『普通に生きられない人たち~私たちは人格障害とどうつきあえばいいのか~』(磯部潮:著 河出書房新社:刊)
読了。磯部潮さんは名古屋で「いそべクリニック」を開院されていて、実際に心を病んでしまった患者さんに接していらっしゃるお医者さんです。
人格障害、その中でも典型的な境界性人格障害を中心に、その症状の解説と、境界性人格障害を抱え込んでしまった人への接し方、そして、境界性人格障害を抱え込んでしまったらどうしたらいいか?について書かれた本です。
まず、断りを書いておかなきゃいけませんが。
体の病もそうですが、心の病に関して、中途半端な知識であたってはいけないと思います。自分に対しても、ましてや他者に対しても。中途半端な知識と決め付け、そして、対処するのは。
まず、そういった病気を抱え込んでしまったら、きちんと精神科医にかかるべきだと思いますし、また、そういった人たちに常に接しなければいけない立場になったら、例えば家族とか恋人とか親友がそういう病を抱え込んでしまったら、「どう接したらよいか?」きちんと医師のアドバイスを受けるべきだと思っています。
ただ、私は、こういう心の病に関心があるし、そして、私自身、心の病を抱え込んでしまってるかも?と思っているので、こういう解説書に手を出したりします。ま、難しいのはちんぷんかんぷんなのですが。
磯部潮さんの本は、光文社新書から出ている『人格障害かもしれない~どうして普通にできないんだろう~』を読んだ事があります。
中年の域に入って、いろいろ取り返しのつかない年齢なんだけど。「どうして普通に生きてこられなかったんだろう」といつも自問自答しています。故郷の大学をきっちりと出て、公務員か、給料はそこそこだけど倒産やリストラで放り出される心配はしなくていいような会社に入って。お見合いで奥さんをもらって所帯を持って。子供をつくって育てて。
今ごろは子供の進学先か、それとも家かマンションでも買おうかとか頭を悩ませていて。
日曜日は白い車を洗い、時には家族でドライブに出かけ。
楽しみといえば、テレビを見ながら枝豆にビール。でも、そろそろ子供にお金がかかる時期だから、ビールも控えめにしなきゃなあとか思っていて。
なんで、そういう「普通の生き方」ができなかったんだろう、ってよく考えます。もう取り返しのつかない年齢なんですがね。
特に「特別な生き方」を望んだわけじゃありません。アーチストになろうとか、そういうことを望んだ事はありません。ごくごく普通に生きてきて。でも、気がついたら普通じゃなくなっていて。ほんと、どうして普通にできなかったんだろう…。
『人格障害かもしれない~どうして普通にできないんだろう~』という「どうしてふつうにできないんだろう」というサブタイトルに直撃されて、読んでみたんです。
『人格障害かもしれない』の方は、人格障害と呼ばれる心の病に対する解説、分類とか、磯部さんが診た患者さんの体験談とかありました。
で、『人格障害かもしれない~』で面白いなと思ったのは、いわゆる『破滅型芸術家』について書かれていたことと、境界性人格障害の患者さんが持つ、強力な『人を惹きつける力』の事でした。
『破滅型芸術家』。つまり、彼らの才能は、人格障害と分かちがたく繋がっているというお話。何人かのアーティストを挙げて。あと、逆に『破滅型犯罪者』も実例を挙げて考察していますが。『破滅型芸術家』はなぜ破滅型の人生を歩んでしまうか。彼らの破滅的な人生とその芸術の才能はどういった関連があるのか、不思議に思っていましたが。
もちろん、他の理由で破滅型の人生を歩んでしまう芸術家もいるだろうし、すべての芸術家が破滅型の人生を歩むわけではないし、また、人格障害があるからといって、すべての人が芸術家の才能を持ってるわけじゃないでしょうが。
それと、境界性人格障害の人が持っている、強い、「人を惹きつける力」。もちろん、それは芸術家としての力としても有意なんでしょうが。しかし、境界性人格障害の人は安定した人間関係が築けず、結果としてそうやって引き込まれてしまった人を振り回す事になると。
それは、患者と一定のスタンスを保つ事が義務である精神科医も思わず取り込まれ、振り回され、精神科医を廃業したり、自殺してしまった精神科医もいるそうです。
『人格障害かもしれない~』はそういった部分をとても興味深く読めたので、『人格障害かもしれない~』に続いて本書『普通に生きられない人たち』を手に取ってみたわけです。
んで、『普通に生きられない人たち』に話題を戻して。
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