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2007/06/14

寺山修司とオタク

高校時代、寺山修司といわゆる“ハードボイルド”小説と冒険小説を読み始めて、それがたぶん今の私の思考回路の根底にあるのだろうと思いますが。

んで、今の私はオタクかな?オタクっぽいとは思うけど。でも、知的能力とかはオタクじゃないと思います。岡田斗司夫の『オタク学入門』を読んだことが ありますが、岡田斗司夫の言う「知的エリートとしてのオタク」の条件を満たせる人間って、ほんの一握りのような気がします。たしかに、どんな話を振っても のってくれる、ほんとこの人はいろいろ知ってるし、頭のいい人なんだなぁって驚くような方には何人か出会った事があります。そういう人たちが岡田斗司夫の定義にもあてはま る、ほんとうのオタクと思います。

オタクってのはたぶん、メンタリティーと知的能力、2つのファクターがあると思います。
で、何が言いたいかっていうと。
オタク的なメンタリティーと寺山修司ってのは親和性があるんじゃないかと思ってます。

オタクのメンタリティを語る言葉にしばしば「虚構との親和性」というのが出てきます。んで、寺山修司も「虚構の人」であって。寺山修司の評伝には『虚構地獄 寺山修司』(長尾三郎:著 講談社文庫)なんてのもあります。

例えば、先日拝見した『青ひげ公の城』というお芝居。『青ひげ公の城』というお芝居と、そのお芝居が上演されようとしている劇場、虚構と現実、いや、寺山的にいえば「虚構という虚構」と「現実という虚構」がない交ぜになっているスタイル。これは寺山演劇のひとつの特徴でもあるんですが。

たとえば元・演劇実験室◎天井棧敷のJ・A・シーザーが率いる、天井棧敷直系と呼んでいい、演劇実験室◎万有引力は、緞帳を使わず、客入れのときにはもう役者さんが舞台を蠢いている、役者さんが客席を縦横無尽に走り回る、お芝居の終りが不明瞭(役者さんがはけて客電が点いて、やっとお芝居が終わった事に気がつく時もあります)、もちろんカーテンコールもない、そういうスタイルです。

つまり、この世そのものがお芝居なんだ、虚構なんだって事。だから、現実からくっきりと分けられたかたちでの「お芝居」はやらない。そして、お芝居そのものも、虚構と現実がない交ぜになっている、と。

私はその感覚が好きです。だから、万有のお芝居のあと、客電がつくと拍手もせずに(ほんとうは大拍手したいけど)席を立って、劇場の外に出ます。その時、まだお芝居が続いているような感覚に囚われます。それがとても気持ちいいです。

さらに寺山修司はお芝居を“劇場”からも飛び出させました。「市街劇」がそうです。

んでまぁ、オタクは虚構とも親和性が高い、と。二次元を三次元と同じく、いや、それ以上愛せる、と。本田透さんは脳内妻がいらっしゃるようですが、私はそこまでは行けませんが。

そういう部分において、その、現実と虚構(何度も書きますが、ほんとは「現実という虚構」と「虚構という虚構」ですが)のない交ぜという世界観を生きられるという部分において、オタクと寺山修司は共通点がある、と。

いや、このへんはどうかなぁとも思うんですが。たまたま私が仮性オタクで寺山修司ファンだからそう思ってるだけかもしれませんが。

どなたか識者の意見を拝聴したいのですが。
国際寺山修司学会で取り上げてくれないかなぁ。

そう言えば。

私が『電脳コイル』に大興奮したのも、現実と虚構を重ね合わせられるデバイスだからだと思います。まさに「市街劇」の発想ですな。
その、『電脳コイル』の既放送分、第1話から5話まで今度の土曜日一挙再放送であります。何度も書きますが、大おススメであります。

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