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2007/09/11

寛闊納涼会

で、この前の日曜日は寛闊(三上寛公式ファンクラブ)の納涼会でした。

寛闊の納涼会は、昔風情の残る街を散策し、三上さんと銭湯に入り、そして飲み会って趣向なんですが。
今回は鈴ヶ森でした。江戸時代、刑場があったところ。去年が江戸時代の二大刑場のひとつ、小塚原だったので、今年は鈴ヶ森って趣向でした。

集合場所は京浜急行立会川駅。遅刻してしまいました。ごめんなさい。
立会川駅には坂本龍馬のFRP製?の像がありました。近くに土佐藩のお屋敷があったそうです。

鈴ヶ森へ。

鈴ヶ森刑場は旧東海道沿いにあったそうです。人通りの多い場所で、見せしめになるようにでしょうか。
途中に涙橋という橋がありました。鈴ヶ森で処刑される罪人は、江戸市中から裸馬に乗せられて鈴ヶ森へ向かったそうです。そして、罪人の家族はこの涙橋までしかついてこられなかったそうです。ここで涙の別れ、だから涙橋。

そして刑場跡。もともとは間口40間(74メートル)、奥行き9間(16.2メートル)という敷地だったそうですが。

火炙り用の柱を立てる土台石、磔用の柱を立てる土台石、首洗いの井戸とかがありました。火炙り柱用の土台石は丸型で、磔柱用の土台石は四角でした。何か意味があるのでしょうか。

ここで1651年から1871年の220年間に10万人から20万人の罪人が処刑されたそうです。東京ドームの客席数が5万人くらい?その2倍から4倍の人数がここで処刑されたのか…。少ないほうの10万人として考えても、10万人÷220年÷365日として、1日平均1.25人。平均すると1日にひとり以上の死刑が執行されていたのですね。

公開処刑、それを見物すること、私には想像もつきません。
磔なら血の臭い、火炙りなら肉の焼ける臭い、が漂っていたのでしょうか。処刑される人の最後の命乞いが聞こえていたのでしょうか、槍に貫かれる、火に炙られる、悲鳴が轟いていたのでしょうか。私には想像もつきません。

処刑が見世物から密室での行為になっていって。それは人権が重んじられる時代の流れであったのでしょうが。しかしそれはまた、人の目から“死”が隠蔽されていく時代の流れでもあって。

“死”を隠蔽していき、そして人は、「死を受け入れる智恵」でもあった宗教などのくびきから解き放たれ、貪欲に、己の欲望を追いかけるようになって、そして近代のめざましい発展があったのではないかと思います。

「死を受け入れる智恵」をなくした人間にとって“死”は最大のタブーとなり、しかし死は逃れられないものですから、人は不安定になっていって。いや、人は、“死の恐怖”から逃れるために消費活動に邁進し、それが経済を成長させているのかもしれないなぁ…。

いや、閑話休題。

(私はリアルでは公開処刑をいっさい支持しません。為念。)

鈴ヶ森刑場跡を見学したあとは、みんなで銭湯に行って。それから飲み会。

飲み会は中華料理屋さんだったけど、参加された方が見つけました。めったに使われてないような2階を開けてもらって。80過ぎのおじいちゃんがひとりでやってるお店っぽかったんですが。応援を頼んで、お手伝いの方も来て。
安くておいしかったです。ラーメンのスープも絶妙で。スープが絶妙なお店はたいがいおいしいです。

しかし、三上さんの同郷の方もいらしたんですが、三上さんとその方々が向うの言葉で話す様子はほとんど外国語ですね。日本語なのに。

三上さんの紹介で、高木恭三の『まるめろ』って津軽弁の詩集を買いましたが。文字が日本の文字なのに、ちんぷんかんぷんで。たぶん、英語しか知らない人間が、同じアルファベットを使うほかの言葉の文章を見たら、こんな感じかなぁと思いました。『まるめろ』は高木恭三朗読、三上寛伴奏のCDも買って、「ああ、こういう風なイントネーションなんだな」というところまでは解りましたが…。

ただ、「ことばの力」は伝わるのかな?
例えば、英語がちんぷんかんぷんの私でも、英語の歌とか聴きますし。

という方向で、楽しいいちにちでした。二日続けてビールたらふくでしたし。

しかし、やっぱりちょっと疲れた…。

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