『美代子阿佐ヶ谷気分』
『美代子阿佐ヶ谷気分』(安部愼一:著 ワイズ出版:刊)
読了。
本書の存在は漫画史とかを紹介している記事などでよく名前が挙げられていて、書名だけは存じていました。で、いつか読もうと思っていた作品でしたが、まだ手を出していませんでした。
先日、本書が映画化されるという話を伺って。また、ファンクラブに入っている三上寛さんもご出演というので、いよいよ読もうと思って手を出してみた次第です。
アマゾンで購入しましたが、腰巻に映画化のこと、紹介されています。
「当作品集に収録された作品は皆、私の青春残酷物語である。」(「若さゆえ-再版のあとがきにかえて」より)
という言葉が本書をひとことで表現していると思います。
あとがきによると安部愼一は福岡県田川市の生まれ。(私の故郷にも近いです)
高校卒業後、19歳の時に“美代子”さんを伴って上京し、阿佐ヶ谷で美代子さんと同棲生活を送りながら漫画を描いていらしたようです。
その生活をモチーフにしたのが『美代子阿佐ヶ谷気分』に収められた作品のようです。
いや、本書を手に取る前は私、『美代子阿佐ヶ谷気分』という長編漫画だと思っていたのですが。本書は短編集で、『美代子阿佐ヶ谷気分』というのは冒頭に収められた短編のタイトルでした。でも、本書には美代子さんをモチーフにしたらしい女性がいろいろな作品に出ています。
短編「美代子阿佐ヶ谷気分」は71年の発表作。短編集『美代子阿佐ヶ谷気分』のオリジナルは79年に青林堂から刊行されているようです。
タッチは黒が多め。そのせいか、画面が重くならないようにか、印刷は黒に近いブルーグレーで刷られています。
(以下、作品の内容に触れつつ書いていきますので)
「美代子阿佐ヶ谷気分」。“彼”が外出中で不在の彼の部屋での美代子の内的独白といった短編です。
寝坊してしまっただけで、仕事をサボろうとするちょっとルーズな暮らし。どこかけだるさを感じさせます。ラスト、涙を流しながら押入れをよじ登る意味がちょっと解らないんだけど。(お腹の中の)赤ちゃんを殺さないとと言ってるから、飛び降りて流産しようとしているのかしら?
収められた作品たち。
阿佐ヶ谷での漫画家仲間や大学生との交流、彼女との同棲生活。
青雲の志を抱いて漫画家生活、漫画論を戦わせたり、必死になって漫画を描くといった“熱血”的な部分はあまり感じられません。どこかけだるさ、ニューロティックさを感じさせます。
70年代という時代背景。
学生運動は挫折し、若者達は“社会”から“個”へと収縮していった時代。ひとつの時代が終焉した「けだるさ」もあったのかしら?上村一夫の『同棲時代』という作品もありました。
歌だと井上陽水の「傘がない」とか。世の中ではいろいろ問題があるようだが、僕にとってのいちばんの問題は、雨降りの今日、彼女に会いに行かなくちゃいけないのに傘がないこと。
「阿佐ヶ谷の彼の部屋であたし平和よ」(「美代子阿佐ヶ谷気分」扉より)
この台詞がそういう動きを表しているんじゃないかと。“学生運動”による“平和”は得られなかったけど、うんとミクロな“個”の、彼と私の暮らしとして“平和”であると。そういうことじゃないかな。
その“個”の時代の延長に今があるのではと。“社会”に対するどこか諦めの気持ちとか。また、あるいは“おたく”のメンタリティにも繋がっているのではないかと。
またそれは“お上”のたくらみだったかも。“社会”に目を向けさせず、それを解体し、バラバラの、御しやすい、“個”で人々があることを望んだのかも。
それとも消費社会の要請だったのかも。“社会”から“個”をバラバラにして、そして、ケージの中のブロイラーのように、1羽づつケージに押し込め、目の前の“消費”に邁進させるように仕向けるためだったのかも。
いや…。
しかし、同棲、うらやましいです。安部愼一は美代子さんを伴って上京されたようですが。
あたしには全然そういうのはないです。あったかいおまんこがすぐそばにあってヨォ、オデもシヤワセに暮らしたかったヨォ…。
ただ、やっぱりどこか、ヒリヒリとした感触はあって。それはセックスのかたちで作品中に表れたりします。
連れてきた友人と彼女とセックスさせて、それを眺めたり。嫌がる彼女のアナルに無理やり突っ込もうとしたり。彼女に寝る時は裸でいるように命じたり。遊びに来た彼女の友達と、彼女の目の前でセックスしたり。
ただ、本作中で描かれているセックス、フェティッシュ的にと言えばいいかな、何となく私の琴線にも触れます。
私も同棲していたら、友達と彼女とセックスするのを眺めたり、アナルに無理やり突っ込もうとしたり、アパートではいつも裸でいる事を命じたりするかもしれません。
また、情事の後、ちり紙で(当時はティッシュなんて一般的じゃなかったんだよなぁ)自分の始末をする女を眺めたり。自分で彼女の始末をしようとしたり。
あと、気がついたのが、安部愼一ご自身ががモデルになってると思われる人物が作品によって色々違う、というところ。
細面の優男に描かれている作品もあれば、えらの張ったごつい顔つきに描かれている作品もあり。ヒゲがあったりなかったり、眼鏡をかけていたりいなかったり。ここらへん、セルフイメージっていうのはある程度の試行錯誤を行いつつも、ある程度のベースラインというのがあって、そして、統一を図るものかと思っていたのですが。
さて。本作の持つ“空気”、どれだけ映画版に現れているか興味津々です。
映画版『美代子阿佐ヶ谷気分』では、短編『美代子阿佐ヶ谷気分』だけじゃなくて、本書に収められた様々な作品をいろいろとモチーフにしているそうです。
どうやらいい出来のようであります。
楽しみに一般公開を待とうと思ってます。
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コメント
追記ですが。
映画『美代子阿佐ヶ谷気分』のほうの感想はこちらへ
http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2009/07/post-e01c.html
投稿: BUFF | 2009/07/05 21:40