電脳コイル「ダイチ、発毛ス」
今日は電脳コイルの「ダイチ、発毛ス」をほぼリアルタイム、追っかけ再生で見ました。
いや、ここのとこ録画用PCが突然リブートするという現象に悩まされていて、録画できてるかどうか心配で心配で。その前の『地球へ…』は録画中にリブートかかるし。電源がへたってきてるのかなぁ…。
いやぁ、面白かったです。先週に引き続き、お遊びてんこ盛りで。ほんと、シリアスに流れればうんとシリアスに流れて行ってしまいそうなお話なんですが、そこらへんのバランス感覚が絶妙であります。
いや、私は生えるのを待ち望んだって思い出はありません。むしろ生えだしてあわてて剃ってしまった経験があります。親父の剃刀をつかってね。そしたら親父、剃刀を使わなくなって、電動シェーバーにしちゃったけど…。
しかし、デンパっていい奴だなぁ。デブがいい奴やってるのは嬉しいです。周防監督もデブにいい奴やらせるから好きです。
ふと思い出したのが新世紀エヴァンゲリオンのエピソード。何話か忘れましたが、ネルフのコンピューターシステムにコンピューターウィルス型使途が侵入した話です。
自己進化型ウィルスで、それによってネルフの対策を乗り越えていったのだけど。リツコはそれを逆手にとって、進化を抑えるのではなく、進化を促進することによって、そのウィルスを滅ぼしてしまいます。「進化の最終形態は破滅である」と。
ちょいとシニックな奴なら持っていそうな価値観ですな。私も少し、持ってるけど。しかし、「ダイチ、発毛ス」では、その、イリーガルたちを外側からじゃなく、彼ら“個の集合体”として描いています。哀歓を持っている者たちとして、そして、彼らが滅んでいく、その、苦悩も含めてね。
それがエヴァンゲリオンのその話に対する強烈なカウンターパンチになってると思うのです。「進化の最終形態は破滅」、ツラリとうそぶくのは簡単です。でも、その陰には、たくさんの、いち個人の想像力を超えた、たくさん人ののいろんな“思い”、そして、人の“営み”があるのです。それはエゴイスティックなものかもしれないけど、でも、切実で。
だから、「進化の最終形態は破滅」なんて軽々しく口にはできなくって、できる資格はなくって。
そういうのをユーモアを交えて鮮やかに描ききった感じがしました。
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