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2007/07/26

『新・UFO入門』

『新・UFO入門』(唐沢俊一:著 幻冬社新書)
読了。

先日、飯田橋にお使いに行ったんですが。読むものを切らしてしまい、見かけた本屋さんに入ってみました。ちょっと変わった空気が漂っている感じがして。ふと見回すと、新刊書店なのに本の背表紙が古本屋さんみたいに色あせています。店の奥の棚に並べられた本なんか、背表紙の色が抜けてしまい、カバーや腰巻がボロボロになってます。普通そうなる前に返本するものだと思いますが…。並んでいるのは早川書房とかの探偵小説や冒険小説、SFとか、好きな人にはたまらないであろう本なんですが。

で、何か面白そうな本はないかと探していて。で、見つけたのが本書でした。いや、「UFO入門」という本を、と学会の唐沢俊一さんがお書きになってるので、え?と思ったのですが。で、まえがきあたりをぱらぱら読んでみると、たしかに“と学会”的であり、唐沢俊一的な切り口であるなぁと思って。私の好きな趣向でもあるし。で、買ってみました。

その本屋さん、看板に屋号は出てなかったのですが、レシートに屋号が入っていました。はっと思い出しました…。

本書は、ひとことで言えば、私の好きな寺山修司的な切り口で、UFO話やUFOにまつわるエピソードを紹介した本です。

“UFO”現象そのものじゃなく、UFOにはまる人たちの人間模様、そして、UFOという物語を生み出すこの世のありよう、人の心のあり方も含めて、“メタ”な視点でUFOという“現象”を紹介した本です。
そこらへん、大槻ケンヂさんのエッセイによると、大槻ケンヂさんもそういう楽しみ方をしているそうで。
そう言えば大槻ケンヂもテラヤマ系ですな。

寺山修司の名言「作り変えられる事のできない過去なんてない」や、“歴史”に“ストーリー”とルビを振るセンス。最初は「寺山修司って凄いこと言うなぁ」と思っていました。それは今でも変わらないんですが。

でも、ここ最近、人というのは、意識的にせよ、無意識的にせよ、記憶を改変したり、時には捏造する生き物であるという事を私は理解するようになってきました。つまり、「過去の物語(=虚構)化」ですね。そして、そういう感覚が、人の心にとって自然な営みであると、そう受け止める感覚が身についてきたように思います。
もちろん、わたしの中でもそういった記憶の改変は行われていると思います。耐えられない記憶を改変したり、無意識下に抑圧したり。あるいは記憶として整理するための単純化なども行われているでしょう。

だから、寺山修司のその言葉は、特別な事を言っているのではなく、人として当たり前の営為を言っていたのだな、と、今になっては思います。しかし、逆に、そういう事実を突きつけられる事は、人にとってはあまり愉快な事じゃない、むしろ、無意識下に封印しておきたい事でもあり、それをズバリ言った寺山修司は、「王様は裸だ!」と叫んだ子供だったのではないかと思います。

それからさらに私は先に進んで、岸田秀の唱える『唯幻論』、つまり、人間社会ってのは共同幻想である、という考え方に深く共感を感じるようになったのですが。

本書は、そういう観点から、UFO“現象”を紹介した本であります。
薄手の新書ながら、さすが唐沢俊一さんといった感じで、そういった事例がドンドコ紹介されています。
また、UFOにはまった文化人として、三島由紀夫や山川惣冶らのエピソード、そして、「UFOカルト」のはしりである、CBAの事例なども紹介されています。

「“UFO”という物語」を求めた人たち。

岸田秀の『唯幻論』によると、人においては、それに従っていけば大過なく生きていける種としての“本能”が壊れてしまっている、と。そして、てんでばらばらの「私的幻想」を抱え込んでしまっていると。それでは人は共同生活が営めないから、その、「私的幻想」から共有できそうなものを集めて「共同幻想」を構築して、社会生活を営んでいる、と。しかし、「共同幻想」から取りこぼされた「私的幻想」は各人の中でくすぶっていて、それが社会の不安定要因になっている、と。

たぶん、物語とかいった“虚構”は、その各人が抱え込んでいる「私的幻想」の受け皿でもあるのではないかと思います。準・共同幻想というか。だからこそ、物語の中では殺人とか、“現実”に持ち込まれたら反社会的行為になる事も描かれますし。

そして、その、“物語”は、“現実”に肉薄すればするほどその輝きをまし。“現実”を侵すようになってしまったのが、UFO現象においては、UFOカルトなんかになってしまうのではないかと思います。

ここらへんのバランスが大切なのだろうと思うけど。“虚構”まで取り締まれば、逃げ道のなくなった私的幻想が爆発する可能性がありますし、でも、“虚構”のせいで、ドン・キホーテが生まれてくる危険性もあります。

いや、閑話休題。

本書は、事例の紹介がメインで、その、“物語”を求めるひとの心についてまでは深くは掘り下げていません。心理学者や社会学者の研究を引いたりしてというのはありません。こういうUFOを求める人の心の不思議さについては、またそういった本をあたればいいかと思います。本書がきっかけになってそうなっていくのもありかと思います。

ま、もともと各民族なり国家なりはそのアイディンティティの根底に民族誕生の神話、国家誕生の神話を持っていたわけです。現代科学からするとリアリティゼロですけど。また、宗教も“物語”ですね。その“虚構”のために、今も多くの人が死んだり殺されたりしていますが。でも、そうなってしまうのは、その“虚構”が個人の命より大切であるという事なのでしょうか?

また、UFO事件が起きたのは、アメリカ合衆国が最初でした。つまり、そういう創世神話を持っていない新興国、アメリカ合衆国における“神話”ではなかったかという話が、大槻ケンヂのエッセイでありました。本書では、今、ブラジルがUFO話で熱いようですが、それも移民国家であるブラジルが“神話”を求めているからかもしれませんね。

本書は、そういった、今、自分がつらつら考えている事の事例を、UFOの世界におけるその事例をいろいろ紹介してくれて面白かったです。

人は“物語”なくしては生きられないのでしょうね。

いや、人は“現実”と思いつつ、実は“物語”を生きている、と。

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