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2008/09/18

タスポは作らない

7月からタスポ制度が始まって2ヵ月半を超えましたが。とりあえずはタスポを作る気はありません。買いだめでしのいで、どうしても不便だったら作ろうかなという感じです。
とりあえず今のところは不自由はないです。買い置きの残数に気をつけていれば大丈夫。タバコはコンビニと会社の近所のオバチャンのタバコ屋さんで買ってます。せっかくだからタバコ屋さんメインにしようと思ってます。
ただ、そのタバコ屋さんのオバチャン、ちょっとまとめ買いするとすぐに使い捨てライターをおまけにつけてくれるので心苦しいです。まぁ、JTから援助が出ているのかもしれませんが。

タスポをつくりたくない理由ですが。

前にもちょっと書いたけど、住所氏名年齢顔写真まで晒して登録するのは怖いです。「喫煙者」としてお上に登録されるのは怖いです。

前にもちょっと書きましたが、ある日突然「禁煙指導員」が私の部屋をノックしたり。
そこまでは行かなくても、「禁煙してください」なんてお上からダイレクトメールが届いたりして。そして、そこには、「あなたがどのくらい税金を無駄遣いすることになるかお解かりですか?」なんて書かれていて。

その場でタスポを作ってくれて、登録に使ったデータ類はその場で破棄してくれるというシステムなら作ってもいいのですが。(もちろん自販機側で読み取った私の個人情報を蓄積するシステムというのも可能でしょうけど)

しかしタバコ1箱千円ですって?特定の嗜好品に狂ったような税金をかけるというやり方に誰も何かおかしいと思わないのかしら?ネット上での発言を見るとむしろ歓迎論のほうが多いようですし。ほんと、タバコのみがスケープゴートにされているような気がします。

前に書いた内田樹の『女はなにを欲望するか?』の一節ですが。

欲望がありながら、倫理や慣習がそれを意識し表現することを固く禁じているとき、人はその欲望を迂回的に表現した物語を必要とする。都市伝説はそのような欲望が要請した物語群である。(内田樹『女はなにを欲望するか?』149p)

この理論を応用すれば、ですが。

人は差別する動物であると思ってます。本能的にそういう対象は必要なのかもしれません。もちろん「差別をなくそう、仲良くしよう」と活動している人たちのなさっている事を否定するつもりはありません。そういう人たちを尊敬しています。だからこそ、「差別する動物、嫌悪する動物」である人間だけど、その差別意識、嫌悪意識は押えられていると思ってます。
そして人種差別、民族差別、宗教差別、性差別、障害者差別など、かつての差別がだんだんとなくなってきていているとは思ってます。そしてそれはとても良い事だと思います。

ただ、どこか頭の片隅に「人は差別する動物である」ということを引っかけておきたいと思ってます。自戒を含め、あるいは他者の行状を分析する視点として。
そして、人は、「差別する動物」であるならば、その本来持っていた「差別したい」という衝動は、差別が解消されつつある現代社会においては、パラドキシカルに強く抑圧されていると思います。そしてそれがタバコのみ差別に転嫁してきているのでは、と思うのですが。

もちろん、喫煙習慣は人が生来持って生まれたり、事故等によって不本意に負ってしまうものではありません。また、喫煙者には「副流煙」、「医療費に負担をかける」という実害が発生していると主張できます。そして、「禁煙すればいい」のに、それをしないだらしない連中と思うことができます。そういう連中なら差別してもいいんじゃないかと人は無意識レベルで思っていて、だから喫煙者を攻撃するのではないかと思っています。

ただ、攻撃している彼らには「差別している」という意識はないんじゃないかな?「差別」はいけないことだと刷り込まれていますから。そして、差別と意識していない差別ほど厄介なものはありません。彼らは「正義の側の人」であると自認しているでしょう。

もちろんこれは正当なる展開だと思うのです。「差別する事」は“異質”なものに対する拒否反応で、それはまた逆に言えば自分と“同質”なものに対する絆を深める行為です。

「私」のリアリティとは、つきるところ「他者による持続的承認」によってのみ支えられている。(内田樹『女はなにを欲望するか?』126p)

ものですから、人が求める「(同質と思う)他者による持続的承認」を深める、絆を深める行為となりますね、“差別”は。だからこそ、「人は差別する動物である」と思うのです。

もちろん、ネット右翼なんてのもいて。他者の異質性をあげつらい、差別し、嫌悪し、口を極めた罵りをネット上に書き込む人たち。そういう人たちも同じリクツかと思います。
ただ、嫌煙家にも好きな方がいるし、そういうのはしかたないと思ってます。それこそ“本能”だもの。

そしてまた、“嫌煙”はもうすっかり“文化”として定着しています。

例えば、黒人差別が当たり前の時代のアメリカ合衆国。黒人差別がナチュラルだったころ。人は“差別”している自分を自覚できなかったでしょう。そのほかの部分については“よき隣人”であったと思うのですよ。“嫌煙家”が、それを除けばいい人たちであるように。良くして下さっている方も多いように。
善き人たち、でも、黒人が「white only」と書かれた場所に入ってくると、その時だけ眉をひそめる、激怒する。そしてそれを当然の心の動きと思っている。

それを例えば公民権運動の人に「それは差別であるよ」と言われても、そういう人は最初は「お前はなにを言ってるんだ?」と、言われてる事すら理解できないかと。公民権運動が拡がりを見せて、そういう考えが“浸透”して、やっとこさ「これは差別である」と自覚できたんじゃないかな?嫌煙運動もそういうものだと思ってます。

そう、“浸透”っていう考え方。ある考えが“浸透”し、“感性”として血肉化される。それが恐いです。リクツで頭に入ってきたものなら、まだ自分の中で検証できますが。気がついたら血肉化されてしまったものはなかなか取り除けないもの。

また逆に言えば、街中で普通にタバコをふかすのが当たり前だった時代が例えていえば“黒人差別”の時代で。「これっておかしいんじゃない?」と言い出す人がいて、そして、それに、「副流煙による健康被害」という説が広まり、喫煙者差別が始まった、と。

ま、黒人差別では「人は肌の色に関わらず平等」という所に落ち着きましたけど。この、喫煙者差別化は、黒人解放運動でいえば、ブラックパンサーあたりの「Black is beautiful」という方向に行ってしまったのではないかと。「非喫煙者は正しい」ってね。

まぁ、そういうのが、「時代の振れ」なんじゃないかと思ってます。でも、私はその“振れ”になじめないだけかもしれません。

そして、喫煙者が差別対象なら、彼らは常にある程度は目につく場所に置かれなければならない。だから、この嫌煙運動は、「禁煙法」とか行かずに、喫煙者の存在を認めつつ、どんどん締め上げる方向に行っていて。
煙草ひと箱千円にしようと、喫煙場所を厳しく狭めていこうとも。(喫煙場所を狭めていって、喫煙者が我慢できず禁煙場所で喫煙すれば、また喫煙者を攻撃する口実もできますしね。)

しかし、こうやって喫煙者を攻撃していって、喫煙者がいなくなったとしたら、こんどは何を差別対象にするのでしょうか?想像するだけでゾッとします。

ほんと、世の中が嫌な方向に行かないように祈るばかりです。それか、いっそのこと、壊れ果ててしまって、もういちど造り直さなきゃいけなくなるようになってくれてもいいんですが。それとも滅んでしまうのなら、それが地球上に栄枯盛衰してきた種のひとつとしての“人類”の限界かな、だったらしかたないかなとも思います。もって瞑すべきかもとも。

ほんと、時代は動くもの、変わるもの、これからどうなるかちっとも解らないけど。

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