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2009/01/24

『エンドレス・ワルツ』

『エンドレス・ワルツ』(稲葉真弓:著 河出書房新社:刊)
読了。
先日、スーパーの店先でやってたミニ古本市で買った本です。だいぶ安かったです。小口にちょっと茶色いしみがあったせいかな?ま、読むには気にならない程度でしたし、ちょっと興味を持っていたので購入しました。
『エンドレス・ワルツ』、阿部薫と鈴木いづみをモデルにした小説です。

阿部薫、伝説のフリージャズ・ミュージシャンですな。鈴木いづみ、ヌードモデルや物書きをしていた女性。今でもファンが多いとか。そして、ふたりの熱愛。ふたりのことは昭和40年代のアンダーグラウンドカルチャーについて書かれた文章に頻繁に登場しますから、私も名前くらいは知っていますし、ちょっと興味は持っていました。
でも、阿部薫のCDとかの音源は持ってません。鈴木いづみの本も読んだ事はありません。書店で見かけるとちょっと手にとっては見るのですが。

という訳で古書市で本書を見つけた時は買おうかどうしようかちょっと悩みましたが。だけど、安かったし、やっぱり“あの頃”について知るには避けて通れない人物でもあるようですし。で、買いました。

読み始めて。

一人称形式の文章です。あれ、著者も阿部薫の恋人だった人なのかな?なんて思い込んで。そうするとちょっと文章が鼻について読み進められなくなりました。しかし、ネットで調べて、鈴木いづみ視点の一人称小説だってわかって、それからはあっという間に読み終えました。あまり厚い本ではありませんが。
手記かと思わせるくらい著者の没入度が高かったんだと思います。

あとがきによると、著者は阿部薫や鈴木いづみとは直接に会った事もないそうです。取材と想像で本書を書いたようです。
資料を充実したら書ける、検証可能は事実関係はともかくも、想像力で斬り込んでいかなきゃいけないであろうふたりのやり取りや鈴木いづみの内面描写はどこまで描ききれてるかどうかは解らないのですが。(もちろん本書はふたりをモチーフにした小説、つまり虚構ではありますが)
そして私は阿部薫の音楽も鈴木いづみの文章も読んだことはないから、ほんと、どれだけふたりを描き切っているかよく解らないのですが。でも、とても面白く読みました。

いやほんと、グイグイと読めました。こんなに没入するとは自分でもびっくりでした。
自分と正反対の生き方、そう生きることは自分にはとてもできないだろうなぁと思う生き方。また、こういう風に生きたいとも思いませんが…。
そして、こういう生き方を“衒う”女性は世の中にままいて。そういう女性には激しく違和感を感じる生き方なのですが。

でも、本書に描かれる鈴木いづみは“本物”のような気がして。“ハシカ型”じゃない、そう生きざるを得ない人生を生きているような印象を受けました。“本物”なら、シンパシーは持てるのでしょうか。

(以下、本書の内容に触れつつ書いていきますので)

本書は1978年9月のの阿部薫の死後、1986年2月から書き起こされています。
そして時間は1973年3月の鈴木いづみと阿部薫の出会いから、1978年9月に阿部薫がオーバードーズで死去して、そして、その後の事について。最後に時間は冒頭の1986年2月に戻り、鈴木いづみが自死を遂げる寸前まで書かれています。

鈴木いづみの生き方。一言で言えば「セックス&ドラッグ&ロックンロール」でありますか。夜、行きつけの酒場に出かけ、酒と麻薬効果のある錠剤をポリポリやりながら朝帰り。いろんな男と寝る(まだまだ当時は“処女”が嫁入り道具だった時代ですが)。そして、グループサウンズのミュージシャンの彼氏。しかし有名になっていく彼、やがて別れ。

そして阿部薫との出会い。朝帰りの公園で出会い、阿部薫の電話番号をたまたま受け取り。きっかけは間違い電話から。ほんとは阿部薫にかけるつもりじゃなかった。しかし、鈴木いづみの部屋にやって来た阿部薫は上がるなりいきなり彼女のベッドを占領し。自慢話、自慢のジャズ論をとうとうとまくし立てる阿部薫。そのまま彼女の部屋に居つき。ふたりの関係が始まる。

そして、愛憎ともに深いふたりの関係。

私は彼に言った。
「愛しているかどうかわからない。ただあなたを憎んでいることだけはわかる」
それでいいのだと彼は言った。「愛と憎しみは、常に同量なのだから」
(108p)

それは鈴木いづみの小指切断事件を起こし(このくだりだけは痛くてあまりうまく読めませんでした)。子供が生まれ、離婚し、しかし離れられずにまた一緒になり。ヤク中が昂じ、精神に異常を来たし、精神病院に入退院を繰り返す阿部薫。そして最後はオーバードーズで自死同然にこの世を去る阿部薫。そして、その死後も阿部薫の幻覚を見る鈴木いづみ。そして鈴木いづみ自身もストッキングで首を吊り、この世を去る、と。

その激しさ。たぶん、ふたりは境界性人格障害なのかなと思いますが。以前読んだ境界性人格障害についての本を思い出します。境界性人格障害を持つ人の対人関係の強烈な不安定さ、そして、その境界性人格障害と分かちがたくある「人を強く惹きつける力」と「芸術的才能」と。
(私みたいな素人が生齧りの知識でこういう精神病的なこと-境界性人格障害は精神病というより「性格の著しい偏り」だそうですが-を論じるのは良くないとは思いますが)

そして、境界性人格障害の心の底にある「基底欠損」ももちろんまた抱え込んでいると思ってます。“世界”に対する根本的な“信頼感”の欠如、それがもたらす深い虚無感。

だれかが、カオルのことを「アベ・マリア」と呼んでいた。女のように優しい顔をしているからだと。しかし私は、彼がたえず幻のマリアを求めていたのを知っている。彼は、自分の中にぽっかりと開いた欠如感だけに支えられて生きている、さまよう子供だった。(87p)

私もそれを抱え込んでしまっていると思います。ふたりよりははるかに軽いレベルだろうけど。それが本作に対するシンパシーの源かと。ただ、私は、「セックス&ドラッグ&ロックンロール」には行かなかったし、行けなかっただろうけど。

セックスはご縁なしだし、酒は呑んでもドラッグに行く勇気はないですし。ロックンロールはたまにライブハウスに行くくらいですし。そして何よりも私は人を惹きつける力もないし、芸術的才能もないし。いや、才能がないという以上にそれを突き詰めて求める衝動はないし。

鈴木いづみを相手に音楽の話を何時間でも続ける阿部薫。それは好きなアニメの話を何時間でも一方的にまくし立てられるオタクのメンタリティと似ていると思いますが。そして、私はオタク的なメンタリティの持ち主だとは思いますが。

そして、たぶん、鈴木いづみと私がいちばん違うのは“孤独”かと。
鈴木いづみの“孤独”への恐怖。

(阿部薫の没後も-BUFF注-)何度か、男とも寝た。もうだれかと暮らしたいと思わなかったが、身をすり寄せるものに飢えていた。孤独は嫌いだ。孤独は嫌いだ。孤独は薄汚い。一人でいると全身汚れていくような気がする。(133-134p)

残念ながら、私は孤独の中にいます。薄汚い孤独の中に。身をすり寄せるものに飢えている部分は一緒だと思いますが。ただ、私は、誰かと繋がる力がない、「もてない男」。孤独の暮らし、それに慣れてしまっています。そして、引きこもりを志向してしまいます。

で、若くてそこそこ見栄えのいい女だったら、セックスをちらつかせれば男だったらいくらでも捕まるんだろうなぁ、孤独を味わわずに済むんだろうなぁ、と思うと、ずるいや、と思ったりもしますが(苦笑)。そういう女性、憎むけど。でも、「愛と憎しみは、常に同量なのだから」かもしれない…。

阿部薫の伝説。自信家を気取り。鈴木いづみとの関係も最初そうだし。ステージをすっぽかしたり。何も演奏せずにステージを降りたり。そのケレン。その裏でさらに追い込まれていく阿部薫自身。伝説の虚構に彩られていない生身の薫自身、その弱さ。それに気づいている鈴木いづみ。そこらへんの機微も、嗚呼、そうだよなぁと思って読みました。

いや、とても面白く読みましたし、いろいろ考えさせられました。
買ってよかった本でありました。

ちなみに本作によると阿部薫と血液型はABで私といっしょみたい。
あと、作中に出てくる鈴木いづみの行きつけの(そして、彼女と寝たこともある)バーテンダーが寺山修司の歌集の初版を持っていて(紛失したようですが)、短歌の一節を口ずさむシーンがありました。寺山修司の名前は出てこないのですが、だからこそ気がついた時ニヤリとしました。
ちなみに寺山修司も血液型はABだったそうで。面白いものです。

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