彼は確かに「真実の語り手」であり、「“物語”を語るもの」になれましたけど。

う~ん、ほんと、どうかなぁ。やっぱり思ったほどのめりこめなかったなというのが最終的な感想です。ラストの方はよく解らなかったし。いや、ネタ的な部分は解ったけど、共感できなかったというか、感動できなかったというか。そういう感じでした。
もちろんそれは本書を貶めるものではなく、ネット巡りをすれば、たくさんの感動したという感想が読めますし。ただ、私には合わなかったということであります。私は結局ベタなお話しの方が好きなのだろうと思います。
感動できる人には感動できるんだろうなという部分も解って、それも歯がゆいのですが。本書は『ハローサマー、グッドバイ』と同じく、再刊されたほどの名著でありますし。

という方向で、この文章を締めくくりたいと思います。

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