« 先生!傘は武器に入りますか? | トップページ | 独唱パンク Vol.85 »

2007/08/31

『不思議な国のムッシュウ』

『不思議な国のムッシュウ~素顔の寺山修司~』(九條今日子:著 主婦と生活社:刊)
田中未知の『寺山修司と生きて』を先日読了しましたが、「これを読んだらこっちも読まなきゃ」と、なんか急いた気持ちになって購入しました。読了。
こちらは寺山修司の妻でいらして、離婚後も演劇実験室◎天井棧敷の制作担当でいらした九條今日子(映子)さんの、寺山修司との日々をつづった回想記です。

個人的な思いですが、寺山修司を知りたいなら、寺山修司の本を読んでればいいと思ってきました。で、評伝とかこういう手記はあまり読んできませんでした。そういうのに手を出すにはまだまだ早いと、もっと寺山修司の本を読み込んでからと思っていました。寺山自身も「私の墓は私の言葉でじゅうぶん」とお書きになっていましたし。

2001年夏のテラヤマバスツアーに参加して、寺山修司ゆかりの方々とお目にかかる機会が増えました。そういうのもあって、寺山修司を外から見た書物、つまり評伝とか手記も読まなくちゃなという思いが出てきて。ぼつぼつといろいろ読んできました。

『母の蛍』。壮絶な性格であった寺山修司の母、はつの手記。しかし、手記だと読んだ印象は、語り口は思ったほど、激情に任せた物言いではなく、案外に穏やかなものだったと思います。
『網走五郎伝』。天井棧敷に在籍していらした網走五郎さんの手記。退団後の、北方領土に泳いで渡ったり、尖閣諸島に手漕ぎボートで向かうエピソードが中心で天井棧敷時代の話は少しだったのですが。そこに描かれる寺山修司像、満員電車の中で他のお客さんにわざと嫌がらせをする、挑発する寺山修司の姿とか知らなかったので、新鮮でした。
そして最近読んだ田中未知の『寺山修司と生きて』。

で、ここまで読んできて、『不思議な国のムッシュウ』は未読でした。大いに片手落ちであります。『不思議な国のムッシュウ』は絶版本で手に入らなかったというのもあったのですが。(『母の蛍』も絶版のようですが、たまたま入った古書店で見つけて購入しました。)
ま、そのうち、古本屋さんで見つけたら買おうかなぁという感じでいました。

ただやっぱり読んでいないというのは、九條今日子さんのトークショーとか観にいってるくせに読んでないというのは大変に心苦しい状況でありました。で、今回、『寺山修司と生きて』を読んで、『不思議な国のムッシュウ』を読んでないのは、ほんと片手落ちにもホドがあると思い、探してみることにしました。

しかし、古本屋めぐりは億劫です。で、古書を探す時に愛用しているのが「スーパー源氏」(http://sgenji.jp/)であります。複数の古書店を網羅して古本を探せて、購入もできるというサイトです。若干重いのが難点ですが。古書をこつこつとデータベースに入力されているであろう古書店の方々には、ほんとうに頭が下がります。

おかげさまで無事に『不思議な国のムッシュウ』は見つかりました。注文して翌日発送で翌々日には届きました。価格的には「こんなものかな?」という感じです。新刊価格より高かったけど、程度もいいし。古書店巡りをすればもっと安くてもっと状態のいいのが見つかるかもしれませんが、それをやろうとしない人間にとっては充分以上です。ほんと私って古本探偵にはなれませんな。

『不思議な国のムッシュウ』はハードカバー版とちくまから出た文庫版があります。私が手に入れたのはハードカバー版です。両方とも今は絶版。寺山修司研究に関しては基礎図書と思いますが、絶版。ここらへんちょっとさみしいです。
奥付を見ると初版が昭和60年4月20日。あとがきの日付が昭和60年3月。寺山修司が亡くなったのが昭和58年5月4日ですから、寺山修司の死から2年弱での出版になります。となると企画としてスタートしたのは寺山修司の一周忌過ぎあたりになるのかしら。

本書は寺山修司の死、そして葬儀から書き起こされています。没後1年ちょっと、たぶん、生々しい記憶ではなかったかと。そして時間を遡り、九條さんがSKD(松竹歌劇団)に入団し、寺山修司と出会い、結婚。そして天井棧敷旗揚げ、寺山との離婚まで、そのころを中心に書かれています。劇団のこぼれ話、エピソード集とかもあります。
そして、最後の海外公演、最後の映画『さらば箱舟』のロケの話など。

いやほんと、いろいろ知らなかったなぁという思いでいっぱいです。それでずうずうしくも九條さんのトークショーとか見に行っていた自分、なんかモウほんとうに恥ずかしいです。

萩原朔美さんが美少年役として天井棧敷に入ったエピソード、もう本書に書かれていますね。あの有名なパフォーマンス『力石徹の葬儀』は、元・天井棧敷の演出で、そのころは東京キッドブラザーズとして活躍していた東由多加が話を持ち込んだもので、それまで寺山は『あしたのジョー』を読んでさえなかったというエピソード、知らなかったです。
そして、九條さんの映子と今日子という二つのお名前の由来さえ知らなかったです…。お恥ずかしいです。うぐぅ…。なんかほんと身がちぢこまる思いです。

『寺山修司と生きて』と本書、併読して浮かび上がる寺山修司の印象は、「なんか中小企業のワンマン社長みたい」って感じでしょうか。ま、私がサラリーマンだからそう感じるのかと思うんですが。寺山修司のわがままに振り回される周りの人たち。ま、もちろんそれは寺山のアーティストとしてのこだわりもあるのでしょうけど。でも、それもあるでしょうけど、ある種の、ワンマン社長的な、“わがまま”や“気まぐれ”という部分も大きかったかと。

寺山が海外取材で不在の折、一生懸命お芝居の稽古をして。で、寺山が帰国してその舞台を見たとたん激怒して、演出のやり直しをさせたり。九條さんが一生懸命探してきた小道具を一目見た寺山が言下にこれじゃダメ、別のを探してと言ったり。

まぁ、中小企業のワンマン社長とは違い、寺山は周りの人たちに、舞台を創り上げるという喜びを与えていたし、また、人を従わせる強烈なカリスマ性も持っていたのでしょう。

映画監督とか劇団主催者とか、逆に言えば、わがままで周りの人間をアタフタさせて平気な人間じゃないと勤まらないのかもしれないと思います。腰が低いタイプよりも、周りの人間を振り回すぐらいの人間じゃないといけないのかなと思います。腰が低いタイプだったりしたら、周りの人間に見くびられて、夫々が勝手を主張し、集団をまとめ上がることができなくなり、収拾がつかなくなるのかもしれません。

たぶん、ワンマン社長もそういう人間であってもいいかもしれませんが。でも、周りに“夢”を見させたり、“何か”を与えられなきゃただ回りの人間は疲弊するだけだと思います。映画監督とか劇団主催者も、“創造活動に参加している”喜びを周りの人間に与えたれているからこそ、周りの人間がついて来られているのですし。ついグチ、ですけど。

いやしかし、ほんと、“寺山修司”が遺したたくさんの仕事は、そういう寺山を支えているたくさんの人たち抜きにして考えられません。そういう意味において“寺山修司”というのは、ひとりの人間の名前ではなく、寺山修司を支えたたくさんの人たちを含めた、巻き込んだ“事件”であったのかもしれません。
田中未知が「私もまた『職業・寺山修司』だった」とお書きになられていたように、『職業・寺山修司』な人たちの集まりだったのではないかと。そう思います。

ああでもほんと、面白かったです。もっと読んでいたいと思っているうちに読み終わりました。本書は寺山修司を知るためには基礎図書じゃないかと思います。復刊してくれないかなと強く思う本であります。

|

« 先生!傘は武器に入りますか? | トップページ | 独唱パンク Vol.85 »

コメント

網走五郎です。拙著「網走五郎伝」を読んでいたたき有難うございます。7月20日からはブログも始めました。タイトルは「網走五郎はかく語りき」です。こちらもご訪問ください。

投稿: 渡辺尚武 | 2007/10/09 21:24

渡辺尚武様
ようこそいらっしゃいました。
「網走五郎はかく語りき」も時々拝見しております。
いつかいつも思ってることをまとめて私なりの超人論も書いてみたいと思っております。
たぶん、理屈っぽくてとても女々しいものになるでしょうが。やっぱりまとめてきちんと書きたいと思っています。

投稿: BUFF | 2007/10/10 17:53

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92510/16266803

この記事へのトラックバック一覧です: 『不思議な国のムッシュウ』:

« 先生!傘は武器に入りますか? | トップページ | 独唱パンク Vol.85 »