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2008/03/04

『自分探しが止まらない』

『自分探しが止まらない』(速水健朗:著 ソフトバンク新書)
読了。本田透さんの『ケータイ小説はなぜ売れるのか』の情報を探していて、同じくソフトバンク新書の本として見つけて、ちょっと興味を持って買ってみました。
ただ、本書を買うときちょっと躊躇しました。「自分探し」がテーマの本を逆上せずに読み通せるかどうか自信がありませんでした。

「自分探し」、痛痒い言葉です。

「自分探し」をうそぶく連中に反感を覚える部分もあります。「「本当の自分」なんてものはないんだよ。その時その時の今の自分の姿が自分であって、どこかに今の自分の姿と別の「本当の自分」なんてありゃしないんだ」とか、「ただ、自分に酔いたいだけじゃないの?」とか思ったりします。

またもう一方、今の自分にいたたまれない自分もいます。どこかに行けば、それが見つかるんじゃないかと思う自分もいます。映画『タクシードライバー』で主人公のトラヴィスが呟く"All my life needed was a sense of someplace to go."という台詞が胸に沁みる事もあります。寺山修司が紹介したラングストン・ヒューズの詩の一節「ここから走っていく汽車の、25セント分の切符をくださいな。」を呟いたりする事もあります。そうして、そう呟く自分がなんかとても嫌になることがあります。どこにもそんな場所なんてないよって。

ま、いろいろ悩みましたけど、買いました。読み出すと面白く、けっこうすらすらと読めました。つまらなくて放り出しもせず、逆上して放り出しもせず。

本書は「自分探し」を絶賛したり、あるいは愚かな行為としていきなり軽蔑するのではなく、ここの事例を眺め、社会や文化に「自分探し」がいかに浸透しているのかを分析する。(p5「まえがき」より)

というスタンスで書かれた本です。

第1章では「世界に飛び出す日本の自分探し」として、海外ボランティアやバックパックひとつで海外を放浪する若者達の「自分探し」模様が描かれています。部屋に閉じこもる「引きこもり」にたいして「外こもり」とか。環境を変えることで自分を変えようとする人たち。

彼らのバイブルが沢木耕太郎の『深夜特急』とか。『深夜特急』は私も大好きです。最初に出たハードカバー版で3巻全部持ってます。あれは2巻まで出て3巻が出るのを何年も待たされました。以前、会社の若い衆が『深夜特急』の話をしていて、私が読んでることを話すと、えらく感心されたのを思い出しました。猿岩石の旅行の元ネタだったのを知ったのはその後でした。猿岩石のその番組も見てなかったし。そういう意味を含めて、私は「自分探し」に近い心根も持ってはいるようです。

第2章は「フリーターの自分探し」。非正規雇用に甘んじながら「自分探し」している人たち。それには産業界の要請も影響していると。つまりかつては工場労働者のような均質な労働者を大量に要求していた産業界、それが産業工場の変化に伴い、エリートを求める、つまり、「個性重視教育」を求めるようになったと。それの結果として、「やりたいこと」を求めるフリーター達が増加するようになったと。

第3章が「自分探しが食い物にされる社会」。これは本書のキモのように感じられました。つまり、「自分探し」を取り込むビジネスのお話。

これには2種類あるようです。ひとつは「自分探し」をする人たちを相手にした商売。安価で長期滞在できる宿泊施設とか、共同出版ビジネスとか。
もうひとつは「自分探し」という給料以外の付加価値をつけて、結果、安価な賃金で人々を働かせ、原価を安く上げようとするビジネス。

第4章は「なぜ自分探しが止まらないか?」。

精神科医の香山リカは「私探し」を誇大自己であるとして書いた『<じぶん>を愛するということ』という本の中で、「私」という言葉が1988年、1989年頃の女性雑誌でやたら使われるようになった事実を指摘する。
(181p)

今からかなり私見の範囲に踏み込みますが。「自分の世界に自分しかいない」時代だからだと思います。『タクシードライバー』のトラヴィスの台詞にあった"morbid self -attention"の時代だからと思います。その言葉が出てきたトラヴィスの台詞は"I don't believe that one should devote his life to morbid self-attention. I believe that someone should become a person like other people. "というものですが。

『タクシードライバー』は76年の映画。だから、70年代に入ってから中ごろあたりには、そういう、「自分しかいない」時代になってしまったのではないかと。そして「自分探し」という、際限なく自分の中に潜りこんでいく行為に人々はふけるようになったのではないかと。

人と人が地縁血縁宗教といったもので繋がっていた時代。それがばらばらになってしまって。働くのも、かつては家族のため稼がないといけないとか、そういう理由で働いて。でも、働けばそれなりに働く事の喜びは見つけていって。それが生きがいになっていったのかと。
でも、今は働く事以前に「やりたいこと」が大切になっていって。自分の中をまさぐる行為が重要になってきて。

残念だけど、人は自分のためだけには生きられる人はごく少数。だから、「自分探し」で、一生懸命自分の中をまさぐりつつ、やりたい事を探しながらも、それはなかなか見つからない。これも自由競争社会の宿命で、少数の勝者と多数の敗者を生み出すシステムかと。ほんとうに「本当の自分」をと思えるものを見つけられる人はごく少数かと思うのですが。
いやだいたい「本当の自分」は幻想だと思っていますが。

やっぱりここにもひとつの行き詰まりを感じさせます。
突破口はあるのかしら。

新しい時代が見えて欲しいと思います。もちろん、そう思うことは、やすやすとカルトや自己啓発に絡めとられてしまう危険性もありますので、自分で自分に気をつけないといけませんが。

「新しい時代」には、新しい「人と人の繋がり方」がひとつのキーワードになりそうですが。
どうなんだろう?

しかし、今時分の春先になると、私も何もかもうっちゃって、旅に出たいと痛切に感じます。しばらく遊んで暮らせるお金があって、次の仕事のあてがあれば旅に出ちゃうかもしれない。それこそ「自分探し」の旅にね。

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