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2009/08/21

映画『巨人と玩具』

昨日は久しぶりに京橋のフィルムセンターで映画を観てきました。
開高健原作の『巨人と玩具』です。
『巨人と玩具』のフィルムセンターによる本作の紹介はこちら
日本映画データベースによるスタッフ&キャスト表はこちらです。
フィルムセンターの「逝ける映画人を偲んで 2007-2008」特集の1本です。
1958年の作品とか。

フィルムセンターでは定期的に「逝ける映画人を偲んで」という特集を組みます。文字通り、近年物故された映画人、俳優、監督、スタッフが関わった映画を故人を偲んで上映するという番組です。フィルムセンターの作品紹介で、赤字で示されている方がその対象となった、物故された映画人のようです。本作では準主役の合田竜次を演じられた高松英郎がその対象となる、物故された映画人のようです。
作品によってはその対象となる映画人が複数の場合もあります。

『巨人と玩具』、開高健の原作を読んだ事はあります。もう大昔、高校時代の頃ですが。
読書感想文の課題で開高健の『裸の王様』が出たのですが。どこの文庫かは忘れてしまいましたが『裸の王様』といっしょに収められていたのが『巨人と玩具』でした。
これが私の開高健初体験でした。

読書感想文の課題だった『裸の王様』はどんなお話だったかすっかり忘れてしまいましたが、『巨人と玩具』のことはかすかに憶えています。

2つのシーンを、はっきりとではないですが、憶えています。

ひとつは暇さえあれば会社で模型を作っていた主人公の同僚が、仕事のストレスのあまり、作りかけの模型を壊してしまうシーン。あのころ私はプラモマニアで、だから、せっかく作っていた模型を壊すって行為、人がそこまで追い詰められてしまうことに酷く驚き、痛切に感じたのではないかと思います。だから印象に残っていたのではと。

もうひとつは主人公が信号が赤で、車がビュンビュン走っている横断歩道に飛び出したい衝動を必死にこらえるシーン。横断歩道に何か落ちていて、車に踏まていて、それを拾おうとしたのかなぁ。はっきりとはしないのですが、そういう記憶がかすかにします。
そのシーンで刷り込まれたのかもしれませんが、私もそういう衝動を感じるときが時々あります。そういう“モノ”が関わっている部分も。その、“モノ”が痛々しい様子である様、どうやらそれに私は反応するようです。道端に落とされたか捨てられたぬいぐるみとか見つけると心が痛みますし。

まぁ、そういうトリガーが私の心に埋まっているようです。

さてと、映画の話。
(以下ネタバレゾーンにつき)

本作はカラーでした。ちょっとびっくり。昔、本でチラッと見た『巨人と玩具』のスチルがモノクロだったせいか、本作はモノクロだと思い込んでいたようです。

主題歌。なんか戦争映画みたい。それもコマンド部隊物みたいな。ナイフを何とかとか物騒な歌詞。苛烈な宣伝競争を扱った映画だからでしょうか。

舞台は製菓業界。キャラメルとかドロップスとかチョコレートの洋菓子系業界はワールド、ジャイアンツ、アポロの三大製菓会社が鎬を削っているようです。
主人公・西洋介(川口浩)はワールド製菓の宣伝部に所属する新人社員。上司の合田竜次課長(高松英郎)にぴったりとくっついて動いているようです。合田は宣伝部長の娘を娶り、出世街道を約束されているみたい。

どういう事情があるかは判らなかったのですが、まもなく三社三つ巴の販促シーズンになるようで。ワールド製菓も宣伝のアイディアを出すのに四苦八苦のようです。
懸賞の景品候補?の玩具がずらりと並べられた合田や社員たちの机。
どうやら西や合田にはライバル会社の宣伝部員との付き合いもあるようです。西は大学のサークル仲間の伝手があるみたい。皆が行きつけの酒場とかもあって。

合田は懸賞の景品として、宇宙グッズのアイディアを出します。これから宇宙時代であると。原作が書かれた1957年は初の人工衛星打ち上げ成功、「スプートニク・ショック」の年ですね。
そして、もうひとつのアイディアとして、自分たちが見つけた女の子をグラビアアイドルとして売り出し、人気が出てから自社専属のキャンペーンガールとして使うことを思いつきます。

合田たちが見つけた女の子は島京子(野添ひとみ)。ちょっとおきゃんというか、蓮っ葉な女の子。彼女の写真をグラビアに載せた雑誌は飛ぶような売れ行き。今で言うグラビアアイドルですな。(Wikipediaによるとグラビアアイドルの発生は70年代半ばだそうですから、ずいぶんと先取りであります)
そして、有名になったところで改めてワールド製菓は島京子と専属の契約を結び、島京子といえばワールド製菓というイメージを作る戦略をとって。
懸賞の景品の宇宙服を着け、宇宙銃を構えて写真に収まる島京子。

対するジャイアンツ製菓の懸賞の景品は生きた動物。ターザンスタイルの男がイメージキャラ。
そして、アポロ製菓の景品はなんと生活資金の援助、つまり現金。モロ実弾ですな。そのせいかアポロのセールスの伸びがいちばんで。(アポロが宇宙グッズにすればいいのにと思いましたが、調べてみたらアポロ計画が始まったのはこの映画の後ですな)

その宣伝合戦の重圧は合田や西に重くのしかかり。ストレスで倒れた宣伝部長の座を合田は手に入れるものの、そのストレスは合田にものしかかり。向精神薬をむさぼりながら、血を吐きながら仕事をする合田。

その宣伝合戦の行く末は如何に、というおはなしでした。

原作で記憶にあった。模型を壊す同僚のシーンも、車列に飛び込もうとする衝動を主人公が必死にこらえるシーンもありませんでしたが、面白かったです。

島京子がのし上がっていく様子。最初はタクシー会社の事務員。会社でオタマジャクシを飼ってるんだけど。生家の貧乏暮らし。あばら家、体を壊して働けない父親、内職で家計を支えている母親、たくさんの兄弟たち。あの、昭和30年代の、まだまだ貧しい日本だったころ、たぶんあたり前にあったであろう風景。

しかし、島京子はスターダムをのし上がり。もっさりしたショートパンツに軍装品みたいにがっしりとした男物のシャツ?を羽織った姿だった京子もかわいらしいドレスやシャネルスーツ?に身を包み。
貧乏暮らしだった実家も電化製品に溢れ、弟たちは普段着さえもスーツ姿で、ぴかぴかの自転車を友達が触ろうとすると怒ります。そしてあばら家からも脱出して、いい所に引っ越すようです。

その影で、彼女が可愛がっていたオタマジャクシたちはみんな死んでしまいます。

人気の絶頂にある彼女。でも、たぶん、彼女の栄華も一時のもの。それを象徴するのが彼女が収録中のテレビ局に仕事を求めて現れる、尾羽打ち枯らした元・アイドル。
しかし、下町娘から大スターへと変貌する野添ひとみの変わりっぷりも凄いです。うまいなぁと。

西たちのオフィスの喧騒っぷりも凄いなと思いました。ハイテンションです。働いていたら疲れそうだけど。

車もいい小道具でした(車は小道具かな?)。西たちが乗る社用車はぜんぶ左ハンドルみたい、当時の大企業では社用車は外車ってのがステータスだったのかな。
宣伝キャンペーンに使われる車、後ろ半分がデッキになってる宣伝カーなんだけど、なんか今時の宣伝カーよりモダンな感じもしました。

小道具としては、合田のなかなか火のつかないライターもよかったです。何度もカチカチやらないと火がつかない。そのカチカチに他のシーンがオーバーラップする演出もありました。あと、ジッポのライターらしきものも出てきます。あのころジッポのライターを出すのも先取りっぽい感じがします。あのころはライターなんて高級品で、普通はマッチだった頃ですから、ライターを使っているというだけでもエリートサラリーマンだったのでは?

合田役の高松英郎、かっちょよかったです。細めの太宰系イケメンというか。当時高松英郎は二十歳代のようです。私が知っていた高松英郎は後年の中年~老境のころでしたから、それとはだいぶイメージが違います。血反吐吐きながら仕事する壮絶さ。

ライバル会社のアポロ製菓の宣伝部員、倉橋雅美役の小野道子もよかったです。宮沢りえ系の下膨れ美人というか。
西との関係。ライバル会社の情報を巡っての色仕掛けと、真剣な恋愛のあわいのヒリヒリとした感触。秘密を探るつもりがのめりこみ、青臭く秘密を漏らしてしまう西。

本作はこの消費社会の狂騒を描いたもの。それも昭和30年代初期にですね。
壽屋(現・サントリー)宣伝部に勤め、コピーライターのはしりのような仕事、この消費社会の狂騒に与しながら、しかし(いや、それ故にかもしれませんが)、消費社会の芯にある空虚さ、非人間さにも気づいていたであろう開高健。しかし、時代に巻き込まれた以上、焼けた鉄板の上で踊る事しかできないとつくづく思い知っていたであろう開高健。芯にある空虚さをごまかすために、枝葉で踊る事しかないと思い知ってたであろう開高健。

この、消費社会の喧騒に疲弊しきり、冷めつつあり、そして、ごまかしてきたその空虚さに打ちのめされつつある現代社会を、50年も前に予言していたのではと思います、開高健の原作とこの映画は。

という方向で、久しぶりにフィルムセンターで映画を見たおはなしでした。

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