『ぢごぷり』
『ぢごぷり 第1巻』(木尾士目:著 講談社アフタヌーンコミックス)
読了。コミックスです。現在連載中の作品だそうで、その第1巻。
木尾士目の漫画は『げんしけん』を読んだ事があります。最終巻まで読んだかどうか記憶は定かじゃないんですが。ここらへん、漫画評論系のサイトで最終話までの紹介を読んだ記憶とごっちゃになってしまってます。ここらへんがネットで漫画の紹介を気軽に読める時代のおかしさですな。
3年前の引越で『げんしけん』は処分してしまったので本棚で確認はできませんし。
本書は巡回先の漫画紹介サイトで「木尾士目の子育て体験を下敷きにした辛口の育児漫画」というような感じで紹介されていて、ちょっと興味を持って買ってみました。
(あたし自身は大きい子供がいてもおかしくない年齢の中年男性ですが、結婚経験はありませんし、もちろん子育て経験もありません。そういうスタンスで以下を書いていきます)
数年前くらいでしょうか。「子育て本」が本屋さんに溢れかえってるころがあって。「ガキをこしらえたタレント、物書き、漫画家はみんな子育てエッセイを書くように決まったのか?」と感じた事があります。そしてここ数年「少子高齢化」が叫ばれるようになってきて。マスコミさんも婚活情報とかかすまびしいですな。
あたしはこういう時代の流れ、笑止!だと思ってるんですけど。
この時代。人々がバラバラに切り離され、それぞれのエゴを、欲望を追いかける事が良しとされている時代。孤立してしまった人々がそれぞれの欲望にかまけて生きている時代。
それはたぶん「消費社会」の要請で。つまり、人々が自分の個人的欲望を追いかけている時代だからこそ、消費は大いに拡大している。経済は大いに拡大している。それは“エコノミカル・コレクト”である。そういう時代であると私は思っています。
人々は地縁血縁、つまりご近所さんや家族といったコミュニティから切り離され。それは人々をそういったものの“くびき”から解き放つ事でもありましたが、また一方それが与えていた“自我の安定”を失う事でもあって。
それは個人の自我を最大限にブクブクに膨らませ、己の欲望を解き放っていく生き方を助長する事であり。また、地縁血縁といったコミュニティが与えていた“自我の安定”を失ってしまった人々は、消費による“自我の安定”を求めるようになり、それによって経済活動、消費社会は発展していったと。
それをもって私はこの近現代の時代の流れを“エコノミカル・コレクト”な事だったと理解してます。
もちろんそういう時代の流れには弊害が起きてしまって。つまり、自己の欲望の実現を妨げるような“他者”の存在に人々は耐えられなくなってしまったと。
例えば“夫婦”だって。男と女がひとつ所にツラつき合わせて住んでいれば、どうしてもお互いの欲望の実現に対して衝突が起きますもの。譲り合わなきゃいけない局面が生じます。
そして、そういうことに現代人は耐え難い苦痛を感じる場合がある、と。そりゃ離婚率も高まりますし、だいたいハナから結婚しない人も増えます。
それ以上に大変なのが“子育て”かと。それこそ赤ん坊を育てるため親はたくさんの自己の欲望を犠牲にしなきゃいけないかと思います。それは現代人にとって極めて耐え難い事になる場合がしばしば発生すると。そりゃ子作りしたくなくなりますな。
ちょっと見方を変えれば、ですが。もちろん岸田秀のいうように、母性というのも人間にとっては本能ではなく幻想だとは思ってます。
しかし、それは人が社会を築いて生きていくために発明された大切な共同幻想でしょうけど。それを現代人は経済のため、消費社会の発展という目的のために安直に壊してしまったと。
さらに状況を悪化させているのがその地縁血縁といったコミュニティの崩壊のもうひとつの影響、つまりそれらが与えていたセーフティネット機能の崩壊かと。夫婦喧嘩を仲裁してくれたり、子育ての相談にのってくれる親戚やご近所さんもなかなかいない状態である、と。
これで少子高齢化が起こらないのが不思議なくらいです。
こういう状況を引き起こしてしまった“現代”に対する猛省もなく、少子高齢化の危機を叫んだり、やたらマスゴミが婚活を取り上げたりする現状。そして、小手先だけの対策しかとりえない現状に関して、私は「笑止!」と思わずにはいられません。
だいたい“DINKS”(“Double Income No KidS”-子供なしの共働き家庭)なんてもてはやしていたマスゴミと代理店連中はそれに対して猛省の弁とか述べてますか?“DINKS”なんて言葉が流行っていた頃、アホの私だって「子供がいなくなって人口が減って市場が縮小するのになして?」と思っていたものですけど。
けっきょく少子高齢化を憂いて見せているのは自分の手駒が減るのを憂慮している政財界の皆サマでございましょう。けっきょく自分のエゴのための心配じゃないですか?んで、財界の皆サマは安給料でコキ使える外国人労働者でも入れようかなんて考えていらっしゃるのでしょう。クソ喰らえと思ってます。
あたし個人としては少子化はいいかもしれないなと思ってます。人口が減れば環境負荷も減りますしね。あと、労働人口の減少に関しては定年をうんと延ばしてくれればいいと、体が動ける限りは働ければいいと思ってます。リタイアは死ぬ数年前くらいでいいかなと。リタイアしてポカ~ンとした人生を死ぬ前のちょっとの時間だけ過ごせたら、それでいいかなと思ってます。今みたいに60歳定年で平均寿命80歳、20年くらいリタイア後の人生があるのは長すぎるかなぁと思ってます。
あとは年寄りを働かせるいいシステムの構築でしょうか。最近パワードスーツが開発されつつありますけど、ああいうのも年寄りに仕事させるにはいいかなと思ったりもします。もちろん今の60歳はかつての60歳に比べてぜんぜん違うくらい元気なんでしょうし。
まぁ、つまり、現代の少子高齢化は我々が進めてきた“現代”の行き着いてしまった姿であると。それをパラダイムシフトさせない限り少子高齢化の根本的な解決はできないと。少子高齢化の解決より少子高齢化を前提とした将来の構築しかないと思ってます。
そして、大切な事は、結婚したい人はできて、したくない人はしなくていい世の中、子作りしたい人はできて、したくない人はしなくていい世の中であって欲しいなと思います。
あたし的には、そうですね、お互いずっと一緒にいたいと思う女性がいれば結婚したいけど、そう思う人(たいてい相手に嫌われますが)がいなければ、ひとりで生きていくのは仕方ないなと思ってます。そして、子作りには年齢的にもう遅いかなと思ってます。子供が独立する前に定年の年齢ですからね。それはとてもさみしい事だと思ってはいますが。
いや、思いっきり閑話休題。
まぁ、そう思っている人間である事を前提に『ぢごぷり』を紹介していきます。
『ぢごぷり』。たぶん、「地獄のプリンセス」の略みたい。「現代視覚文化研究会」という大学サークルを舞台にした作品をサークル名を略して『げんしけん』とした木尾士目らしいネーミングセンスかと。
プリンセスとは赤ちゃんのことでしょう。本書に登場する赤ちゃんは女の赤ちゃんです。だからプリンセス。(オムツ換えとかのシーンもあって、女の子はこういうお尻の拭きかたをしなきゃいけないのかと思いました)
んで、各章のタイトルは「地獄○丁目」です。もうそれだけで子育て苦労漫画の匂いが伝わってきます。
登場するのは双子の姉妹。姉が赤ちゃんを産みます。(もちろんふたりとも)18歳。3月のお話ですから、高校卒業直後かな。姉は中退したかもしれませんが、妹は学校には行ってないようですし。
そういえば、高校の同級生がいきなり中退した事があります。部活の仲間とそいつの家に行ったら赤ちゃんがいて。そのころその意味が解りませんでしたな。まぁなんてウブなあのころのあたし。
姉は苗字が変わってるので入籍はしたかもしれませんが、父親の姿はありません。姉妹はふたり暮らし。姉妹の親も父方の親も存在は不明ですし、まったく登場しません。電話でさえ。
ふたりはけっこうこじゃれた感じのアパートに住んでます。軽自動車ですが車もあって少なくとも妹は運転できるようです。だから経済的には豊かな方かと思いますが、大金持ちというほどではないようです。
収入源は不明。ただ、ふたりとも働いている様子はありませんから、何らかの仕送りで生活しているかと思います。
しかし、子育てを手伝う両親もご近所さんも登場しない(病院には行きますが)、父親もいない、つまり、ほんと、子育てを支援する周りの人がいないふたりだけ、しかも18歳、たぶん、子作りの覚悟もないままでの出来ちゃった婚、そういう状態での子育て。もう冒頭でハラハラ状態です。
ただ妹の方はちょっと思うところもあるようですが、赤ちゃんを歓迎していて、喜んで子育てを手伝いたいと思ってるし、手伝うのですが。そこは救いかと。
妹は家でもロリィタドレスを着ているタイプ。しかも、下着のシュミーズやドロワースからロリィタです。ま、あたしは家でもドレス着てるような人じゃないとほんとのロリィタの人とは思いませんが。もちろん事情があっての都合でドレスを着ていられないのなら仕方ないですけど。でも、家でドレスはめんどくさいと思ってドレスを着ない人ならその人はほんとのロリィタさんとは思いませんわ。
でも、ロリィタドレスで子守りは大変じゃないかと。メイド服ならいいかもしれないけど(違)
その、母親の姉が子育てに疲れてどんどん煮詰まっていく様子、それをけっこう可愛らしい絵柄でやってくれます。しかし、女の子は可愛らしい絵柄ですが、赤ちゃんは新生児のちょっと気持ち悪い感じをリアルに出してきています。
第1巻最後の時点で赤ちゃんが生まれてから3週間ちょっとしか経っていないんですが、だいぶ煮詰まっている様子。いや、逆にまだ子育てのリズムが出来てなくていちばん大変な頃なのかもしれませんが。
そういうお話ですから、作者の子育て体験に基づいていますが、そのままじゃなくて、それに基づいたフィクションというかたちのお話であります。
(以下さらにネタバレゾーンにつき)
18歳の女の子がふたりで新生児を育てる。それは未婚子育て経験なしの中年男が想像するにも大変だろうなと思います。
私の妹夫婦も甥っ子を夫婦ふたりで育てていますが。ただ、甥っ子が生まれてしばらくは妹は実家にいて、両親に助けてもらってましたし。
う~ん、ほんと、本作においてまったく両親の親は出てこないんですよね。それは普通ありえないかとは思います。赤ちゃんが生まれた直後だけでも両親の助けは得られないのかしら。せめて電話を時々かけるとか。もちろん子作りに両親は大反対して絶縁状態かもしれないという可能性もありますが。でも赤ちゃんが生まれたらせめて最低限の援助するものではないかと、ヒトとして。
ただ、ふたりは生活費は稼がなくてもいいみたいです。両親から仕送りはあるのかもしれない。いや、父親が他所に稼ぎに行っていて仕送りしてるのかもしれないけど。そこらへんの両親との関係は第1巻の時点では語られていません。
父親が不在というのもまだ第1巻の時点では事情がはっきりしません。第1巻の最後には、姉の夢の話として父親らしい男の子が出てくるエピソードがありますが。
ふたりが高2のころの話。父親らしい男の子はふたりの同級生みたい。姉とその男の子は美大受験を目指しているみたいです。妹の方は漫画家志望みたい。その高校は美大系受験に強い学校なのかな。だから姉妹は親元を離れてアパート暮らしをしながらその高校に通っていたのかしら。そんな感じです。
母親が煮詰まっていく様子も経験がないのでリアルかどうかは解りませんが、怖いです。夜中も何度も赤ちゃんの泣き声で起こされて、母乳をあげたりオムツを替えたり。目の下にクマまで作って。「こうしなくちゃ」と思ってることができなくて、「こうしかできない」状態に追い詰められてく部分もひしひしと胸に迫ります。
「まさに糞(クソ)ガキ」「ユメ(赤ちゃんの名前)ちゃんはハズレ」「かわいいと思えない」なんて思いつめていって。
やっぱり育児の経験のある親とかご近所さんとかママさん仲間とかいないと追い詰められていくのかなぁ。いても追い詰められがちだと思いますけど。
たぶん、そしてブチ切れて児童虐待に人は走るんだと思います。
私はこのブログで児童虐待を扱った小説、馳星周の『楽園の眠り』とかジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』とかについて書きましたが。抱え込み、溜め込んでいく鬱屈がやがて弱い家族への虐待に向かうというお話。
そして私はいじめられた経験もいじめた経験もあります。
だから、この展開、背筋をゾクゾクさせながら読みました。
今後、このお話がどう向かうかはわかりません。ふたりと赤ちゃんの関係だけで丸く収まるのか、姉(そして、妹もそうなるかもしれませんが)が両親の元に帰るのか。父親も戻ってきて一緒に暮らして穏やかな家庭になるのか。それとも強力な助っ人、ご近所さんかママさん仲間が現れるのか。
それとも児童虐待コースに走ってしまうのか。そして、そうなってしまっても立ち直れるのか。それとも最悪のコースに行ってしまうのか。あるいは福祉施設に赤ちゃんが収容されるような展開になってしまうのか
それはどうなるか解らないんだけど。
ハッピーエンドな展開になって欲しいと思う部分もありますし、ただ、私は、ダークサイドのおぞけをふるうような瞑い魅力も知ってますけど。沙村広明の少女残酷物語『ブラッドハーレーの馬車』や責め絵イラスト集『人でなしの恋』もゾゾ毛を震わせながら読みましたし。
しかし、まぁ、やっぱ、母親だけじゃ子育ては無理です。支援が必要だと思います。ただ、それは社会制度的な部分より(それも大切だと思いますし、それを整えるのは行政の義務だと思いますが)、人々のメンタリティ、心の持ちかた、文化といった部分でそれが必要だと思います。そして残念ながら現代はそれが喪われつつある、あるいは喪われてしまった時代だと思います。
人々がそれを取り戻せるか、それともこのまま滅んでいくのか、解らないんですが。
ま、滅びるなら滅びてくれと思ってますけど。
しかしほんと、Hはしても避妊はしっかりと思いますよ、ホント。
せんじ詰めれば本作は、「子作り礼賛」的なファンタジーの物語にあふれた現代において、あえて「リアル」な子育てを描いてそのアンチテーゼにしたいという目論見の作品を志向していたと思うのですが。「嫌リアル」を描こうとしたのでしょうが、ただ、逆の意味で「ファンタジー」な作品、たとえばいちばん大事なお金まわりの事、ふたりの収入源は?とかが「ファンタジー」になっている作品になってしまってるように見受けられます。
それが結論かなぁ。
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