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2009/03/01

映像の地下水脈#11

昨日の土曜日はダブルヘッダーの日でした。
まず、第1試合。高円寺のMatching Moleさんへ。
かわなかのぶひろ先生の実験映画上映会、「映像の地下水脈#11」へ。

今回の上映作品は、
ゲスト作家として、島田量平さんの
「ragged film#1-3」(8mm→DV/15min/2008)
「dorothy(ragged film#4)」(8mm→DV/9min/2008)
そして、かわなかのぶひろ作品として
「私小説 完結篇」(8mm→16mm→DV/25min/1992)
それから、かわなか先生の新作が予定していた素材がなかったとかで今回はなく、ドキュメンタリー作品が1本でした。

医者に「体を動かさないと死ぬ」と言われてしまったので、久しぶりに高円寺まで歩きました。遅れるかと思いましたが意外と早くMatching Mole着。ややあって開演。

「ragged film」シリーズ。フィルムに傷をつけたり融かしたり着色したりしたものを再撮影したもの。再撮影の光源はろうそくの炎とか。ある意味もっとも“実験”映画的な作品群です。

普通、我々は、情報を盛る“器”、つまりメディアは無味無臭を指向すると思います。原音に忠実なオーディオシステムとか、原色を忠実に再現するAVシステムとか。
しかし、逆に、そのメディアをメタに遊ぶ、という趣向もまたありますよね。アナログレコードのノイズを愛でたり。そして、こういう風に、”映画”というフィルムのシステムを遊ぶ、ということ。

そうやって加工されたフィルムの、抽象的な色と形、その中に元のフィルムに残っていた具象的なイメージがふと現れたり。

「私小説 完結篇」は、「私小説」シリーズの6作目にあたるもの。かわなか先生が日常的に8ミリカメラを回して撮影された風景を再構成したものです。
こちらはストーリーではなく、断片的な風景のイメージの集積です。薄ぼけた8ミリフィルムの映像は、まるで記憶の風景のようです。

「完結篇」と銘打つ通り、かわなか先生の「私小説」シリーズは本作でおしまいなのですが、そのあと、総集編として再構成された100分超の「私小説」があります。

そして、今回予定していた素材がなかったということで、かわなか先生の新作はなく、かわなか先生の教え子さんが製作したドキュメンタリーの上映がありました。「映像と記憶」についてのドキュメンタリー。脳や心理の研究者から映画監督、映像作家までのインタビュー。

映像はそれ自体では意味を持たず、脳によって解釈されて初めて意味を持つということ。
そして、その解釈は、個人の経験の蓄積によるということ。
かわなか先生もご出演でした。かわなか先生はさらに個人の蓄積を超えた、“人類”としての記憶、言うなれば「通底する記憶」まで言及されていました。

これは前の“昭和歌謡”について書いた事とも関わりますが。“昭和歌謡”、私は昭和の人間ですから、昭和歌謡のころ、小さいころ、だから「懐かしい」と感じるのですが。あのころはうんと小さいか、生まれてなかったのではと思う年代の人も昭和歌謡を懐かしく思い、ライブで取り上げたりしています。そういったこと。

また、私も私が生まれる前の楽曲、懐メロを「懐かしい」と聴きます。
それはもちろん私が“歴史”の中に生きているためであり、人類の文化、そしてアジアの文化、あるいは日本人としての文化を受け継いでいるためでありますが。

そういったことを考えました。

という方向で、上映会を楽しんだあと、またホテホテと歩いて阿佐ヶ谷へ。

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