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2008/04/22

『思い出のなかの寺山修司』

『思い出のなかの寺山修司』(萩原朔美:著 筑摩書房:刊)
絶版本のようです。古書で購入しました。読了。

萩原朔美さんは萩原朔太郎のお孫さんにあたる方であります。
萩原朔美さんは1967年、旗揚げ直後の寺山修司の劇団、演劇実験室◎天井棧敷に出演者として参加され、後に演出として70年まで在籍されました。本書は萩原朔美さんの、文字通り、寺山修司の思い出について書かれた本です。

萩原朔美さんの映像作品はいくつか拝見しています。かわなかのぶひろ先生との『映像書簡』シリーズとか(本書にも言及がありますが、これに影響されて寺山修司が始めたのが谷川俊太郎との『ビデオレター』です。)。イメージフォーラムであった萩原朔美さんの上映会にも行きました。また、2003年の6月に世田谷文学館であった(ほんと、検索機能つき日記をつけていると便利です)、「寺山修司と演劇活動」という講演会も拝見しています。ちょっとだけ萩原朔美さんとお話したこともあります。いや、雑魚のトト混じりでしたが。

ただ、よく考えたら、天井棧敷時代の萩原朔美さんの事、ほとんど知りません。伝説の読者投稿誌「ビックリハウス」OBの皆さんにも良くして頂いていて、萩原朔美さんはビックリハウスのお仕事もされていたことを伺っていますが、それに関してもほとんど何も知りません。

そういうことをつらつら言っていたら、ある方から紹介されたのが本書でした。
ただ、残念ながら現在絶版中の本です。しかし、スーパー源氏で探してみたら見つかり、通販で手に入りました。良かったです。

本書はそう厚くない本だったせいもあるのでしょうが、大変面白く、あっという間に読了しました。

萩原朔美さん、九條今日子さんの『不思議な国のムッシュウ』等によると、美少年役として天井棧敷に入団されたようですが。今でもむちゃくちゃイケメンさんであります。キモメンの私からすると、ほんとうらやましいのですが。
本書の書かれようも、どこか萩原朔美さんの風貌に似た、クールな感じの筆致です。いい感じでした。

寺山修司と天井棧敷に関わってこられた方の手記、けっこう読んできた事になります。高橋咲『15歳 天井棧敷物語』(これは小説仕立てですが)、寺山はつ『母の蛍』、渡辺尚武『網走五郎伝』、田中未知『寺山修司と生きて』、九條今日子『不思議な国のムッシュウ』、そして本書、萩原朔美『思い出のなかの寺山修司』。

それぞれと、あと、寺山修司について書かれた本とか、いろんな知識とか、いろいろリンクさせていく作業が自分のなかで必要になってくるかなぁと思います。

「オレは寺山修司の子分になるために入団した」
と言ってグループを作るものも居た。その後、このグループの一人は、退団して北海道に行き、一人で北方領土まで泳いで国旗を立てて捕らえられたりした。(130-131p)

北方領土まで泳いで行った“一人”は網走五郎さんの事ですね。『網走五郎伝』にあります。

寺山さんのいう「事物の視線の組織化」というのは、りんごがゆっくりと朽ち果てていくプロセスを撮影し、「タイム」と名づけたものや(以下略)(140p)

「りんごがゆっくりと朽ち果てていくプロセス」とさらっとお書きになっていますが。「タイム」という作品は、1個のリンゴを1日1コマ1年間撮り続けた作品です。その息の長さ、手間ひまのかけ方、ぼっとしました。たぶん、萩原朔美さんの中を流れている時間と私の中を流れている時間は、ぜんぜん違うのだろうなと思いました。

しかし、本書を読んでても痛感するのは「私は寺山修司や天井棧敷に関して、何も知らない」ということです。やっとこさ、「知らないのが解った」、という感じです。
天井棧敷設立から解散まで、どのようなお芝居を上演したのか。寺山演劇はどのように展開・変容していったのか。主要な団員さんはいつ入団されて、いつ退団なさったのか、どのようなポジションにいらしたのか。私はほとんど何も知りません。

う~ん、どっかにそういうのをまとめた資料はないものでしょうか?(と、安直な方向を求める私)

あとそれとちょっと気になった一節。

(突然の舞台装置変更アイディアを寺山修司に言われて)
しかし、明日は本番だ。頭では面白いと思うけれど、そんなこと今さら言われても困ってしまう。拈華微笑という訳にはいかない。
疲労の頂点にあって、ほとんどこのまま客席で寝てしまいたいと思っていた僕は、ムッとして
「出来る訳ないですよ」
ぶっきらぼうに声を荒げてしまった。
今でも、この時の様子は鮮明に反芻出来る。何故かというと、たとえば芝居の演出や映画の監督といったスタッフ・ワークの場合、他のスタッフの労働状態を無視しないと、いい作品は生まれないという教訓を、下の立場から理解したからである。上に立つ者が、なかば強引に自分の思ったことを押し付ける。下の者の健康状態など考慮して作業すれば、チームワークは作れるかも知れないけれど、観客は現場のチームワークなど観に来ている訳ではない。出来上ったものがいいか悪いか。それだけなのだ。だから、どんなにスタッフが疲労困憊していようとも、何日徹夜が続こうとも、やりたいことを現実化してしまう。思いやりなどは創作活動の足を引っ張るワナなのである。(48-50p)

「他のスタッフの労働状態を無視しないと、いい作品は生まれないという教訓を、下の立場から理解したからである。」と認め、明言する事のできる萩原朔美さん、凄いと思います。そこらへんのある種の“ハードボイルド”さが、私が萩原朔美さんを好きな理由のひとつかもしれません。普通、そうとは気づかないか、そう気づきつつ認めることに抵抗があるか、そう認めていても口に出せないか、そんな感じかと思います。

ま、ただ、私の勤務先もそうなのね。現場の人間を考えない過重労働でフラフラの人もいます。私はばっくれてますが。そして、それで、いいものができているとも思えないのですがね。
世間一般的でもサラリーマンで過労死とか、そういう人はたくさんいます。この萩原朔美さんの言葉はどういう風に受け止められるか?創造的な場と仕事は違うとも言えるかもしれないけど。

それは一面の真理とも思いますが、でも、なんかちょっと引っかかります。

「あとがき」には、本書の続編としてビックリハウス時代の話とか、映像作家としての話とか、執筆予定であると書かれています。出ているのでしょうか?出ているのでしたら拝読したいです。

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