『幸せのカタチ』
『幸せのカタチ』(三角みづ紀:著 ふきのとう書房:刊)
読了。『オウバアキル』を読んで、これで三角みづ紀さんの本、2冊目です。
『オウバアキル』は詩集ですが、『幸せのカタチ』は三角みづ紀さんの25歳までの自叙伝エッセイです。詩もところどころ挟み込まれています。
読むのが速い人なら小一時間ぐらいで読めるくらいのボリュームです。あたしはもう少しかかりましたが。
みづ紀さんの生い立ち、、自分の容姿へのコンプレックス、いじめられていたこと、家族のこと、恋人のこと、体の病のこと、心の病のこと、そういう事がつづられていました。
何とはなしに自分に引き比べつつ読みました。
太っていることのコンプレックス、自分が醜いという想い。それは私も筋金入りのデブとしてシンパシーが持てます。いじめられていたこと、私もいじめられっこでしたし、そのくだりはヒリヒリとした感触と共に読めました。
たぶん、みづ紀さんは“自己否定のトゲ”が心のどこかに刺さっている方かと。そこにシンパシーを感じるのかなぁと思います。
でも、みづ紀さんは家族との絆が深くて、姉妹仲がよくて、親友もいて、恋人もいて。
その部分、いじめとかに遭いつつも、心や体の病気に遭いながらも、「人を好きになる気持ち」「人と繋がろうとする気持ち」を持っていたことが、みづ紀さんの詩の、凄惨だけど、痛みを感じるけど、芯には暖かいものを感じる、心に届くものを持っている、そういう魅力なのかなぁと思いました。
私…。親友は持てなかったと思います。恋人なんておもいのほか。
私はこうやって文章をいろいろ書いていますが、はたして私は誰かの心に届く言葉を紡げる力があるのかしら?そう自問しました。
とても良くして頂いている方もたくさんいるのですが。どうも私は人と繋がる力が弱いようです。誰かと居て心から寛げるということがありません。どうふるまっていいのか戸惑ったり、そんな感じで楽しい集まりでもすぐに疲れてしまって、「帰る」と言い出してしまいます。
特に女性が相手だとね。ちょっとした事で拒絶されていると思い込んだりして。で、「ほんとは俺のこと嫌いだろ!俺のことキモいと思ってるだろ!!」って自分からちゃぶ台をひっくり返してしまいます。はぁ…。
両親に虐待されたという経験はありません。むしろ甘い両親だったと思いますが、どこか両親とはギクシャクとした感じがしていました。東京に出てきたのはそれにいたたまれない結果であったと思います。
家族に、そして故郷に、アンビバレントな感情を抱いています。好悪ともに深く。それを何とかしないと自分の中にほんとうの安息はないと感じていますが。それもそろそろ手遅れになりつつあるとひしひしと感じています。
あたしだって人と繋がりたい、誰かに愛憎を注ぎたい、そして相手に“承認”されたい、そういう願望は持っていますが…。どうもうまくいきませんねぃ。
ま、喪男なんでしょうね。とにかく「喪男の鬼畜ルート」に陥ることだけは避けないといけないと思ってます。
いや、本書の感想を書こうと思ってついつい「自分語り」になってしまいましたな。
本書はそうボリュームのある本ではないですが、自分の事をいろいろ考えさせてくれる本でした。私はもう一度生まれるには手遅れの年齢になってしまってますが。
ま、それでもちょっとづつでもいい方向に行きながら残りの人生を生きていければと思いますが…。
| 固定リンク | 0
« 『リアルのゆくえ』 | トップページ | 映るよっ! »
コメント