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2007/04/04

花図鑑

花図鑑(1・2)(清原なつの:著 早川文庫)
読了。コミックスです。

ネットで調べ物をしているうちに脇にそれて、だいたい何を調べるつもりだったのか訳が分からなくなる時がちょくちょくあります。本書『花図鑑』もそういう風にしてたどり着いて興味を持った本です。何の事を調べていたか、ほんとに思い出せないのだけど。

本書は「ぶ~け」誌に90年から94年にかけて連載されていた作品。短編集です。
連載時のキャッチフレーズは「愛と性のシリーズ」とか。
1巻の巻末の清原さんご自身の言葉によれば「大人未満の少女たちのお話」とか。
そう言えば私の大好きな『船を建てる』もぶ~けに連載されていた作品ですね。あ、そうか、『船を建てる』を調べていて『花図鑑』に行き当たったのかなぁ。

「愛と性のシリーズ」というキャッチフレーズも大仰な、時代がかった感じがします。

90年代に連載開始。90年代、少女の性モラルも大きく変わっていく時代、になるのかなぁ。“援助交際”なる言葉も生まれ。

何度か書いていますが。大学の社会学の教授から「君たちもいつか結婚するかもしれないが、ヴァージニティーにこだわってはいけないよ。」としみじみと言われたのが80年代 の半ばごろ。あの頃はまだ結婚まで処女を守るという考えがまだまだ若い衆にもあった時代だったのでしょうか。社会学の教授だから、そこらへんの変化を感じ とっていらしたのでしょうか。それとも、教え子か親戚の結婚で、奥さんが処女じゃないってことで揉めた事でもあったのでしょうか。
それから90年代に入り、ほんと、それから時代は変わり。

これも何度も書いていますが。もちろん“恋愛資本主義”が本格化する時代でもあって。消費のための恋愛、ですな。恋愛しまくって、カネを使えという時代。恋愛で踊れ踊れという時代。それにはヴァージニティーなど邪魔でしかない。

前にも書いた通り、本作は短編集ですが。
絵柄はトラディショナルかつオーソドックスな“少女漫画”な絵柄かと思います。
そして、その絵柄もあいまって、描かれている物語は、その、少女たちの、愛と性のあり方の過渡期、というような感じがします。

最初の作品「聖笹百合学園の最後」は、女子高の教師のお話。いかにもかつての少女のような教師。ちょっと百合がかっていて。オトコは不潔、汚らわしいという考えに囚われていて。で、その女子高が共学になるっていうのに最後まで抵抗していて。そして、男女交際禁止の校則を変えようとする彼氏持ちの女生徒とも色々あって。
生理が重くて医者に行って、初めて自分のヴァギナを知る女性もいるし。そういうお話があるかと思えば、毎日違う男とHしている女の子のお話もあったり。(違う男に抱かれていくのを、ティッシュの銘柄で描いた部分はすごいです)ま、いろんな男とHしまくっている女性が自分のヴァギナを知っているとは限らないんでしょうが。

そういう風に、「愛と性のシリーズ」らしく、いろんな「あり方」が描かれていて、混乱とバラエティ豊かが両立しています。そして、作者自身は「かくあるべし」というのは提示しないのだけど。それがいいです。ま、嫌リアルな「行き着くところまで行き着いてドロドロ」なんてお話はないし、そこが少女漫画らしいっちゃ少女漫画らしく、また限界でもあるのでしょうが。例えば、いくつか描かれる望まぬ「妊娠したかも?」は結局とりこし苦労で終わってますし。恋人が死んだりというお話もありますが、それはまぁメロドラマとして美しく描かれているから、ドロドロじゃない。

90年代、そして現在が「愛と性」にとって“過渡期”であるかどうかはよくわからないのだけど。さまざまな見方、考え方が並立している時代とは思ってます。今後、何か雛型的なある種の“モラル”に収束していくかどうかはわからないのだけど。
ただ、そのモラルのギャップが悲劇を生む事があって。例えば、気軽にセックスに応じる女性。しかし、男のほうはセックスした事で、「彼女はオレの恋人」と思い込み。その女性が他の男とセックスしたりしたのを知って逆上し、女性を殺してしまうとか。そういう悲劇が起こりやすい世の中かとも思います。

いや、正直言って喪男な私には読むのがきつい本でした。ラブラブでヤリまくってコンチクショーなお話がたくさんあって。それに彼女たちのお相手はほとんどイケメンだし。あたしみたいなキモメンは悪役どころか出る事すらないでしょう。

ただ、あたしは知りたいと思います。

何度か書いていますが。好きだった女の子が実は不倫していたっていう事が3回ほどありました。
また、他の男のところへ行ってしまった、好きだった女の子が、その男といちゃつきながらしっかり二股かけていて、ある日突然、その男から「“他に好きな人ができた”って、いきなり出て行ったよ。」と連絡を貰って愕然とした事もあります。そういう二股をかけるような蓮っ葉な女性とは見えなかったんですがね。

私に人を見る目がないというのなら、もって瞑しますが。
そして、そういう女性を、ただ反感を持って敵意を抱いて生きていければ気楽なんですが。
それとも、考え方が自分と全然違う人種、こちらとは関係ないし、係わり合いにならなくてもいいやと割り切って、係わり合いにならずに生きていけば簡単なんですが。
ただ、そういう女性を、解りたいと思っていて。だから、心理学や精神分析の本を時々読んだり、こういう作品を読んだりしてます。

ま、本田透さんの『電波男』を読んで、ちょっとだけ観た『シュガシュガルーン』っていうアニメの女の子の台詞を聞いて、現代社会では、どうも“恋愛”は消費物、消費してなくなるものらしいと知らされて。さらに言えば、“恋愛資本主義”においては、その恋愛の“消費”はまたカネの流れであり。エコノミカルコレクトな行為であり。そして、それも含めて、現代人は『経済の奴隷』『消費する家畜』であり、と思ってきました。

もちろん、“総体”的な「現代恋愛観」みたいな物の見方はあまり役に立たないんですよね。私は評論でメシを食ってるわけじゃないし。問題は「各々がどうであるか?」だと思うのだけど。“私”と関わりあう人間がどうであるかと思うのだけど。

例えば、自分の恋人となる女性が(もうそういう女性が現れることはないと思いますが)、二股なんて当たり前なんて人間だったら、そして二股をかけられたら、苦痛を感じると思いますが。例え、世の中が総体的にはまだ二股はタブーとされていたとしても。

逆に、恋愛は消費物、消えモノ、いろんな男と恋愛しては別れていって、チヤホヤされておいしく生きたいという考え方が世の中女性の普通になっていても、古風な恋愛観の女性はいると思うし、恋愛できるなら、そういう女性とそうなりたいと思ったりします。ま、ありえないけどね。

『花図鑑』、喪男の私としてはぜんぶは楽しく読めなかった本ですが、よくできている作品だと思います。

しかし、目が悪くなったせいか、文庫版のコミックスはきついです。小さい書き文字なんか読めません。やっぱりメガネ導入を真剣に考えないといけないかなぁ…。

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