映像の地下水脈
昨日は南阿佐ヶ谷の煌翔へ、かわなかのぶひろ先生主催の実験映画上映会に行ってきました。今回はかわなか先生の作品上映はなく、米国アンダーグラウンド映画の特集上映、入門編といった趣向でした。しかも、ビデオ版ではなくて、かわなか先生ご収蔵のオリジナルフィルム版での上映です。わぉ。
まぁほんと、こういう映画たちをなんと読んでいいのか自分でもしっくりする言葉がありません。普通に映画館とかで上映されている“劇映画”、ストーリードリブンな映画に対して、なんと呼んでいいのか?
「実験映画」ではちょっと違うし、「アンダーグラウンド映画」というのも、一般映画に対する反抗という語感が表に立ちすぎる気がしますし、「映像作品」がちょっといい感じですが、それだと“映画”というのからはちょっと外れた感じがします。
とまれ、こういう「実験映画入門」的な企画はなかなかないように思われます。以前、かわなか先生が「実験映画ってなんですか?」という質問を受けたことがあるとお書きになってましたが。私、「実験映画ってなんですか?」って訊かれて、しっくりした答えができる自信はありません。「劇映画」をストーリーを軸に描かれる、ストーリードリブンな映画、とすれば、「実験映画」はイメージを中心に描かれる、イメージドリブンな映画、と言えるかと思いますが、じゃあ、「劇映画」はイメージドリブンな部分がないか、と訊かれたら、そういう部分もあります、というか、「劇映画」もまたイメージが重要で。だから、同じような話を描いた映画でも、面白いのとつまらないのとに分かれてしまうかと思います。
いや、閑話休題。
今回の上映会は、かわなか先生の解説と思い出話を挟みながら、やや古めの米国実験映画の上映という趣向でした。
最初、ビデオで映画以前の映像作品のこと。人間の視覚における「残像」という現象。これのおかげで映画からテレビからいろんな視覚メディアが成り立っているわけですが。
“残像”という現象の発見は、古代ローマ時代のプトレマイオスまで遡れるそうです。しかし、それから17世紀まで、それは忘れ去られていて。それから残像現象を使ったおもちゃとかが出てきて。表裏に違う絵が描かれていて、ぐるぐる回すとそれが重なって見える、とか。そういうおもちゃ。
それから動画を見せるデバイスがいろいろ現れてきて、そして、映画の誕生、と。
そういうのを紹介したビデオがまず上映されて。いよいよ本題の米国実験映画の上映。
トニー・コンラッドの「フリッカー」。ある意味究極の実験映画。白と黒の明滅だけの映像作品です。まず冒頭、「気分が悪くなることもあるので注意してください」というようなテロップが出て、あの、ポケモン事件みたいなことになる場合もあるそうです。それからその明滅で25分くらいあります。つまり、普通のアニメ番組とか1本分そういう明滅があるわけです。明滅の間隔は変化していってます。これがまったくの機械的な明滅の繰り返しになるとほんとに気分が悪くなってきてしまうんじゃないかな。1/fゆらぎってのは大切です。
スクリーンをじっと見つめていると、幻影が現れてきます。私は黄色っぽい光の点、それからそれを中心にぐるぐるなにやら回るような感じがしました。人によって違うみたいです。
ブルース・コナーの「A MOVIE」。これは既存のフィルムをいろいろ切り貼りコラージュして作られた作品。この手法、ファウンド・フッテージと言うそうですが。ネット上でよく見かける、アニメのシーンをいろいろ切り貼りして音楽をつけたMADアニメのご先祖様とも呼べる作品ですね。
作品名は忘れましたが、フイルムの端っこの穴が開いた部分とか、コダックのフィルムにあるテスト用の、女性が写ったシーンとかをモチーフにした、メタな作品とか。
これも作品名は忘れたのですが、ドローイングアニメーションで、机の上におかれたメモ用紙に書かれた絵が動いている作品とか。
ジェームス・ホイットニーの「ラピス」。60年代前半に創られた、アブストラクト・コンピューターグラフィックス・アニメーションの嚆矢と呼べる作品。軍払い下げのアナログコンピューターを使って、作られた画を一枚一枚フィルムにコマ撮りして作られた作品だそうです。
作品群を拝見すると、イメージフォーラムフェスティバルで観た現代の映像作品の手法のルーツみたいなのを感じられたりして、面白かったです。
次の上映会は8月25日とか。どういう上映会になるか楽しみです。
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