« 土踏まずの日 | トップページ | また久しぶりに深夜+1 »

2007/09/26

『新しい天体』

『新しい天体』(開高健:著 光文社文庫)
読了。

先日、NHK教育の「知るを楽しむ」という番組で開高健特集をやってました。
ベトナム戦争派遣記者時代の開高健を中心に描いていて、開高健も好きだし、ベトナム戦争ミリタリーオタクでもある私としては、興味深く拝見しました。ベトナム取材まであって、語り手の重松清さんも現地に行かれてました。そのとき着けていた腕時計がベトナム戦争当時のミリタリーウォッチの復刻版でね、「あ、お好きな方なんだなぁ」と思いました。

重松清の本は読んだことないんですが、いつか読もうと思っています。

しかし、開高健の書斎の机上には、亡くなるまでベトナム戦争関係の書物が並んでいたとか、そこまで深かったとは驚きでした。

んで、久しぶりに手元にあった朝日文庫版の『ベトナム戦記』を再読しました。ベトナム戦争のルポルタージュです。それからベトナム戦争体験を下敷きにした小説『輝ける闇』を読もうと思ったんですが…。そちらはちょっと見当たらず。それから、何か、開高健の未読の小説が読みたいと思って、近所の書店で平積みになっていた本書を買ってみました。

お話はちょっと奇妙な設定です。ある官吏の男がいて、お役所によくある年度末予算の食いつぶしのため、日本全国を食べ歩くというお話です。下は屋台のたこ焼きから、上は松阪牛まで、北は北海道から南は鹿児島まで。文字通り“食いつぶし”ですな。

どうしてそういう設定になったのかなぁ。ま、どこかの、ごくありふれた中年男が、日本全国を食べ歩くお話にしたい、ということになるとそういう形にするしかないかなぁ。ビジネスで成功した金持ち男とか、親の遺産が転がり込んできた男とか、そういうのではキャラ設定がちょっと違うと感じたのかなぁと。

冒頭、開高健作者自身と小松左京の会話から始まったり、そこらへん、ちょいとメタな感じです。と言うか、たぶんお話そのものは開高健が食べ歩いた体験談になってるようですし、主人公=開高健なのでしょう。
この食べ歩き取材のルポルタージュはあるんでしょうか?ベトナム戦争のルポルタージュ、『ベトナム戦記』とそれを下敷きにした小説、『輝ける闇』みたいな関係で。

年度末の役所の予算食いつぶし、それは庶民からすると決して好感情をもって迎え入れられるものじゃないけど。それに追い討ちをかけるように主人公の中年男が上司から「もっとカネを使え」とハッパをかけられるシーンが途中途中に挟み込まれますし。それが食べ歩き話をただ能天気な食べ歩き話にしていないような気がします。ほんと、ただの食べ歩き話にしたいのなら、こういう設定にはしないかと。

どこか根っ子の方で間違っているグルメ話、みたいな印象を受けました。

『ベトナム戦記』もそんな感じがします。アメリカ合衆国のやり方は間違っている、南ベトナム政府も権力争いとクーデーターの繰り返しで間違っている。そういう描写と、兵士や庶民への暖かいまなざしが同居している感じです。

いや、どこか、厭世主義的な部分があったのかもしれません。開高健の世界には。
『ベトナム戦記』で、開高健が兵隊から「ヘミングウェイ」とからかわれるシーンがありますが。
従軍記者として激戦地に赴くマッチョな部分から、兵隊から『ヘミングウェイ』と言われたのだろうと思うけど。そうじゃなくて、ロスト・ジェネレーション(迷子の世代)という部分でヘミングウェイと開高健は通底しているのかと。ヘミングウェイの短編に『清潔な明るい場所』ってのがあるけど、空しさに囚われてしまった男の話があるけれど、あんな感じじゃないかしら。(ヘミングウェイの長編は『移動祝祭日』ぐらいしか読んでないのであまり語れないけど)

根っ子の空虚さと、枝葉の豊穣さと、そのふたつ持っていたのではないかと。

ある種の人びとについてはその人格を“核心”とか、“原点”とか“根源”とかでまさぐろうとすると美質よりは貧寒しか得られないことがある。そういう人びとは多いのである。(本書268p)

そのふたつがひとりの人間に同居している。空虚さにつき動かされての、それから逃れるための“行動派”であったかもしれない。ヘミングウェイもそうであったかと。だから、ヘミングウェイはマッチョだったし、年老いて、“行動”が取れなくなったヘミングウェイは自殺するしかなかったのかもしれない。
その、空虚さが、「役所の年度末予算食いつぶしのための食べ歩き」という設定に現れているのではないかと思います。

まぁ、私自身が「枝葉の豊穣さ」は持っていないけど、「根っ子の空虚さ」は持ち合わせているので、そう読んでしまったかもしれませんが…。

いや、現代社会そのものが「根っ子の空虚さ」を抱え込んでいて、それゆえ、「枝葉の豊穣さ」、つまり、消費社会の豊かさに向かって私たちが突き進んでいるのではと感じています。だからこそ、この豊かさの陰に心を病む人がたくさんいて。しかし、この経済を、消費社会をどんどん拡大しないと「虚しさ」に追いつかれてしまう、取り込まれてしまう、だから、疲弊しても、心の病が悪化しても、我々は進んでいってる。そういう部分があるのではと思います。

お話じしんは淡々と進んでいきます。あちこち食べ歩き。ストーリーに大きく関りあって、お話が盛り上がる葛藤や事件はありません。ただ、あちこち食べ歩き、主人公(=作者)の見聞したことが淡々と書かれています。開高健の畳み掛けるような美文で描かれています。だから、こちらも淡々と読んでいって、気がついたら終わってるって感じでした。

こういうおいしいものに私は出遭えるかな?本書が書かれた頃よりは私たちは豊かになったし、ちょっと無理すれば食べに行けるし、そこそこのクラスのフレンチのフルコースも楽しめるでしょう。ただ、私はそう収入はないし、他にお金を使いたいことがたくさんあるので、やりませんが。

しかし、その『知るを楽しみ』で気づかされたんですが、開高健は60歳前に亡くなってるんですね。思っていたより早死で驚きました。寺山修司もそうだし、年齢の近い方の死亡記事を新聞とかで見かけたりすると、今の自分の年齢と引き比べて、あと何年とか思ったりします。

|

« 土踏まずの日 | トップページ | また久しぶりに深夜+1 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92510/16567842

この記事へのトラックバック一覧です: 『新しい天体』:

» 宇宙関係のニュース格納庫 [宇宙関係のニュース格納庫]
宇宙に関する記事を探していて、遊びにきました^^ 私のサイトにもトラックバックして頂けると嬉しいです。 [続きを読む]

受信: 2007/09/26 12:28

« 土踏まずの日 | トップページ | また久しぶりに深夜+1 »