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2008/06/25

家族、個人、仲間

ちょっと前、あるチェーン居酒屋が切り捨てて不払いにしていた時給分の賃金を支払ったというニュースについて、こことmixi日記に書きました。コピペなのでほぼ同一内容なのですが。他の方がそのニュースについて書いたmixi日記のほうで面白い、ちょっと考えさせる動きがあったので、それについて考えてみた事を書きます。

その、ちょっと驚いた部分ですが。

結構その居酒屋チェーンに対して味方をする書き込みが多いってことでした。
「そういうのはどこでもやってる」というような論調が多かったように見受けられます。もちろん「どこでもやってる」から「そこでやっても」悪くはないという事は言えないのですが。

もっと調べてみて、そういう居酒屋とかのサービス残業は無くすべきだと思います。でも、今の安い居酒屋はそういう勤務体制でその安さと品質を維持している部分もあるということも理解します。私自身そういう安いチェーン居酒屋で飲み食いしたこともありますし。「安い安い」と喜んでね。

そういう話を脇によけてしまって書くということは念頭に置いておきます。

かつて、日本の会社は「家族幻想」を持っていました。そして、「家族幻想」によって社員のモチベーションを維持してきたのだけど。終身雇用制とか年功序列制ですね。労働者にとって最大の恐怖、解雇のことはあまり心配しなくていい。能力に自信がなくても長い間勤めていけば、そこそこに昇進し、給料も上がる。そういう先に対する安心と期待を持たせて、現在の仕事と給料のバランスに不満があっても、労働者は働いてきたわけです。

また、会社持ちの保養所、あるいは寮とか社宅とかもその「家族幻想」を強化させる装置として働いていたと思います。

しかし、それは変化していって。米国流の労働スタイル、「自分の能力に応じて好条件の勤務先に転職を繰り返す」「要らない社員は容赦なく首を切る」というのがいいのではないかとシフトしていって。「家族幻想」の会社が、「家族幻想」の中で安心していた、長年勤め上げてきた社員を容赦なくリストラしていって。
また、労働者も転職ブームが起きて、『DODA』や『とらばーゆ』みたいな転職紹介誌も創刊されて、また現在は転職サイトもたくさんあるようで。

会社と労働者の「家族幻想」は失われ、それに替わったのは「個人主義」「実力主義」による「自由競争」かと。会社と労働者のクールな関係。労働者は自己実現のため会社で働き、その会社に対する思い入れはその自己実現という「個人主義」の延長にしかない。

しかし、どうも「自由競争」はきついものらしいと人々は思い始めたようです。富の総量が右肩上がりに増えている時代だったらともかく、ゼロサム、あるいはマイナスの非ゼロサムゲームの現代において、その、「自由競争」はその限られたりソースの奪い合いに過ぎないと。
そして、自由競争は最終的には小数の勝者と多数の敗者を生み出すシステムでしかないと。最近の「下流本」ブームもそのなかにあると思います。

そこでまた、会社と労働者の『家族幻想』への回帰が始まっているのではないかと思います。そういう「自由競争」の敗者、あるいはそもそもそういうのに馴染めなかった人たちからそれは始まっているのではないかと。

件の居酒屋チェーンの総帥はカリスマ性の高い人物とか。居酒屋にビデオレターを送って、従業員に見せているようです(ちなみにビデオレターを見ている時間は勤務時間に入らないとか)。そういうカリスマのような、“尊敬できる”人物のもとで働くというヨロコビ。それが賃金の安さを超えるモチベーションとなっている、と。

そういう会社と労働者の『仲間幻想』の時代が始まりつつあるんじゃないかと思います。

先ほどから“幻想”という言葉を何回も書いていますが、それを否定してはいません。
その「幻想」が会社と労働者、双方にうまく機能していればいいとは思うのです。
まず、会社だって社員各自が思うように給料や労働量とかの「待遇」が与えられるわけじゃありません。そのギャップを感じる労働者を宥める手段は必要かと思います。

また、「働き甲斐」の問題もあります。人はなかなかカネだけで働けるものじゃありません。よほど給料が良くて、そのほかの待遇も良くて、「働き甲斐」なんて気にならない職場ならいいんですが、そういうのってめったにないです。あるいは、「働き甲斐」なんて気にならないくらい、仕事以外の私生活が満ち足りているか。そういう人もめったにいないでしょう。だから、なんらかも「働き甲斐」が必要です。

そうは思うのですが…

でもやっぱり、経営者が人件費を安く抑えるために自己のカリスマ性や「働き甲斐」を利用しているのであれば、そういう「仕組み」が見えてしまうのであれば、やっぱり嫌な気持ちがします。まぁ、“信仰“という物は、その仕組みが明るみに出てしまえばいやらしくなるものですが。

そしてやっぱりいけない事をやったらいけないと認めないといけないと思うのです。それを「家族幻想」や「仲間幻想」から庇い立てしてはいけないと思うのです。「そうしなきゃやってられない」というのも理解しますが…

それは企業不祥事へと繋がる道ですし。また、その「幻想」によって組織は容易に暴走してしまうかと思います。そして道を誤った挙句、会社が潰れたりするかと。いや、企業不祥事よりもそっちの方が良く起こりうるかと思います。

そこらへんのバランス、難しいかと…。

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