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2008/01/11

『「おたく」の精神史』

『「おたく」の精神史~一九八〇年代論~』(大塚英志:著 講談社現代新書)読了。
大塚英志はおたくを「おたく」と平仮名表記する事にこだわっていらっしゃる方なので、本文中では「おたく」と表記します。

1月2日、かわなか先生宅の新年会に向かう途中、店を開けている古本屋さんがありました。そこの、店の表の本棚に置かれていたのが本書でした。これは本屋さんで見かけて、買おうかなどうしようかなと迷っていた本でした。200円だったし、思わず買っちゃいました。

大塚英志の本は20年くらい前から買ってます。大塚英志の“物語消費論”とかは、目からウロコの考え方でした。だから、だいぶ影響を受けたと思っています。ただ、どれだけ大塚英志の本を私が理解しているかは自信はないのですが。ほんと、解りたい事が自分の力足らずで解らないのはとても歯がゆい事であります。

さて、本書はタイトル通り、80年代の「おたく」の誕生と発見、そしてその展開について論じられた本です。大塚英志は「おたく」の誕生のその時、最前線でそれをご覧になっていた方のようです。

大塚英志は私より少し歳が上の方。世代的には私と共に「おたく第一世代」に属する方かと思います。なので、大塚英志が語るあのころの「おたく」事情は、ある程度私にもわかります。私は「おたく」になりきれなかった「おたく」でありますが。なぜなら、岡田斗司夫のいう、“知的エリート”な部分が私には欠けています。でも、メンタリティとしては「おたく」だと思います。

いや、「おたく」という言葉が現れた時、私はひどくショックを受けました。

何度か書きましたけど、私は小さいころ、「二人称の使えない子供」でした。あなた、キミ、お前、貴様とか、“二人称”が使えませんでした。だから、誰かを呼ぶときは必ず「○○君」とか「○○さん」とか、名前を呼んでいました。(「お父さん」「お母さん」とか、「おじいちゃん」「おばあちゃん」とか、親族はそう呼べたのですが。)

そういった私が唯一使えた二人称が“おたく”だったんです。

たぶん、私のメンタリティのどこかの問題だと思うのですが、それは把握できていません。その、二人称の使えなかったところが、私がキモメンである以前に恋人ができず、結婚ももちろんできなかった遠因になっているのではと思うのですが。

いや、閑話休題。

本書をざっと一読しただけで、どれだけ本書を理解できたかは自信がないのですが。

本書において提示されているひとつの問題としてまず、「“虚構”と“現実”」があると思います。

80年代初頭、“虚構”が“現実”を侵食し始めたと。その、虚構化した現実と戯れ遊ぶ人たちとして、「おたく」や「新人類」がいたんだけど。しかし、虚構化が過ぎると、“現実”が希薄になる事はまた苦しい事でもあって。90年代を迎える前後にその揺り戻し現象も起きている、と。そういう風に理解しましたが。

私は岸田秀の「唯幻論」や、寺山修司の「“虚構”と“現実”があるのではない、“虚構っぽい虚構”と“現実っぽい虚構”があるだけだ」という言葉の支持者であります。そういう認識を全うして生きていけたらと望む部分があります。

ただ、それはひどく心もとない生き方であるとも感じています。たぶん、「唯幻論」を完璧に身に着けた人間は生きていけないのではと感じています。どこか“現実”が欲しいという部分もあります。
ここで言う“現実”は「絶対なもの」「確かなもの」という言葉と置き換えられるかと思いますが。

たぶん、今の自分の立場がとても不安定で、心もとない、あるいは「基底欠損領域」を抱え込んでしまっていると感じているのもそのせいかと思います。
しかしまた“現実”に立ち返れば、私はそれにとても我慢がならなくなるだろうなという事も自覚しています。

またまた閑話休題。

本書の冒頭、こういう一節があります。

「おたく」という語は一九八三年の『漫画ブリッコ』六月号で中森明夫によって現在の意味で初めて用いられた、といわれている。しかし、中森が「おたく」をこの歳に「発見」したのはおそらく偶然ではない。
それでは八三年とはいかなる年であったのか。それは一言で記すなら、八〇年代的事象がいっせいに時代の表層に現われた年であった。
(中略)
しかし八三年という年を理解するには、以下のいくつかの固有名詞を伴う項目を列挙する方がわかりやすいだろう。
<四月一五日 東京ディズニーランド開園>
<七月一五日 任天堂㈱ファミリーコンピュータ発売>
<八月一八日 大友克洋『童夢』>
<九月一〇日 浅田彰『構造と力-記号論を超えて』>
<一一月二〇日 中沢新一『チベットのモーツアルト』>
(16p-17p)

やっぱりここに<五月四日 寺山修司死去>を入れて欲しいと思うのです。私が寺山修司ファンだし、いろいろ影響を受けているから、贔屓の引き倒しかもしれないと思いますが。

ただ、寺山こそ、“虚構”による“現実”の侵犯行為を始めた人物だと思うのですが。(いや、そこらへんは詳しくないので、寺山が「始めて」かはよく判らないのですが)

“虚構”である演劇を市街にぶちまけ、役者観客のみならず、地域の市井人まで巻き込もうとした「市街劇」。あるいは、劇場で行われる演劇でも、“虚構”側の役者たちと“現実”側の観客を渾然一体とさせようとする、観客を舞台に上げたり、役者が客席を駆け回ったり、そういう事を演劇において試みていました。
その、「“虚構”の“現実”への侵食」が、寺山修司が死去した時期を境にいっきに進行していったと。

またその他にも、寺山修司が書いたことが寺山修司の没後、進んでいっているような気がします。

例えば、『書を捨てよ町へ出よう』という映画で、少女たちがセーラー服を脱ぎながら「私が娼婦になったら」と歌うシーンがありますが。今ではセーラー服娼婦、援交少女たちが当たり前に存在します(いや、マスコミの受け売りで、実際にはそういう少女と出合った経験はないけど)。
また、競馬を初めとする賭博の招待を書いていましたが、もう競馬場は構えずに気楽に行ける場所になってしまいました(いや、私自身は行った事ないけど)。それどころか、「バブル」という、日本全体が博打じみたマネーゲームに狂奔した時代さえありました。
また、寺山修司は『家出のすすめ』を書きましたが。でも、現在は家出どころか出るべき“家”さえ崩壊している状況です。そのせいか、また逆に、『みなみけ』みたいな、両親がまったくナチュラルに存在しない、三人姉妹だけの家庭(それを“家庭”と呼べるかどうかは別にして)を描いた物語にあっさりと親しめたりします。

それが寺山修司の意図した世界観の延長上にあるのか、それとも、その延長に見えながらまったく別の方向に入っているのか、それは判らないのですが。

寺山論と、「おたく」論、そして現代社会論、その融合は試みられている方もいらっしゃるようですが、もっと行われてもいいような気がします。というか、そういうのをもっと読みたいのですが。そこに私の知りたい事が隠れているような気がするのです。

話を変えますが。

巻末の「子供→(通過儀礼)→大人」という論考など、私にとっても課題が深いです。たぶん、「おたく」第一世代だからこそそういう視点をつよく持てるのだと思いますが。

つまり、第一世代「おたく」のころまでは、アニメとかマンガ、あるいは私が好きだったプラモデルとか、もしヴィデオゲームがそのころ存在していたとしたらヴィデオゲームもたぶん、「子供のもの」として、“卒業”すべきもの、“卒業”して、“大人”になるものというという常識がありました。

前述の『漫画ブリッコ』誌における中森明夫の「おたく」発言は『漫画ブリッコの世界』というサイトで読めます。「おたく」を罵倒するこの文章が、「おたく」向けの漫画誌のはしりである『漫画ブリッコ』に掲載されたというのも面白い現象ですが。(当時『漫画ブリッコ』の編集長であった大塚英志の本書中の回想も面白いです。)

そして、いちばん面白いと思ったのは、当時中森明夫が主宰していたミニコミ誌が『東京おとなクラブ』という“大人”を冠する誌名だった事です。

こういった部分のこと、たぶん、私が今抱え込んでしまっている問題について考えるのに役に立つと思います。私は「おたく」にも「大人」にもなりきれなかった、中途半端であるのが、今時分がジタバタしている原因のひとつだと感じていますので。

本書は再読して、もっと理解を深めるべき本だと思います。だから、ほんとにこの文章は一読した印象だけのものに過ぎないのですが。これが現時点における私の感想です。

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