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2007/06/13

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』

環境問題はなぜウソがまかり通るのか(武田邦彦:著 洋泉社:刊)
読了。
環境問題おおはやりの昨今ではあります。本書は、その、環境問題について、どれだけウソがまかり通っているのかを解説している本であります。

「習い損ないの学ひけらかして エコロジーだと大いばり 海に毒を撒き散らして 里に疫病植えつける」(三上寛「鄙びた漁師町」-アルバム『レスボス』収録-)
まさにそう思ってます。今のエコエコエコエコの大合唱を聞いていると、どこか違う、何か違う、本質をついてない、と思います。その疑問を武田邦彦は解き明かしてくれます。

本書では、まず、ペットボトルのリサイクルの話から始まります。

ペットボトル、コンビニとかスーパーにはペットボトル専用のゴミ箱が設置され、リサイクルできる!と喧伝されています。そして、ペットボトルの回収率もそこそこいってる、と。しかし、“リサイクル”できるとして回収されたペットボトルの実際の再生率は低い、と。“リサイクル”用として回収されたペットボトルもそのほとんどが焼却処分されている、と。

その理由として、ペットボトルの再生はコストがかかると。ペットボトルを再生するには、ペットボトルを作るのに必要な石油の3.5倍の石油が要る、と。
つまり、リサイクルを語る上でおろそかにされがちな視点、「リサイクルするにも資源が必要」という視点が隠蔽されている、と。

そして、これは、武田邦彦の「リサイクル幻想」という本の受け売りですが、「リサイクルできる」という幻想のもと、消費者は気軽にペットボトルを買い、リサイクルゴミ箱に捨てている、と。リサイクルできるという幻想で、消費が拡大し、そしてそれは逆に「環境破壊」につながっている、と。そういう仕組みですな。

そして、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』ではさらに、リサイクルにまつわる「環境利権」、つまり、カネの流れについても筆が進められています。
(うろ覚えですが、しばらく前の新聞に、ペットボトルのリサイクルコストを劇的に下げる技術が開発されたという記事がありました。もしそれが実用化されたなら、また別の話になりますが)

「リサイクルできるから」「エコロジー商品だから」というエクスキューズで拡大し続ける経済活動。
しかし、私は、環境問題については、人間の経済活動の縮小しかない、と考えてます。いくらリサイクルしても、エコロジー商品を作っても、人間の経済活動の拡大が続くなら、それで助かる分ぐらい、あっという間に食いつぶされてしまうでしょう。

かつて、エコライフが提唱されてきたころ、本屋さんでそういう本を見かけだしたころ、ちょこっとそういう本をパラパラ立ち読みした事があります。そこには消費しない事、つまり、人類の経済活動の縮小を目指す方向のことが書いてあったと記憶しています。

しかし、そのころは、そういうのはまったく無視されて。

しかし、異常気象とか、環境の急変が問題化してきて。で、環境も無視できなくなって、環境問題と消費社会、その折り合いとして生まれたのが「エコロジー消費」という考え方だと思います。エコロジーで金が流れると、エコノミカル・コレクトであると、利権構造も含めてね。そして企業もマスコミもエコエコエコの大合唱となって。しかし、どうもそれは、「習い損ないの学」いや、もっとひどい、「ウソつきの学」かもしれない、と。

でも、まぁ、しょうがないとも思ってるんです。現代社会では。

現代社会、先進国に生きる人々は「経済の奴隷」であり、「消費する家畜」であると思ってます。人は「経済」という、「人が作りしもの」「人が良かれと思って作りしもの」に逆に支配されている、と。いや、私だってその中に生きる人間です。奴隷の幸せ、家畜のヨロコビで生きていってますが。

だから、ご主人サマである“経済”をブクブク大きくしていく事は、自明の事だと思っていて。歯向かう事は思いつきもしない。“消費”をヨロコビとし、“消費”のためアクセク働き、そのふたつの活動で、“経済”というバケモノを肥え太らせている、と。ポリティカル・コレクトよりも、エコロジカル・コレクトよりも、エコノミカル・コレクト。
もちろん“奴隷”であり、“家畜”であるから、消費社会を楽しみつつも、ヘトヘトに擦り切れていってる、と。でも、奴隷は奴隷以外の生き方を考える想像力を喪い、家畜はいつか屠殺される日がくるとどこかで気がついていても、目の前の餌をモリモリ食って、肥え太っていってると。ブヒブヒ。

その消費社会は白熱していっていて、もうそろそろ発火点のような気がします。奴隷として、家畜として、人は耐えられなくなってきているんじゃないかしら。

岸田秀の説によると、自我はスタンドアローンでは安定しない、何らかの「自我の支え」が必要です。それは、かつては、宗教とか、国家とか、地域社会とか、家族とかが与えてくれていたんですが。しかし、それらがもう機能してこなくなって。それはつまり、それらの縛りから人が解放される事でもあったんだけど、でも、それらが与えてきた「自我の支え」を喪う事でもあって。吉岡忍が『M/世界の、憂鬱な先端』に書いたごとく、「いま・ここ」に薄くスライスされた人間。

彼らの自我の支えとしてかろうじて機能しているのは、消費活動ではないかと。「いま・ここ」に薄くスライスされて、目先の欲望を追いかける人間、“消費”を自我の支えとする姿。ホリエモンもグッドウィルの大将も、奴隷根性家畜根性に過剰適応してしまった人間じゃないかしら。ホリエモンが思いついた最高の贅沢が、取り巻きとアイドル連れて自家用ジェット機でハワイ豪遊ってのには、一抹の哀しさを感じます。いや、うらやましいけど。

なんでも消費社会に取り込まれ、場合によってはその本質を喪い、消費社会の“商品”とされ。エコロジーもそう。そして、“恋愛”も消費社会に取り込まれ、本田透さんの書くように「恋愛資本主義」に変質させられ。

消費社会、悪くはないと思いますよ。環境問題は脇に置いとけば。「自我の支え」としての消費活動。それ自体は悪くはない。
しかし、「消費社会」の最大の問題点は、それには「死を乗り越える知恵」がないって所です。

例えば宗教なら、その宗教なりの死生観があります。また、地縁血縁とか、国家とか社会とか主義とか、より「大きいもの」に自分を一体化させ、自分はその一員であると自覚し、そしてそれは自分の死を超えて続く、自分の思いをそれに託せる、という思いは、死への恐怖を減じてくれます。そして、だから、宗教や主義主張、国家とか社会のために自分の命を捧げる人だって出てきます。あるいは他人の命も捧げたりします。それこそ「いい事か悪い事かわからない」けど。

しかし、「消費」には、そのファクターがありません。死んだらそれっきり。死は恐怖でしかない。それが昨今の“健康”ブームに繋がって、また、死を極端にタブー視するメンタリティに繋がっていってるんじゃないかしら。健康ブームの加熱、健康増進法、喫煙に対するヒステリックな対応。それは、けっきょく、どこかで、死というのは逃れられないという分かっているからこそのヒステリックさじゃないかと思います。

環境問題もけっきょく、そうなのではないかと思います。みんな、心の底では、ほんとうに環境を守ろうとするなら、経済活動を縮小するしかないと気がついているんじゃないかと思います。でも、それは嫌。ぜったい嫌。だって“消費”は大切な心の支え。
私だって最低限の衣食住しか得られない暮らしなら、死んだ方がましだと思ってます。本も買いたいし、アニメとか映画のDVDもほしいし、フィギュアもほしい、PCのパワーアップパーツもほしいし。それがなきゃ、最低限の衣食住だけなら、生きていけない。だって、それがなくっちゃ、私って、“がらんどう”だもの。

だからこそ、環境保護の本質からはズレているペットボトルのリサイクル運動や、瑣末的な
レジ袋の削減運動に、逆に、ヒステリックに血道をあげているのではと思います。

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』、最後の方では、「もうすぐ石油が枯渇するから、そうなれば自動的に環境問題は解決する。むしろ大切なのは、石油が枯渇した時の備え、特に、食料自給率が低い日本はその対策を考えなければいけない。」と書かれています。考えてみればむちゃくちゃ皮肉ですが。ドイツで環境関係の国際会議が開かれて、2050年には二酸化炭素の排出量を半分にするそうですな。その記事を読んだ時、「2050年なんて、決めた連中は生きてないじゃないか、なんて無責任な。」と思ったのですが、今のペースで行くとその頃には石油は枯渇しているようで。ひょっとしたら達成できるかもしれませんな。ま、石油は枯渇しても天然ガスとかはまだあるようですが。

まぁ、この「消費社会」もいつかは終わるでしょう。それを乗り越えて人類が存続できるかどうかは判りませんが。人類が生き延びられたとして、その時代の人々は、我々の時代をどう見るのでしょうか。遺産を食い潰して放蕩してるドラ息子の時代とでも思うんでしょうか。

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』。書かれている事はどれだけ妥当かどうか、残念ながら、そこまで私は論じられません。いろいろ調べるほど環境問題に関して熱心ではありません。と、逃げますが。
ただ、環境問題の本質を問う書物として、昨今の加熱する「環境ブーム」にツッコミを入れる本として、いい本ではないかと思います。

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