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2007/11/21

『恋空』現象

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071120-00000002-gen-ent
「女子中高生の間で「恋空」現象が起きている」
とか。

この前の土曜日、早稲田大学での寺山修司監督作『さらば箱舟』の上映とトークショーを観てきた訳ですが。トークショーで篠田正浩監督がこの映画について話していらっしゃいました。正確には憶えてないし、私のこの文章をもって云々されると困るのですが。

『恋空』という映画がとても流行っていると。携帯小説が原作らしいと。ちょっと読んでみたけど、今の若い人は、インターネットとかあるけど、実際にはとても狭い生活圏で生きているようだと。今度この映画を観に行くけど、もう、こういう感性には私はついていけないと、こういう感性に基づく映画はこれからの若い人たちの仕事であると、そういうことを仰っていたと記憶しています。(ほんと、あてにしないでください)
客席の女子高生さんからの質問に答えてだと記憶しています。

この前読んだ『学校のモンスター』(諏訪哲二:著 中公新書ラクレ) でも、いまどきの若い人の生活圏の狭さについて触れられている部分がありました。『学校のモンスター』を読了した直後、篠田監督が同じようなことを指摘されたことにかなりびっくりしました。

現代の子ども・若者たちは、「周囲の見知らぬ他者」たちを自己の生活圏にいるものと思っていないし、ましてや、思考対象ともしていない。「見知らぬ他者」まで思考の枠内に入れることは、かなりの人間的な力量がいるのだ。若者たちは一般にそれが乏しい。
だから、「周囲の見知らぬ他者」が若者たちの生活圏というか感覚圏というか、ひととひととの対面的な範囲に入ってきたときに問題(トラブル)が生じるのである。
若者たちのパースペクティヴ(視線)は世間にも社会にも届いていないし、ましてや、国や世界を視ていない。いま風の若者たちの生活圏(サヴァイヴァル・ユニット)はかなり狭い。(『学校のモンスター』113-114p)

私は携帯小説なるものは読んだことがないし、興味も余りありません。『恋空』、小説や映画に触れることもないでしょう。でも、その、生活圏の狭さを感じさせる書きよう、描きよう、どういうものかは想像もつかないけど、どんな感じなのかしら。
ここで私がこうして綴っている文章も、ひょっとしたら自分の生活圏の狭さを暴露しているかもしれないけどね。

そして、たぶん、生活圏の狭い人たちにとって、携帯とはとても切実なツールなのかなと。離れ離れになっている人たち、その繋がりもおぼろげで、だからしょっちゅう携帯でメールを送りあってお互いを確かめないといけないのかなと。

また世界とつながるための努力がこれからの人たちにとって必要になるのかもしれないなぁ。その必然性を感じない人が多いと思うけど。でも、そうなっていったらやっぱり世の中は住みにくくなってくるだろうし…。

また、こう考えると、満員電車でほかのお客さんに突っかかっていったり、市街劇とかで劇とは関係のない人たちまで巻き込もうとした寺山修司はずいぶんと先見の明のあった人物じゃないかと思ったりもします。

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