« お香を買いました | トップページ | 帰省します »

2007/03/16

危ない恋愛

『危ない恋愛-恋しても幸せになれない存在分析-』(名越康文:著 光文社・知恵の森文庫:刊)
読了。
今、人の心についていろいろ知りたくて、本を読んだり、サイト巡りをしたりしているのですが。『基底欠損』という言葉を知って。で、その『基底欠損』をキーワードになんていうのかな、「恋愛しても幸せになれない」人たち向けに書かれた本であるようです。
ある方(たぶん女性)が著者である名越康文さんに色々とインタビューする、という形式です。そういう形式ですから、資料を駆使して詳しく、というよりは、解りやすい、ブリーフィングといった感じの本です。その分食い足らなさも感じたりしますが。

『基底欠損』とは?

ものすごく単純にぼくの定義でいうと、基本的信頼感……地面の感覚というか、自分が立っている地面の感覚が不安定であるという事です。
基本的信頼感とは、言い換えれば、生きていく上で必要な、無意識的な信頼感です。(3p『はじめに』より)

私はそれを持っているのだと思います。だからこそ、寺山修司の「作り変えることのできない過去なんてない」というような思想、あるいは岸田秀の『唯幻論』にとても親しみを感じるのでしょう。

あと、念のために書いておきますが、私は反恋愛主義者ではありません。お互いが幸せな関係を築いていて、そして、永遠とまでは行かなくても、ある程度長期にわたって、その関係を維持できるなら、それはいいことだと思います。

ただ、恋愛はえてしてバッドルートを辿る事があって。DVとか、相手の好意を利用して、金銭を過剰に搾り取ったり、一方的な大きな負担をかけたり。好意を寄せている相手をないがしろにして喜んだり。あるいは不倫とか二股とか、悲しむ人ができるのを承知でそういう関係を持ってしまったり。そういうバッドルート恋愛は否定します。ただ、そういった状況に陥ってしまう人の心の弱さを理解はしたいし、一定の共感は持てる人間でありたいと思いますが。

また、現代の恋愛教、恋愛資本主義というのには嫌悪を示します。
何度も書いていますが。“自我”の支えを失ってきつつある現代、その流れの中で重みを増してきた恋愛。『恋愛教』という状況。そして、それと結びついた消費社会。
恋愛資本主義社会の「恋愛は素晴らしい。お前も恋愛できる。それにはカネを使え。」というテーゼには反発します。

恋愛そのものには反発はありません。そういった要素はいやだけど。
ああそれと、オレの目の前でいちゃつくな!ですな。

いや、閑話休題。

本書では恋愛バッドルートをいくつかに分類して、それについて語る、というスタイルをとってます。

1章は「過剰適応」な人の恋愛です。相手に合わせすぎて疲れる、という症状です。
それが進むとパニック障害とか解離と呼ばれる症状まで現れるそうですが。自分ひとりに戻った時、自分が誰だかわからないほど空虚な感情を抱いたり。

その原因として、「自己評価の低さ」が挙げられています。そして、その自己評価はどうも母親との関係が原因だとか。つまり、母親から、“自己否定”を埋め込まれてしまっていると。
また、そういう人は、「しょぼい相手」を選びがちだそうです。人を”しょぼい”なんていう物言いは引っかかる部分がありますけど。

そして、そういう人間は“帰属意識”を求める、と。そして、今時だと、その“帰属意識”が恋愛に向かうと。そういう“帰属意識”を求めていた人は、かつては例えば会社とかにそれを求めていたのが、今時の労働環境の変化でそれもかなわなくなり、“恋愛”にそれを向けるようになったと。
これは今まで自分も書いていた事ですが、会社とか国家とか宗教とかある種の理念を抱いた団体とか、そういう“大きな物語”が崩壊しているという事でありましょうか。

2章は「恋愛依存症」。例えば、相手のメールの返事が遅れたとかなると、イライラしてきて、追い詰められていって。「恋人が神であり、悪魔に見える」状態。
これも「基底欠損」が原因のようです。そして「自己評価の低さ」も。根本的なところで信頼を持てない、そして、自己評価が低いから、相手をきちんと繋ぎとめているかどうか不安でたまらない。

3章が「遊ばれ体質」。美人で、もてるはずなのに、恋愛がうまくいかない人。
「セックスの対象」となっても「恋愛の対象」とはならない、という感じみたいですが。

たぶん、フェティシズムというのと関わりがある問題かなぁと理解します。フェティシズムで相手に惹かれても、それだけでは恋愛とはちょっと違うという意味で。フェティシズムにおいては、相手を“モノ化”する部分があるような気がします。それは恋愛とちょっと方向性が違うかなと。

「萌え」にもそういう部分があるかと。眼鏡萌え、セーラー服萌え、巨乳萌え、貧乳萌え、エトセトラ…。それが二次元キャラなら問題なら問題ないのですが…。

可愛い可愛いと育てられた女の子がそういう女性になるようです。愛される前に相手のフェチのスイッチを押すようになってしまうと。
「ボーダーライン」と呼ばれる人格障害を持つ女性にも、そういうタイプの女性が多いそうですが。何か関連性があるのでしょうか。ボーダーラインとなる素質、あるいは育てられ方をした人が、そういうフェチのスイッチを押してしまうような人間になってしまう、と。

4~5章がDV。DVは深刻な問題なのでしょうか。2章を費やしていらっしゃいます。

4章がDVを受ける側の問題、ですね。それこそ一番問題な、「暴力をふるう相手から逃げられない」という問題。それは生活が相手の収入によって成り立っている、それを失って生きていく自信がない、という問題だけではなくて。(そういう問題“だけ”だったら、行政が生活の面倒を支援さえすればいいことだけど)

つまり自分の感情を客観的にとらえ「恐怖」とか「こわくて」とか名付けられないほど男に支配され、状況に巻き込まれていたわけですね。(107p)
そういうふうに常識が通用しない世界に行ってしまったんですよ。二者関係にものすごい入り込んでしまっていて。(113p)
二者関係のファントム空間みたいな、異空間に入っちゃうんです。(113-114p)

う~ん、これは恋愛関係ばかりじゃなくて。例えばカルト集団とか、カリスマ的経営者の下に従業員が盲目的に従っている会社とか、そういうのにもあてはまるかもしれない。また、DVと限らずに、世間的な常識、あるいは法律からそういう集団が逸脱する原因としても。例えば、企業や役人の汚職事件。彼らの中では、汚職という世間的には“非常識”が“常識”となっていて、だから捕まったりすると、彼らは理不尽な目にあったような感情、被害者意識を持ってしまう、と。

で、第5章はDVを与える側の問題に言及しています。勝ち組系男のDVと負け組系男のDVがあるとか。勝ち組系は暴力をふるったあと、相手との関係をしばらく断つ、逆に負け組系男のDVは、暴力をふるったあと、異様に優しくなるそうです。

勝ち組系男のDVの根っ子にはマザコンがあるとか。マザコンには2種類あるとか。ひとつは愛情を与えられず、愛情がわからないタイプ。もうひとつは愛情が与えられすぎて、望めば全て与えられ、そのせいで「母親は何でも与えてくれる」機能に過ぎないという認識を持ってしまうタイプ。両者とも結果としては愛情オンチ。その、後者の方が勝ち組系DV男になるとか。

そして、対処方法として著者が示しているのは。「何で相手はそういう事をするんだろう」と、相手を理解しようとする方向よりは、「自分はなぜこういう境遇を受け入れているんだろう」という“自分を理解する”方向に行くべきだという考え方。

第6章は『エクスタシーを迎えたくない症候群』とか。それまで紹介してきた、「恋愛にのめりこみ過ぎ」な症状と違って、逆に、いい意味での「恋愛へのめりこみ」ができない状況みたいです。

前に読んだ岸田秀『古希の雑考』に書かれていた、『「とりあえず」の恋愛』みたいな感じでしょうか。

これってね、一見すると前の章で言ったDVから抜け出せなかった女性と間逆のように見えるかもしれませんね。一方は異性との関係が完全に異常になっても別れられなかったケースだし、もう一方は山も谷も越えずにリセットしてしまうわけですからね。でも、僕から見ると、自分の身体も含めた感覚が閉じてしまっているという点では、両方に共通しているところがあるなと思うんですよ。(160p)


そして、第7章では「恋愛のほどよい距離感を考える」として、先に書かれた事の“本質”とでも言うべきものがまとめられています。

その人と触れることによって、自分を確認するということが、エロティシズムの根源なんです。
それこそ、ほんとうは恋愛なんですよ。(181p)

そして、「恋愛のバージョンアップ」が必要であると。

同じ失敗を繰り返す女の人の多くは、初期の時期の妄想が強過ぎてその男性と自分との関係を客観的に捉えられない人ですよね。(183p)
だから恋愛においては、自分自身のバージョンアップをしない限りは満足のいく恋愛には近づけないですよね、でも、実際にはすごく多い。バージョンアップできない恋愛を繰り返す。(185p)

そして、最後に、

「今のままでいいんだよ」っていう本はよくあるけど、だからこれだけニートが増えちゃった。あれはぜったいにダメですよ。今の君でいいわけないじゃん!
なんべんでも言いますよ。
今の君でいいわけないじゃん!(194p)

それはそうです。確かに。ただ、自己否定的な、「自己評価の低い」人間はそう言われるとそれだけで追い詰められた気持ちになるでしょう。
『基底欠損』にしろ『自己評価の低さ』にしろ、それを乗り越えていくにはどうしたらいいか、が課題かなぁと思います。

そして、ラスト、「あとがきにかえて-「自分の恋愛を分析するのは、心に刺青を入れるようなものである」」。
それは、自分ツッコミを入れろということになるでしょうか?

もっと具体的に言いましょう。Aさんはだめんずにひかれる。「弱い男を見ると、私はほうっておけないの」という観音様のようなきれいな気持ちでいる。でも、そのAさんの心の裏側には、男というものを信頼できないドロドロしたものがある。
「私はこの男に飴さえ与えていれば、一生籠の鳥で飼える。これだけ自立できない男なら、私のもとからは絶対に去らずに、完全に支配できて安心できる。」という計算が成り立っている訳です。
それをAさんに気づかせること、あなたの中にあるほんとうの欲望、その原動力になっているダークサイドの欲望をさらさせてしまう。…それが、ぼくの言う心理療法、サイコセラピーなのです。
それが見えてきたとき、ほとんどの人が傷つきます。それはたとえ話で言うと、刺青を入れるようなものなのです。刺青というのは、自分の中にある、ある戒めでもあるのです。
「かわいそうな男をほうっておけない」という美しい母性のような愛の裏側に「ダメな男なら自分から逃げないはず」という計算が働いている。
そういう自分のしたたかな面があるということを知ることは、まるで刺青のように自分に戒めを入れることである、と。
その刺青を入れたらどうなるかというと、それはひとつの傷跡ですから、何かものがふれるとしみるんですよ。ヒリヒリと、痛い。
(中略)
「あなたはそうやって男を支配してきた」というヒリヒリに気づけば、どうでしょう。自分の中のいやらしさ、ずるさ、弱さ、男性不信。そして、結果として必ずドロドロになって、自分が傷ついて無駄な人生を過してしまうというパターンが見えてきます。そうすると、少なくとも、心の中での選択肢は見えてくるはずです。
そのためには、心に刺青を入れないといけない。そこまでのダークサイドの自分に気づいてもらうというのは、心理療法のレベルじゃないと無理なんです。(197-199p)

「痛みを伴う構造改革」、か…。恋愛バッドルートでボロボロになってる人に言うには酷な言葉かもしれません。そして、「私は被害者なのに、ひどい目にあってるのに、何でそう言われなきゃいけないの?」と思う人もいると思います。でも、それを乗り越えないといけないというのは理解します。(実のところ、この、『被害者意識』が、今の時代のさばっていると感じる時もあります。別の話ですが。)

そして、そういうきつい事を言えるという部分において、著者の名越康文さんを信用します。
ま、世の中には、“辛口”と称してただの悪口を垂れ流す輩もままありますが。名越さんはそうではないと思います。

本書は、恋愛だけじゃなくて、広く一般的な人間関係にまで敷衍できる事がかかれています。だからこそ、あえて本書が向けられたであろう対象、若い、恋愛をしそうな女性でない、私が手に取ってみた理由があるんですが。
ま、あたしは恋愛弱者ですから。恋愛に関わるドロドロも経験していませんし。そういう目に遭う事もないでしょう。せいぜい片想いが振られてドロドロになるくらいで済んでます。

そして、ここで本書をつらつらと紹介しましたが、もし、興味が出ましたなら、きっちり本書を購入して読んでほしいと思います。こうして書いてても、読みが浅い部分とか、勘違いしている部分があると思いますし。
ただ、恋愛バッドルート、あるいは対人関係バッドルートにはまりがちで、その事に悩んでいる人に、自信をもっておススメできると思います。

値段は540円。お手軽価格です。ただ、ネット通販を頼むか大きな書店に行かないと置いてないかも知れませんが。難しい用語も出てこなくて、サクサク読めますし。

ま、よろしければ、ですけど…。

|

« お香を買いました | トップページ | 帰省します »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92510/14269072

この記事へのトラックバック一覧です: 危ない恋愛:

« お香を買いました | トップページ | 帰省します »