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2008/03/27

桜庭一樹『私の男』

『私の男』(桜庭一樹:著 文芸春秋:刊)
読了。
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『少女には向かない職業』に続く3冊目の桜庭一樹です。
先の2冊は文庫本でしたから、本書が初桜庭一樹ハードカバーです。

もちろん今回の直木賞受賞作ですね。ま、「直木賞受賞作だから読む」つーのも痛し痒し感覚で買おうかどうしようか迷いました。なんかミーハーっぽいもの。やっぱり通ぶりたいしね。
ただやっぱり受賞作である以上、早いうちにチェックしとかなきゃと思って。

結論から先に言えば、大変面白く読みました。ここんとこ、普通の冒険小説や探偵小説が読めなくなっているような状況ですが、面白く読めました。ただ、万人に薦められる作品とは言えないかと思います。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『少女には向かない職業』は女の子が主人公だったから気がつかなかったのですが、本書を読むと、ダークなLove&Violenceの世界は、私の知っている限りでは、花村萬月に似ているような印象を受けました。
私は花村萬月のコンスタントな読者じゃないのですが。時々むしょうに「萬月が欲しくなる」時があります。たぶん、ある種の精神状態に陥ってる時だと思いますが。

ここでグダグダ私の言葉を並べるより、前にも引いた、今回の直木賞選考委員だった北方謙三の

「桜庭作品は人間は書けていないし、リアリティーもない、細かいところの整合性もおかしなところが多々あって、反道徳的、反社会的な部分も問題になっ たが、非常に濃密な人間の存在感があって、ほかの2作品に比べるとわずかながら上をいくことになり、あえてこれを受賞作として世に問うてみよう-という結 果になった。 9人中、桜庭作品だけが過半数に達した。こんな作品を世の中に出していいのかという論議もあったが、それも覚悟してあえて受賞作とした。」
(http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080116/acd0801162125005-n1.htmより)

という言葉がすべてを言い尽くしているような気がします。

さて、以下若干のネタバレしつつ、私の本書の感想を書きます。
(以下ネタバレゾーンにつき)

ヒロイン、腐野 花。そして彼女の義理の父親であり、「私の男」である、腐野淳悟。そして花の婚約者、尾崎美郎。
お話は2008年6月、花と美郎の結婚式の前日から始まります。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『少女には向かない職業』では、小説の最初にある惨劇が起こったと語られるのだけど。そして、その惨劇に向かう形でお話が始まるのですが。本書もここである惨劇の存在がほのめかされ、そして、お話は章を追うごとに過去へと遡っていきます。各章はそれぞれ、花と淳悟、そしてふたりの周囲の人々の一人称視点、独白として語られています。各章ごとに語り手が入れ替わるかたち。

淳悟と花。淳悟は漁師だった父を海で、そして、病で母も失っています。ひとり暮らし。花は震災孤児。花が9歳の時、奥尻島の津波で花以外の家族、両親兄弟は死んでしまい。遠い親戚にあたる淳悟が花を引き取ります。淳悟は独身を通し、花の結婚まで男手ひとつで花を育て上げます。

花にとって淳悟は「私の男」。父親でもあり、恋人でもあり。もちろんセックスもします。花が9歳で引き取られた直後から、性的な関係も持ちます。もちろんその年頃の花にはインサートは無理のようで、裸の花をただひたすら愛撫するだけみたいですが。

ふたりの関係は閉じてしまっているようです。閉じているから、お互いはお互いに全てを求めているのかもしれません。花にとって淳悟は父親であり、恋人であり。淳悟にとって花は娘であり、母親であり、恋人であり。普通だったら様々な相手に分散される関係を全てお互いに求め合っているようです。

オィディプスコンプレックスの例を引くまでもなく、普通の親子関係でも相手を恋人のように感じる部分もあると思います。ただ、ふたりは、ほんとうに、セックスまで行く関係になっていて。「超えてはならん線」を超えてしまっていると。

ふたりの、「超えてはならん線」を越えた関係。それに花は取り込まれているんでしょうが、でも、花はそれに取り込まれているのを自覚しているかもしれませんが、幸せで。そして、“自称「善良な市民」”の振りかざす“常識”とぶつかり合い、惨劇が起きる、と。そういうことだと思います。

淳悟、痩せ型、ひょろ長い手足、切れ長の目。安物の黒いスーツだけど、淳悟が着るとそうは見えない。なんとなくゴスな方々が好みそうないかにも“美形”であります。

花の婚約者の美郎、たぶん、「善良な市民」の側なんでしょうが。花と出会ったころは大学時代の同級生と会社の上司との二股。つまり、花は三股め。ま、今時の若い人には当たり前なんでしょうかね?そして、幼稚舎から大学までエスカレーター式の大学に行って、父親が親会社の重役を勤めている会社にコネで入ってイイ待遇。しかし、その事を指摘されると怒る。でも、親のコネのない世界に飛び込む勇気はない。クソ男と思いますけど。まぁ、ありがちでしょうかね?まぁ美郎は1章だけ語り手をつとめますが、お話が過去に遡ると出てこないし、お話が進むとどーでもいいような感じがします。二股三股かけてるという設定も、淳悟と花の爛れた関係とバランスをとるためのような気もします。これで美郎が花いちずだったらかわいそうだもの。

桜庭一樹、やっぱりゴス感覚なのでしょうか。

そういえば、ゴスの世界を巡っていて、淳悟と花のような関係のカップルを見たことがあります。親子であり、恋人であるような雰囲気の関係。
私自身も親子であり、恋人であるような関係を求めているかなぁ。そういう女の子を求めているのかしら。そして、そんな関係に入れそうな女の子が来てくれたら、その子を手元に置いて、ひっそりと「閉じ」るのでしょうか。

本朝耽美派の大家、澁澤龍彦はなぜ子供を作らないかと訊かれて「娘だったら犯しちゃうから」と答えたそうでありますが。
あまり良くは知りませんが、源氏物語にも子供を引き取って、親子であり、恋人であるような関係に持ち込むエピソードがあるようですし。星新一(だったかな?)のショートショートにも、孤児院から引き取った女の赤ん坊を温室で、言葉を一切使わずに育て、娘兼恋人にするお話があったと記憶しています。人が心の闇で夢見る、ひとつの理想のかたち、かもしれませんね。

そう、娘でもあり、恋人でもあり、母でもある“女”を持つ。それは男の(禁じられた)願望のひとつかもしれません。さらに言えば、お互いにお互いの全てである単一の存在を求める、親であり、子であり、恋人である、すべての属性を兼ね備えた存在を求める、それはひととしての(禁じられた)願望なのかもしれません。そして、禁じられた願望だからこそ、人の心の闇の世界、ゴスに花開くのかもしれません。

最終章は1993年の奥尻島大地震、花の家族が死んでいき、淳悟と出会うお話に行き着きます。そうやって時間を遡っていくのに、クライマックス感があります。不思議です。そして、避難中のあのシーンに打ちのめされました。

今年、桜庭一樹はどんな新作が出るんでしょうか?面白本だったら迷うことなく日本冒険小説協会大賞に投票しようかと思ってます。そのくらい楽しみました。
ほんと、おススメ本ではあるのですが、ただ、読み手をかなり選ぶだろうなぁと思います。

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