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2009/06/05

『対話の可能性 第4回』

昨日は渋谷のUPLINKさんに、日比谷カタンさんのライブ&トークショー『対話の可能性 第4回』を観に行きました。『対話の可能性』の件はだいぶ前から知っていましたし、観に行こうかと思いつつ行きそびれていました。第4回目にしてやっとお伺いできた次第。

UPLINKさんも久しぶりです。UPLINKさんは3年くらい前に移転されたそうですが、移転前のUPLINKしか知りませんから、最低でも3年ぶりです。日比谷さんの件はもちろんですが、知人の作品の上映とかもあったんですが。行こうかなと思いつつ、なぜか足が向きませんでした。どうしてかなぁ…とつらつら考えていたら、UPLINKさんを舞台にした思いっきりイタい記憶が甦りました。そのせいかもしれない。ま、再封印…。

終業と同時に会社を飛び出して渋谷へ。早く行って早くいい席とろうと思ってたんですが。道すがら、オープンしたての楽器店を発見。思わずちょっと覗いちゃいました。小物が2割引きということで、ギター弦とピックを買いました。前に買ったお店より弦は安いですし、さらに2割引で嬉しかったです。しかし、ギター弦を買うたびに違うゲージのを買っちゃうな。
ま、この弦を使い切るまでは挫折しませんように…。

で、UPLINK着。今度のUPLINKはレストランの入っているビルでした。前のUPLINKの広いアメリカンパブの居抜きという感じも好きだったのですが。会場はレストランの入り口と共有でちょっと戸惑いましたが、無事入場。席はだいぶふさがっていましたが、最前列が意外とすいてたので助かりました。

タバコは外で吸う方式。グレイのセフティコーンみたいな吸殻入れが変わってます。
ややあって開演。

まず、日比谷さんのライブがありました。
『いびつな月のはからい』から『スガスガしい休日』、MCを挟んで『ウスロヴノスチ』。こんかい“合言葉”がえらく長くて、カヴァー曲まで挿入されました。
それから『ヘテロのワルツ』、『愛のギヨテヱヌ!恋するイミテシヲン!サ!』、『ヴィリジアンゼラニウム~少女緑化計画』『終末のひととき』、それからこの企画のタイトルにもなった『対話の可能性』で〆。『対話の可能性』にもカヴァー曲らしきものが挟まれていました。(以上は私の記憶によるもので、曲名・曲順に勘違いがあるかもしれません)
トータルで1時間以上はあったかな。“合言葉”がかなり長かったですけど。たっぷりと楽しめました。

そういえば、先日近所の公園のブランコに乗ってみました。横幅がミッチリでこげませんでした。小さいころ、ブランコを大きく揺らすのが好きだったんですが。そのきっかけになった出来事もあって。あれが恐怖の記憶ではなく快感の記憶なのはイビられている事も理解できずに楽しんでしまったのか、あるいはイビられた事を認めたくないための記憶の改変だったのか…。

休憩を挟んでトークショーの部へ。

今回は[呻け!モテない系~ステレオタイプへの復讐] と題して、能町みね子さんとおっしゃる方がゲストのようです。
能町みね子さんの事はまったく存じ上げないのですが。でも“もてない”ならあたしの得意です。小谷野 敦の『もてない男』『帰ってきたもてない男』読んでます。そして、代理店やマスコミのそそのかす「消費のための恋愛」そのための「恋愛の強迫化」、つまり、“恋愛資本主義”が横溢する世の中を批判し、『電波男』『萌える男』等々の本を著した本田透さんはココロの師匠です。
んだからお話を楽しめるだろうと。

日比谷さんと能町さんがご登場。まず、日比谷さんの能町さんの著作などの紹介があって。
能町さんはライター&イラストレーターの方のようです。ブログ出身の方みたい。そしてトランスジェンダーの方。性転換手術を受けたそうです。その手記を出して。それから“モテない系”という事についての本もお書きになってるようです。

「もてない」事に関するトークショーと思ってましたが。“モテない系”?初めて触れる概念でした。どうやらあたしは“非モテ”で、“モテない系”とは違うようです。イロイロ難しいものであります。
本田透さんのいう“恋愛資本主義”から降りた人たちになるのかなぁ。あたしはたぶん、恋愛資本主義の中で疎外されているタイプかと。恋愛資本主義から降りよう、降りるべきだと自覚しつつ翻弄され、疎外されたと感じているタイプじゃないかと思うんですが。
“モテない系”は女子用語なのかな?男子用語だと喪男(もてることを心の底から諦め、解脱した男)とか鯛男(もて“たい”男)とかあるんですが。どう関連されるんだろう。

ネットでちょっと調べてみましたが。自分を“非モテ”と規定するにはプライドが許さず、かといって“モテ”を目指すのもプライドが許さず、というスタンスのように感じられるのですが、どうかな?

やっぱりつくづくあたしは“非モテ”だよなぁ…。早く“二次元”に解脱したいものです。

能町さんのことはまったく存じ上げないと書きましたが。ひょっとしたら性転換の本を書店で手に取ったような記憶がかすかにあります。
性転換手術。自分の身体を改変すること。ボディ・カスタマイズ。それはイレギュラーな体(ただのデブですけど)を持った私のせいか、興味あります。自己の身体さえ改変可能なものとして扱うこと。もちろん普通にダイエットとかスポーツで改変するのではなく、手術によっての改変、ということでですが。
ま、あたしはピアスあけただけでけっこうクラクラくるレベルでしたけど。

トランスジェンダー。性転換。う~ん、私は女兄弟だったせいか、小さいころ「お○んちん」は外れると思ってました。立体パズルみたいにうまいことカチカチカチッとやればポロっと外れる、みたいな。そうやってひねってるうちに自慰をおぼえちゃいましたけど。
私は性転換方向には行かず、逆に男の子っぽい方向、ガン&ミリタリーマニア、冒険小説&“ハードボイルド”小説ファン、という方向に行ったような気がします。ま、ここ数年、そう強迫的にマチズモに行かなくてもいいじゃないとやっと落ち着いてきたようでありますが。

このトークショーのサブタイトルは[呻け!モテない系~ステレオタイプへの復讐]だったのですが。おふたりの“ステレオタイプ”とくくる行為への違和感が何度もでてきました。
“ステレオタイプ”化することでこぼれ落ちてしまう大切な部分という考え方。
あるいは、“言葉”で定義づけられる事への反発。たとえば、「鋭いキバとツメがあって、時々私たちを襲うもの」を人類は“ライオン”と名づける事によって、ライオンへの恐怖に対処できるようになったという話。あるいは『トゥーランドット』系の「名前を当てられると負ける」ような昔話みたいな。

「不安じゃないと安心できない」ということ。幼少期、不安の中にあったということ。
桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の一節を思い出しました。

「ねぇ、山田なぎさ」
「なに……?」
「子供に必要なのは安心、って、担任が言ったんだよね?」
「うん」
「だけど、安心って言葉の意味、わかんないね」
「そだね……。あたしもわかんないや。安心できたら幸せなのかも、わかんない」
「うん……。だけど、いつか」
(富士見ミステリー文庫版 179p)

差別として意識されない差別こそ本当の差別である、ということ。ナチュラルな差別。
それは解ります。

さらに言えば。だいたい、公民権運動までは米国では黒人は違うベンチに座って当たり前、違うバスに乗って当たり前、それは空気がある事と同じくらい自明な事だったでしょう。たぶん、「それは差別である」と指摘されても、初めてそういう話を聞いた人たちは言ってる事さえまったく理解できず、頭の上には「?」が飛び交っていたのではないかと思います。

7時半スタートでだいたい2時間くらいのイベントかなぁと思ってたら、ライブもトークショーもたっぷりあって、終わったのは10時半をちょっと回ったくらいでした。最後の方はお尻が痛くなってきましたが、たっぷり楽しめて嬉しかったです。

『対話の可能性』、次回は8月6日とか。
次回もできたらお伺いしたいと思います。

あ、あとそれと、当日配られたチラシの中に日比谷さんの歌詞集がありました。
CDの奴のほかにCD化されてなくて、日比谷さんの旧サイトにもなかったのがあって嬉しかったです。ところで『サッカリンブルース』は…

(なんかグニャグニャと長々書いてしまいましたな)

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