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2008/08/01

月刊PLAYBOY休刊

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080801-00000029-mai-soci
『<月刊PLAYBOY>09年1月号で休刊 部数が低迷』
とか。

日本冒険小説協会に入ったきっかけはPLAYBOY誌の内藤陳会長の連載でありますし。最初の出会いは学校の授業でしたが、開高健のエッセイを読むようになったのもPLAYBOY誌がきっかけでした。さみしいです。ただ、ここのところ買うこともなかったのだけど。

だいぶ前から総合誌という雑誌スタイルそのものが廃れてきたといいます。
私自身も普段は模型雑誌とか4コママンガ誌とかミリタリー雑誌とかパソコン雑誌とか専門誌を読むタイプの人間でしたし。最近は金銭的にきつい事もあり、購読している雑誌自体ありません…。

ちなみに何度か書いている豆知識ですが、月刊PLAYBOY誌は米PLAYBOY社からライセンスを取って発行されているので、アルファベットでPLAYBOYという誌名で、週刊のほうはライセンスがないので週刊プレイボーイというカタカナの誌名であります。

月刊PLAYBOYを買ったきっかけはやっぱりヌードグラビアがお目当てでした。あのころはヌードの載っている雑誌を買うのはドキドキで、目隠し用に他の本と一緒に買ったりしたものですが。今ではエロ本でも平気で立ち読みしますな。歳をとったものです。

ドキドキしながらヌードグラビアのページを開いて、んでまぁ落ち着いて(何をして?)、会長のページとか開高健のエッセイを楽しんで。
そうですね、PLAYBOY誌はヌードからアラファト議長とか当時のリーダーのインタビュー記事まで載っていて、オトナの総合誌というの感じがして好きでした。オトコたるもの硬軟両方に精通しなければ、なんてね。

もし、「あなたの人生に最も影響を与えた雑誌を挙げよ」と訊かれたら、迷わず月刊PLAYBOYと応えるでしょう。

会長と出会い、日本冒険小説協会に入会し。そして、故郷でいろいろドジを踏んで行き詰った時、最後の御縁はこれしかないと上京しました。会長を始め、日本冒険小説協会の仲間にはだいぶ助けられましたし、ご迷惑もかけてしまいました。
皆さんからはいろいろ教わりました。たぶん、普通の人なら普通にできてる事も、それすらもできなかった私でしたから。いろいろ教わって助けられたと思ってます。

上京した事が自分によかったことなのかどうかは判りません。今の東京での暮らしがうまく生きられているとは思いません。
しかし、故郷にそのままいたら、追い詰められて自殺していたかもしれません。
いや、ひょっとしたら、故郷にいたまま、追い詰められた中から何か道を見つけて、上京するよりはマシな人生を歩んでいたかもしれません。

ま、人生と博打には「たら・れば」は禁物でありますし、あの頃はああするしかなかったのだと思ってます。そうじゃなきゃ今までの人生無駄足だった事にもなりますものね。

ほんと、ここんとこずっと買っていなかったし(ヌードもだいぶ前から和モノへと嗜好がシフトしました)、今となっては残念でありますが。月刊PLAYBOY誌には心からありがとうをいいたいと思います。

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