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2008/06/12

三上寛ベストアルバムを聴きながら

昨日、三上寛さんの『小便だらけの湖』の歌詞を引用したので、『小便だらけの湖』が収められている『三上寛ベスト・アルバム』を久しぶりに聴いてみました。

えぇっと…。引用した歌詞は間違っていました。ごめんなさい。
歌詞の番を入れ替えたり、つぎはぎして、自分の中で改変していました。
たぶん、自分の気持ちに合うように。
ほんと、記憶の改変というのは当たり前のように起こります。

『三上寛ベスト・アルバム』には「ピストル魔の少年」という曲が収められています。
連続射殺事件を起こしてしまった永山則夫に思いを寄せ、事件を起こしてしまった事を悼んだ歌。

Wikipediaによると永山則夫は悲惨な境遇で育ち、不遇な中、世の中を怨んで、ルサンチマンで人を殺めてしまったようです。もちろん、今の時代、だいぶ豊かになってるから、永山則夫のような生い立ちを過ごしてしまう人はまれだと思いますが。

そして、永山則夫にしろ“彼”にしろ、犯してしまった罪は決して許されるものではないし、逆恨みという部分が大きいかと思います。
そして、何よりも、直接には何の関係もないのに犠牲となった方々の苦痛と無念を考えると、哀悼の思いと、犯人を許せないという思いもありますが。
でもやっぱりなぜそうなってしまったのか、と。思います。

「誰がこんなに君を苦しめ、君を追い込んだ」(「ピストル魔の少年」)

しかし、『三上寛ベスト・アルバム』を聴いていると、まったく古びた感じがしません。
怨歌(フォーク)のスピリットはまだ現代においても存在していると。いや、30年の時を超えて復活しつつあるのではと思うのです、今。

30年以上前、日本はまだまだ貧しくて。それに苦しみ、怨歌の誕生する土壌となった、と。
しかし、あの頃はまだ“希望”があったような気がします。今日より明日、私たちはもっと豊かになっていると。
しかし、現代、環境問題や資源枯渇問題の例を引くまでもなく、どうも今の時代はゼロサム・ゲームの様相を呈していて。限られたリソースの奪い合い、そして、富める者はさらに富み、貧しき者はさらに貧しくなる、小数の“勝者”と多数の“敗者”を生み出すシステムになっていって。そこには“希望”はありません。

そして、追いつめられた敗者はルサンチマンルートに入ってしまい、怨みつらみが暴発してしまう、と。そういう事件がまだまだ続くと思います。

先日の事件に関してmixiやネットの書き込みを見ると、ほんと、犯人を口を極めて罵るものが多くて。それは悪いとは言いません。何しろ“彼”のしでかした事は絶対的に許せないことです。それは解ります。
ただほんと、少しは“彼”のことを慮る部分もあってもいいのではと思うのです。
ひょっとしたら“彼”が凶行を起こすところまで追いつめられてしまったのは、人々のそういうメンタリティからかもしれないと思うのです。

非正規雇用者の増加。正社員だっていつリストラで首を切られるかわからない。そんな世の中。人は抑圧され、金儲け第一、“経済”がのさばる世の中。格差社会。
人が生まれるのは、人が生きていくのは、「経済の生贄」になるためじゃありません。
人が生まれ、生きていく目的は、「幸せになるため」です。“経済”はその手段にすぎません。もし“経済”が人を苦しめているのなら、“経済”と戦わねばなりません。“経済”をやっつけ、“経済”が人を幸せにするように飼い慣らさねばなりません。残念だけど、今の世の中、それができていないようです。そして、自分もそれはできないと思っています。

「人は幸せになるために生きていく」という認識ができていたら、軸足がぶれる事はないと思うのですが。でも、どうすればいいかは解りません…

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