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2007/02/27

恋愛と贅沢と資本主義

『恋愛と贅沢と資本主義』(ヴェルナー・ゾンバルト:著 金森誠也:訳 講談社学術文庫)
読了。

前に読んだ本田透さんの『喪男の哲学史』で紹介されていた本です。
「恋愛が奢侈を生み、それに供するための産業によって資本主義が生まれた」と語る本です。

“恋愛資本主義”。本田透さんの『電波男』によれば、それは現代に起こったもの。『電波男』を始め、いくつかの本を私は読んできましたが。
まず前提として、人間は自我を支える何らかの“装置”が必要である、と。それがかつては宗教だったり、地縁血縁だったり、あるいは共産主義とかの大義であったと。それが近年崩壊し、その“装置”として“恋愛”がクローズアップされてきて。それが“消費”活動と分かちがたく結びつき、恋愛資本主義が発生したと。そう解釈しています。
それがはじまったのは、学生運動が崩壊し、若者の自我の支えが“恋愛”しかなくなった、70年代後半あたりからかと思うのですが。そういう「モテアイテム」を網羅した『ポパイ』の創刊が76年ですか。そのあたり。

しかし、本書によれば、資本主義そのものが“恋愛”によって生まれたと、そう主張しています。

ま、私が本書をどれだけ理解できたかは不明ですが、その歴史的展開を要約すると。

アフリカ大陸やアメリカ大陸の“開発”、あるいはヨーロッパ内での鉱業の発展により、新たな富裕層が発生した。
 ↓
その新富裕層は都市部に居住し、ステータスを求め、貴族の爵位をカネで買ったり、その財産目当ての貴族と婚姻関係を結んだりして、爵位を手に入れた。新貴族層の誕生。
 ↓
その新しい貴族のありかたから、新しいジャンルの女性、『高級娼婦』というのが発生した。
『高級娼婦』とは従来の娼婦(ま、肉欲を満たすためだけの存在、ということかな?)や奥方連中とは違う、お妾とか愛人とかいう、簡単に言えば、「恋愛を楽しむ」相手の事。
 ↓
彼女たちが好んだ“奢侈”のため、奢侈産業が発展し、資本主義が形成された。

という事みたいです。

う~ん、いちおう本書は読んでみましたが…。ほんと、どこまで理解したかは自信がありません。本書中に出てくる人名も地名も、お金の単位も良く判らないし。金額のリストを見せられても、それが当時どのくらいの価値だったか判りません。
本書を読むための前提となる知識が決定的に欠落しています。理解力も弱いほうだし。
だいたい、ヴェルサイユ宮殿はルイ14世が愛人のために建てたものなんていう事も知りませんでした。
つうか改めて「“資本主義”って何?」と訊かれると良く解ってないような気がします。

ところで。

岸田秀も資本主義の形成期に“恋愛”が重要な役割を果たしたと論じています。
岸田秀が紹介している説によると。

女性の自活手段を奪う&婚姻外性交のタブー化。
 ↓ 
(男は)女性と性的関係を持ちたかったら、結婚して奥さんになってもらわないといけない。そして、そのために、(男は)収入のない奥さんを充分養えるカイショがなければならない。
 ↓
(男は)がんばって働く。
 ↓
資本主義の形成∩(・ω・)∩バンジャーイ

っていう展開みたいですが。だいぶ違うような。
ま、どっちにしろ、男は女に貢げって事ですかい…orz.

しかし、本書を読んでいてふと気がつくと。

我々、いわゆる“先進諸国”の人間は、当たり前のように奢侈を享受しているわけですが。じゃあ、逆に、なぜ、我々は「衣食住が足りた状態以上のもの、つまり“奢侈”を求めるのか?」という疑問が素朴に浮かび上がってきました。
「衣食住が足りた状態」で満足して、生きていってる人たちもいて。そういう人たちを我々は“未開民族”と呼ぶわけですが。そして、我々は、彼らに“奢侈”を憶えさせ、彼らもまた我々のように貪欲に生きていこうとしていたりする事も多くて。そして、富の奪い合い、殺し合いが彼らの中にも始まって。

うむ、なぜなんだろうね?

ほんと、本書の内容をどれだけ理解したかはわかりません。だから、本書の論点がどれだけ妥当か判らないのだけど。
でもいくつか、はっとする指摘もありました。

まず「肉体の解放」が臆病な手つきで試みられ、ついで力強い自然の感性の時代が出現し、自由で素朴な愛の生活が完全に開花するようになる。その次に現れるのは繊細化であり、さらには放縦、不自然である。こうした必然的な循環にも人間の運命のもっとも深い悲劇が秘められているように思われる。すなわち、あらゆる文化はそれが自然からの離反である以上、解消、破壊、死を意味するということだ。(102p)

本書が出たのは前世紀始め、1912年だそうですが。しかし、現代でもそれは言えますな。

ともあれ…。

ここのところの私の課題は、現代における「心の支え」とは何か?いや、「”私”にとっての心の支え」はどこにあるのだろうか、という事であります。それを色々考えたり、本を読んでみたりしてます。おかげで小説の類はほとんど読まなくなってしまいましたが。

私は…。心の底から信じられる主義主張宗教地縁血縁は持っていません。かつて機能していた、さまざまな“自我の支え”を失ってきた現代人にとって、残された最後の“自我の支え”であろう“恋愛”も、今まで色々見てきたように、そのカラクリが見えてきた以上、それもあまり信じられません。いや、何よりも私は『もてない男』であり、『恋愛弱者』である以上、恋愛も手に入らないでしょう。

まぁほんと、目に見える先にあるのは混乱ばかり。ただ、その気分をちょっとだけごまかすアイテムは、この消費主義社会の中、いくつかあって。それで気を紛らわしながら生きています。ただ、それでもだいぶしんどくなってきているのは事実です。

ほとんどの現代人は、その、目先のちょっとしたごまかし、つまり、“消費活動”で気を紛らわせながら、ささやかな“自我の支え”として生きているのでしょうか。そして、そのおかげで経済は発展していき。
ただ、人々はそのカラクリに薄々気がつきつつも。その薄々気がついた状態が現代における混乱、例えば、少子化、引きこもり、家庭内暴力、校内暴力、モラルハザードetcを生み出しているのかと思うのですが。

私は、そのカラクリを暴く方暴く方に考え、本とかも読んできました。別に、私が偉いとは思ってません。世の中が「そうなっている」なら、それに従って生きていけばいいかと思います。しょせんこの世は幻想だし。幻想なら幻想と気づかず、幻想を現実と思って面白おかしく、まぁ、たまには悩みながら生きていけばいいじゃないかと思うのですが。

どうやら私は天邪鬼なのでしょう。そして、自分の天邪鬼さが自分を追い込んでいる、と思います。
何で普通に生きられないんでしょうかね?

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