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2007/12/15

『脳内恋愛のすすめ』

『脳内恋愛のすすめ』(本田透:著 角川学芸出版:刊)
読了。
私が読んだ本田透さんの評論本としては『電波男』『萌える男』『喪男の哲学史』に続く4冊目の本です。堀田純司さんとの共著である『自殺するなら、引きこもれ』(光文社新書)は買ってあるけど未読です。ま、そんな感じです。
本書もまた「モテない」キモメンオタクがケツ捲って生きていく上での知恵を授けてくれる本です。

本書は三部構成だそうです。第1部が「理論篇」、第2部が「評論篇」、第3部が「実践篇」です。

第1部の理論篇。本田透さんは『電波男』で今の時代の恋愛のありようを「恋愛資本主義」と喝破しましたが。本書ではさらに言葉を荒げ、「恋愛セックス資本主義」と断罪しています。

恋愛セックス資本主義とは、「恋愛」や「セックス」が資本主義市場を流通する「商品」として売買される社会体制のことだ。
そのような社会では、人間は男も女も自分自身を「恋愛商品」「セックス商品」として売り込み続け、記号としての「恋愛」「セックス」を消費し続けなければならない。もちろん資本主義社会とは唯物論の世界だから、恋愛とセックスは同じモノとして定義されている。セックスのない恋愛はなく、またセックスさえあれば恋愛と呼んでも差し支えない。マルクスは資本主義が人間を経済的に疎外すると言ったが、実際の資本主義社会はそれ以上だった。
恋愛セックス資本主義は、人間を性的に疎外するのだ。
恋愛セックス資本主義は、人間を「恋愛できる人間」と「恋愛できない人間」とに二分する。(14-15p)

モテないキモメンの私は大いに頷きます。

そして、最新の脳科学の研究を引き、「恋愛」とは脳内ホルモンの放出状態であると解説し、そして、その脳内ホルモンの放出状態は平均17ヶ月で終息する、つまり、恋愛状態は終わると。しかし、その脳内ホルモンの中毒となった現代の「恋愛セックス資本主義」の人たちは、新たな脳内ホルモンの放出を求め、恋愛しては別れるを繰り返す、と。

さて、「恋愛とはそもそも物語りだった」そうです。

「恋愛とはそもそも物語だった」
つまり、
「恋愛の本質は、脳内恋愛だ」
ということなのだ。
吟遊詩人の歌を聴きながら、現実には存在しない脳内キャラクターに、脳内で忠誠を誓って下僕になる。
それがヨーロッパにおける本来の恋愛の姿だったのだ。(33p)

しかし、「恋愛」は「現実」に解き放たれ。

つまり、資本主義文明と恋愛とが癒着した結果、恋愛は純粋に生物学的な快楽の総量を求める消費活動に堕落し、この恋愛という名の消費活動が資本主義社会そのものを支えることになったのだ。
いずれにせよ、「恋愛」という文化を「現実」で実践するという人類初の試みは、「交尾する家畜の群れ」を大量生産して家族を解体し、人間の魂を救うどころか終わりなきセックス競争に陥れるという無残な失敗に終わったと言える。(34p)

もちろん「恋愛弱者」の問題もありますが。
「恋愛結婚」というシステム自体が自己矛盾を抱えてしまっていると。

恋愛結婚しても、17ヶ月後の「恋愛の終わり」を乗り越えられず離婚したり、結婚したまま不倫関係を始めてしまったりするわけです。「恋愛結婚」を持続させるためには、いつか終わる「恋愛状態」を乗り越え、持続する「愛着状態」にモードチェンジしなきゃいけない、と。しかしそれはたびたび失敗に終わる、と。

そこで本田透さんは「脳内恋愛の復権」を唱えるのです。
そして、新しい時代の夫婦や家族のあり方として、
◎脳外ではお見合い結婚して子供を育てる
◎恋愛は脳内で行う
というシステムを提唱されています。

まぁほんと、落語なんか聴いていても、昔の人は大家さんとかの勧めでけっこう気楽に所帯を持ってたみたいです。そして結果としてその方が長続きすると。
また、かつての恋愛物語は心中とか悲恋で終わるものが多いようです。それは、「恋愛の終わり」のグデグデを描かずに済むという部分があったのかとも思います。昔の人も恋愛はいつか終わるものっていう認識があったのかもしれない。

第2部は「評論篇 脳内恋愛の諸相を探る」として。アニメとか漫画とかの萌えオタクアイテムは、実は古典的な哲学や物語の延長線上にあるんだよ、というのを解説したパートです。

そして第3部は「実践篇 脳内で物語を紡ぎ自らを癒す」として、本田透さんのこれまでの半生、三次女に裏切られ、失望し、やがて脳内恋愛に目覚めるまでの来し方を語られています。

僕は常に女性に激怒されるのだが、それはいつも同じパターンだった。
僕にとって恋愛とはまず精神的なものなので、相手のパーソナル・エリア入りこもうとする(らしい)。
(中略)
彼女たちにとって、身体だけが確かな現実だった。それは一種のニヒリズムなのであるが、逆に考えれば彼女たち自身の「自我」が神聖不可侵で絶対的な「核」として祭り上げられるようになったことを示していた。つまり「自我」には絶対に誰も踏み込ませず、身体=セックスだけで恋愛関係を築くというフェミニズム時代の新しい異性関係が生まれていたのだった。しかしそのような形での女性の「自立」は、ニヒリズムを蔓延させ女性自身を恋愛セックス資本主義商品かつ奴隷に貶めるだけだった。女性=性欲のはけ口と考えている動物的な男性だけが得をする世界が現出した。少しでもプラトニックな愛情を示されると、女性は自我を防衛するために敵を迎撃しなければならなくなった。
もちろん、僕の顔が織田祐二だったら迎撃されずに済んだのかもしれないが。
(193-194p)

この指摘にははっとさせられました。自分の経験からそういうのがありました。
そして、確かに自我に関ってこないからこそ、相手を次々取り替えるような恋愛を繰り返す事ができるのではないかと。うぅむ…。

本書は、そうですね、本田透さんの評論本を読みたいというのなら、まず、オタクの人なら『電波男』、非オタクな人なら『萌える男』をおススメします。それからさらに先に行きたいのなら、『喪男の哲学史』へと。あと、岸田秀の『ものぐさ精神分析』を副読本として読んで。

本書はどれだけおススメできるかわかりません。けっこう読むのに時間がかかったし。
ただ、本田透さんの本を読んで「モテないキモメンオタク」としてケツ捲りたい私としてはいい本でありました。

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