にあんちゃん
今、フィルムセンターでは去年亡くなられた今村昌平と黒木和雄の追悼特集をやっています。
昨日、今村昌平監督の『にあんちゃん』を観てきました。
タイトルだけは知っていたのですが、やっと観ました。
日本映画データベースによる『にあんちゃん』のスタッフ&キャスト表は
http://www.jmdb.ne.jp/1959/ci004710.htm
フィルムセンターによる作品紹介は
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2007-04-05/kaisetsu_4.html
です。
原作は4人兄弟姉妹の末っ子が書いた手記とか。『にあんちゃん』というのは、「2番目の兄ちゃん」という意味で、その子が2番目の兄、つまり次兄を呼んでいた愛称だそうです。
舞台は佐賀の海沿いの小さな炭鉱町。
時代は朝鮮戦争特需景気と神武景気の間の、不景気にあえいでいた時代。
4人兄弟。長男と長女と次男と次女。長兄は長門裕之、二十歳くらいかなぁ。長女はハイティーンくらい、次男と次女は小学生くらいです。母親はいないようです。そして、父親の炭鉱夫の、たぶん、炭鉱の事故で死んだ父親の葬儀から映画は始まります。
日本が貧しかった時代。そして、エネルギー革命。石炭産業も斜陽化し。
その貧しさの中、生きていく兄弟姉妹の姿を描いた映画です。
兄弟姉妹は、けなげに、たくましく生きていくのだけど。
でも、その貧しさは、胸を打ちます。
今の豊かな日本からは想像できない、かつての、貧しかった日本。
私は今の豊かな日本に毒づいていますが、でも、この映画を観ると、やっぱり貧しいのは嫌だと思ってしまいます。貧しさゆえに兄弟がバラバラに生きていかなくてはならなくなってしまう。貧しさに追い詰められてしまう。お米も買えずに焼きイモを、しかも輪切りにしたイモを枚単位で分けあって。お米も借りたりして。“人情”で何とかやりくりしてるけど。
たとえ、今の日本。人情は失われ、孤立した人たちが、ギスギス生きていかなきゃならない時代。バケモノと化した経済に人々は振り回され、『経済の奴隷』となって心が乾ききった状態で生きていかなくてはならない時代。それでも今のほうがましかもと思わず思ってしまったり。
たくましく生きていく兄弟たちの姿。たぶん、彼らは貧しさをはね返してたくましく生きていくと感じさせますが。でも、舞台は南国に描かれた佐賀、季節は夏を感じさせるという部分が大きいかと思います。南国の陽光、そして海。登場人物たちはほとんど半袖かランニング姿、その下のヴァイタリティー溢れた肉体、“ヒト”の姿を感じさせます。しかし、これが北海道あたりの炭鉱街の真冬、とかなると陰陰滅滅、彼らは貧しさに押しつぶされてしまうような感じがしてしまうのでは。
長女役は松尾嘉代のようですが。胸がぺったんこ。その貧しさ。東京に許婚がいる新米保健婦さんはそこそこ胸があって。いや、あたしは嫌な女の巨乳より、好きな女の貧乳のほうがいいと思ってますけど。いや、好きな女の巨乳が一番いいですけど。意図していたかどうかは解りませんが、演出になあってるなぁと思いました。
エネルギー革命、斜陽化する炭鉱、頻発する労働争議。やるせないです。「カネを出せ」と迫る労働組合員、「無い袖は振れない」と突っぱねる経営者側、どちらの立場も解ります。
経済というバケモノから見限られた炭鉱業。私の働いている業界もパイが小さくなっていってる業界であります故、下っ端でありながら、ある程度はカネの流れを見ている立場であります故、痛いほどその状況がわかります。
「もうお前の働いている業界はそんなに要らない、縮小すべき業界なんだ」と世間、いや、経済というバケモノが言ってるなら、私は転職すべきなのでしょうが。ま、私はこの映画に描かれている人たちみたいに今の仕事には執着はありませんが。でも、もう転職が難しい中年男だし。いやいや。
ほんと、貧しいけれど人情はあった時代と、豊かになった代償に人情が失われた時代、どっちがいいかは解りません。いや、豊かになって人情もある時代が一番いいと思いますが。両立は難しいのかなぁ。
とまれ、『にあんちゃん』、観てよかったと思う映画でありました。いろいろクタビレテいて、観ようかどうしようか迷いましたが、観てよかったと思います。
| 固定リンク | 0
コメント