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2008/10/28

ジャック・リゴー『自殺総代理店』

081028 『自殺総代理店』(ジャック・リゴー:著 亀井薫・松本完治:訳 エディション・イレーヌ:刊)
(一応)読了。ざっと眼を通したぐらいで、どのくらい理解できたかは自信がありません。

三上寛さんの歌に『リゴー遺稿集』というのがあります。ライブでも時々演奏されるし、音源も持ってます。「人生は途中で終わらせるにも値しない、だから生きていこう」というようなくだりのある、「ネガティブな事にポジティブ」なかんじの歌です。好きな曲、というより、気になる曲、という感じの位置づけかな?自分の中では。

この、『リゴー遺稿集』という本が実在するか、それとも三上寛さんの創作なのか、疑問に思いました。ネットで検索すると『リゴー遺稿集』というのはどうも実在するっぽいのですが。名言とか集めたサイトに「ジャック・リゴー『遺稿集』より」というのがいくつかありました。でも、『リゴー遺稿集』という書籍そのものを紹介したサイトは見当たらなくて。だから、現在、『遺稿集』が書籍として手に入るかどうかはずっと解らなくて。

あるマイミクさんとのやり取りで、やっと本書の存在を知りました。出版元はエディシオン・イレーヌ。エディシオン・イレーヌさんのサイトはここ です。

書名と版元が判ればあとはAMAZONにでも発注しようと思ったのですが…。AMAZONで検索すると本書は出てはくるのですが、現在扱いはないようです。AMAZON仲介の中古はあるようですが。新刊価格が1900円+税なのに対して中古価格は4千円台半ば。倍以上の価格をつけています。

試しにbk1の方でも調べてみました。こちらは2~3日での発送。ただ、注意事項として「他書店と共有の卸業者在庫を使用しているため、品切れになる場合もあり、必ず2~3日での出荷を確約するものではありません。」とありました。

ちょっと悩んだのですが、結局、アパートの近所の品揃えの異様にいい個人書店で探す事にしました。寺山修司の『あゝ荒野』新装版とか、去年のヤン・シュヴァンクマイエル展のカタログとか、『寺山修司劇場美術館』とか、大型書店じゃないと見つからないような本も置いてあるので、意外と在庫があったりして。…いや、やっぱり置いてなかったです。ま、そのまま書店発注にしました。

店員さんに、「通常の発注ルートで発注できないので、納期がしばらくかかる」と言われましたが。今すぐ至急に欲しい本じゃないし、しばらくは待とうと。いや、来月の給料が出てからのほうがありがたいし。しかし、来月の給料日前に無事に本書は届きました。

つうか、通常の在庫がある本で、書店ルートで新刊で手に入る本なのですね。それなのにAMAZONの中古で新刊価格の倍以上の値段がついてます。
転売屋から買ったりしないように、ご用心。…つうか、転売屋の目ざとさに舌を巻きます。
フィギュアとかプレミアチケットだけじゃないんですね、転売屋の暗躍ジャンルって。

いや、閑話休題。本書に戻りましょう。

本書はトータルで120ページぐらいの薄い本です。レイアウトも上下左右の空白が広いです。詩集っぽい感じ。そのうちリゴーの文章は半分強。あとは冒頭にアンドレ・ブルトンの『黒いユーモア選集』からのリゴー紹介文、そしてリゴーの文章のあとに訳者によるリゴーの年譜とジャック・リゴーについての解説という構成になってます。

ジャック・リゴーはダダイズムの人、つまり、ダダイストだったようです。ダダイズム、よくわからないのですが。

Wikipediaによるとダダイズムは、「第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想 を大きな特徴とする。」芸術思想・芸術運動のようです。第一次世界大戦をきっかけとする虚無の思潮とすると、ここらへんの起こりは「ロスト・ジェネレー ション(迷子の世代)」によく似ていますが。どういう関係があるのでしょうか?

ジャック・リゴーはフランス人。解説によると裕福な家庭に生まれ、エリートコースを歩んでいたそうですが。大学在学中に第1次世界大戦勃発。リゴーは兵隊にとられ。地獄を垣間見て。(解説によると第1次大戦当時、フランスはその人口の2割が召集され、その3/4が死傷したそうです)
そして、虚無にとりつかれ、ダダイストとなったようです。

リゴーはダダイストではあったようですが、アーティストとしての作品はほとんど作っていないようです。つまり、まとまった書物とか、絵画、彫刻、音楽等は作っていないようです。本書もリゴーが遺した断片的な文章、エッセイ風のとか、アフォリズムとかの寄せ集めという体裁です。

ある芸術運動の人で、あまり作品は作っていない。というのにちょっと興味を惹かれます。その運動自体には大きく影響を与えたのでしょうが、作品は残していない、作品を作る人ではなかった、という点に。いろんな芸術運動の中で、そういう立ち位置の人って結構いたのでしょうか?作家に影響を与えたり、作家同志の出会いの仲介をしたり。そういうかたちでその運動に影響を与えた人もいたのでしょうが。ま、残っていくものが作品である以上、そういう、作品は残さなかった人は埋もれていくのでしょうか。

いや、思うのですが。ダダイスト的な境地が、虚無が、極地に達すれば、作品は拵えなくなるのかもしれません。解説もそう理解しましたが。そこらへんの機微は何となく解ります。まだ作品を作ろうとするならば、作品を作っていく気持ちが残っているなら、その人は虚無に呑まれきってはいないはずですもの。作品を作っていくということは、人と、世界と、“繋がろう”とする気持ちだから。

リゴーは、ダダイズムに係わり、ダダイストたちと交流していた部分で、繋がっていた部分で、まだ虚無に呑まれきってはいなかったでしょうが。でも、その虚無ゆえに作品を残そうとする気持ちはあまりなかったのでしょうか。それでも少しは作品を発表し、書き溜めた原稿も死後見つかったと。まだかすかに希望は残っていたのかな。でもその希望も生前のリゴーのとっては自己嫌悪の対象だったのかもしれません。その気持ち、何となく解らないではないですが。

虚無、そして、それがもたらす倦怠。それがリゴーを覆っていたようです。それはほんのちょっとだけ、かすかにだけど、私にも理解はできます。
ただ、私が、どこまでリゴーの書いた文章にシンパシーを感じたかは疑問ですけど。でも、また、リゴーのアフォリズム集のページとか、よく解らないけど何か琴線に触れた部分もあるけれど。

リゴーは30歳でピストル自殺を遂げたとか。そして、自殺用のピストルを常に枕の下に入れていたとか。また、ダダイズムに入る前にいちどピストル自殺をしようとしたけど、不発だったとか。
まだ30歳。人生を見限る歳じゃないとは思いますが。でも、それだけ虚無が深かったのでしょうか。いや、そしてそれは、たぶん、それは逆に若さゆえの虚無のような気もしますが。

気になる文章がありました。

まだ自分を殺していないが。心残りがひとつある。何かを巻き込むことなしに、おさらばしたくない。去りぎわには、聖母マリアを、愛を、もしくは「共和国」を道連れにしたいものだ。(79p)

これは、例えば米国の銃乱射事件の犯人とか、日本でも多発している通り魔事件のメンタリティに繋がるかと思います。銃乱射事件の結末も犯人の自殺で終わる場合が多いですし。「刺し違え願望」とでも呼ぶべきものかな。もちろんリゴー自身はひとりで逝ったのですが。

『ライ麦畑で捕まえて』の主人公の少年は、作中、時々、悪漢と刺し違える自分を夢想します。そこらへんの機微、何となく理解します、というか、彼にだいぶシンパシーを感じるのだけど。
『ライ麦畑~』の主人公の刺し違えの相手は悪漢ですが。ただ、これも私の大好きな映画、『タクシードライバー』の主人公、トラヴィスになると、シークレットサービスの守る大統領候補を暗殺するのも、ジョディ・フォスター演じる少女娼婦を助けるためにヤクザの仕切る娼館にひとり殴り込みをかけるのも、彼の中では等価でした。

虚無、そしてそれのもたらす倦怠。刺し違え願望。それは今の日本、いや、世界を覆っているのかもしれません。そしてそれは第1次世界大戦後の虚無、ロスト・ジェネレーション、ダダイズムの時代、「ポスト・モダン」のありようから連綿と続いて、今、大きく、闇の花として開花しようとしているのかもしれません。

よく考えたら自爆テロなんて典型的な「刺し違え」ですものね。よくあれだけ志願者が出ると思いますが。自爆テロ、銃乱射事件、そして通り魔事件。それはメンタリティにおいて繋がっているのかもしれません。まぁ、自爆テロにはイスラム原理主義という大きな柱がありますが。でも、「現世に対する深い絶望」は持ってないと自爆なんかできないと思います。(そして、イスラム原理主義が「来世に対する希望」を与えて、だから死に赴ける、と)
そして、銃乱射事件、通り魔事件は「柱の喪失」が原因かと思いますが。

しかし、ジャック・リゴーはイケメンさんで、ジゴロみたいな暮らしをしていたようですが。そこらへんはキモメン、「もてない男」のあたしとしては好感度はぐっと落ちますわな。まぁ、作品は残さなかったけど、「自分自身が自分の作品」だった人なのかもしれない。そういうタイプの人って、ゴス系のイベントとかでよく見かけます。

なんか本書にあまり触れず、本書から発想した事ばっかり書いてしまいました。
ブックレビューとは呼べない文章ですが…。でも、そういう文章を書かせる力が本書にはあったと思います。

おススメかどうかは疑問ですが…。もし興味があればお読みくださいってところですか。私自身がまだどれだけ理解したか解りませんし。そして、虚無と倦怠に囚われてない方は無理して読む必要はないかもしれません。

そして、転売屋みたいな必死こいて小遣い稼ぎに精を出している人間も読む必要はないです。そういった皆さんはまだ現世に希望を持っている、だから欲深くなれるのでしょうから。

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