« 『知に働けば蔵が建つ』 | トップページ | 美輪明宏の『毛皮のマリー』 »

2009/04/16

「経済という怪物」

詩をアップするのは久しぶりであります。
この詩自体はずいぶん前に書いてあったのですが。

ここんとこほんと、現代人は「経済の贄」であり、「消費する家畜」ではないかと思っています。
そして、人が作りし、人が良かれと思って作りし“経済”が人を苦しめる事もままあって。

「人はなんのために生きているか?」という問いに対する答はたぶん、「人は幸せになるために生きている」だろうなという事はちょっとは解ってきました。ただ、じゃあ、「“幸せ”はなんであるか?」はよく解らないんだけど。

“経済”も「人を幸せにする」事ができていればそれは善いものでありましょう。しかし、ここんとこ、えてしてそうでもないような気もします。
もちろん最低限の衣食住、それから医療とかを得られるだけの豊かさは必要最低限必要だと思いますし、世界にはまだまだそれすらも手に入らない人々が多いのも知っていますが…。

経済学関係のサイト、ちょっと覗いたりします。あまり良くは解らないんだけど。
この不景気に対するそういう人たちの解は、「経済を最大限成長させる」ためのものであろうと思います。しかし、それは、「人々を最大限幸福にする」ものではないかもしれません。
いや、そのことに反発しているのではないんですが。経済学者が経済学の専門家である以上、経済の最大限の成長を求める解を出してくるのは当たり前ですし。

ここらへん、どうだかなぁと思ったりもしますが。
でもやっぱり今いちばん私の気持ちを腐らせているのは潰れかけの勤務先と収入が減っていってるって事ではありますし。

いや、まぁ…。

「経済という怪物」

経済という怪物が暴れまわっている。
僕の目にも、奴が、血を噴出しながらのたうちまわっているのが見える。
こっちにやってくるのが見える。
その醜い姿が、だんだんと現れてきている。

かつて、人は、その幸(さち)をお互いに交換しあい、
お互いにその幸を愉しんだ。
やがて人は貨幣を発明し、経済を構築し。
人はより遠くに住む人が得た幸をも、愉しめるようになった。

しかしやがて幸は失われ、経済は空虚な数字の膨らましあいとなり。
幸を失った、ただ膨れることのみが熱狂をもたらす経済は、
その巨大なさみしさに耐えられなくなり、自壊してしまったらしい。

経済は、刹那の膨張の快楽と、その反動の収縮の痛みだけしか知らない、
怪物と化してしまっている。
いまや、経済は、その収縮の痛みのせいで、人々をなぎ倒しながら、
のたうちまわっている。

経済という怪物。俺はおまえを哀れみと哀しみと嫌悪と怖れの目で見る。

かつておまえは人が良かれと思い、創ったもの。
祝福とともに生まれたもの。
しかし、育ちすぎたおまえは、人の創りし物の宿命として、
怪物となって人びとを苦しめている。

経済という怪物がのたうちまわりながら、こっちにやって来る。
怪物に屠られる人々の悲鳴まで、耳に聞こえてくる。
怪物の犠牲者は、奴の牙にやられるのではない。
のたうち回る、その身体に押しつぶされて死んでいくのだ。
押しつぶされた人々の、ぐしゃりと潰れたその屍も醜い。

奴が近づいている。

私は立ちすくみ、逃げられずにいる。
なぜなら私もまた、奴の生贄にしかなれない、
経済の奴婢としてしか生きられないことを知っているから。
ただ立ちすくみ、もう少しの猶予をと祈ることしかできない。

|

« 『知に働けば蔵が建つ』 | トップページ | 美輪明宏の『毛皮のマリー』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 『知に働けば蔵が建つ』 | トップページ | 美輪明宏の『毛皮のマリー』 »