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2007/03/02

ハードボイルドだどっ!

寺山修司が編んだアフォリズム集『ポケットに名言を』に、マリー・ローランサンの
「死んでしまった女より哀れなのは、忘れられた女です。」
という言葉が載っていて、印象に残っていて。だから、憶えています。それから原典を読みたくて、マリー・ローランサンの『夜の手帖』という詩集も買ったのだけど。
私の持ってる『夜の手帖』と訳は違うけど、ここに紹介されています。
http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/booktinsei.htm

何度も書いてますが自我というのは何らかの支えが必要なもの。他者との関係もその支えのひとつ。特に“宗教”が自我の支えとしてあまり役に立ってない日本人は、地縁血縁といった“他者との関係”を大切にする民族とか。法治国家ではなく、情治国家ですな。

電車の中で携帯メールな人。そういう人たちも“他者”を自我の安定として求めている人たちなんだろうと思います。電車の中でもメールのやり取りをして、しょっちゅうお互いを確認しあってないと不安でたまらないのだろうと思います。
現代人は宗教や主義、地縁血縁から自由になる代償に、それらが与えていた“自我の安定”を失って。だから、ほんと、しょっちゅうメールでもやり取りしていないと不安でたまらなくなってしまったのだろうなぁと思います。

しかし、他者は自我を裏切る物でもあります。

それはたぶん、“自我”が“他者”に期待するものと、“他者”本来の振る舞いの齟齬で。そして、他者との関係性に依存しすぎると、その、自我の他者への期待が大きくなり過ぎ、さらにそれに裏切られる危険性が高まる、と。“恋愛”なんかの他者との濃厚な関係。それに依存しすぎると、いつか裏切られる危険性があると。本田透さんは恋愛におけるそういう局面を危惧して、“萌え”という概念をおススメしていると理解しています。つまり、脳内キャラ、二次元キャラはいくらでも自分の幻想をおっかぶせる事ができる。そして、それは裏切らないと。それは“他者”に“神格”-つまり、強い“自我の支え”-すら求める行為より、いいのではないかと。

もちろん“萌え”は恋愛が手に入らない“恋愛弱者”でも手に入るという側面があります。また、恋愛じゃなくても、他者との関係性をうまく持てない人間でも、そういう脳内物なら手に入るでしょう。

ストーカー殺人とか起きますが。それは“他者”に“自我”の幻想をおっかぶせ過ぎ、“他者”の振る舞いがその幻想を裏切り、それに逆上しての事だと思います。
もちろん、お付き合いの中から、お互いを理解して、相手に要求できる事はどこまでか?っていう認識をきちんとできればいいのだけど。それもちょっと難しい場合もあって。特に、自我の不安定さに苦しめられている時、そういう冷静な判断はちょっと難しくて。そして、自我の不安定さに苦しむ人間は、今の時代、たくさんいるのだと思います。

他者は自我を裏切る物。その事に傷つけられないためには、他者にあまり多くを求めない事なのかもしれない。でも、その裏には、それだからこそ、他者に多くを求める“自我”があって、そのジレンマに苦しむ物かもしれない。

また本田透さんの萌え論に戻りますが。

“萌え”とは内なるものに神、つまり“自我の支え”、を求める行為ではないかと。
つまり、過剰な他者依存をしない事ではないかと。自己による自我の安定、自己救済ではないかと。
また、省みて考えれば、それはまた所謂“ハードボイルド”という生き方と繋がる部分もあるんじゃないかと思います。他者に依存しすぎず、内なる自己の信条に従い、生きるという生き方。

ま、古い諺にも曰く、「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し。」というのがありますが。
そういう風に生きられたらいいのだけど。あたしは君子じゃない。
つい先日も他者に身勝手な期待をして、それに裏切られて…。
少々凹んでいるからこういう文章を書いてます。

ハードボイルドだどっ!

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