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2007/02/07

喪男の哲学史

『喪男(モダン)の哲学史』(本田透:著 講談社:刊)
読了。
『喪男』をキーワードに、本田透さんが独自の史観で宗教、哲学、心理学の歴史をぶった切った本であります。

本田透さんのサイト、『しろはた』は
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/
です。

“喪男”とは、原義としては「もてない男」の意味らしいんですが。本田透さんはそれを拡張して、「“現実”に満たされない人々」というような意味あいでこの言葉を使ってます。それの対となるのが“モテ”。もちろん「モテる」のモテですが。これをさらに拡張して、「“現実”に満たされている人々」というような意味合いにまで拡張されています。

そして、“喪男”こそが宗教、哲学、心理学を生み出し、発展させていったのだと本田透さんは語ります。”現実”に満たされない人々の「なぜ、私は“現実”の中で苦しまなければならないのか?」がそれらを生み出したのだと。

ちなみに本書も哲学の概念を「喪」と「モテ」というキーワードによって全部ズラし、哲学の脱構築を試みているのである。(本書232p脚注より)

「喪」と「モテ」というキーワードにより、宗教、哲学、心理学の歴史を解りやすく、面白く書いてあると思います。時々アニメ用語を入れたりしてね。まぁ、どれだけ入門書として妥当かどうかはわからないのだけど。

2次元と3次元。ヲタクは2次元者ですが。彼らは3次元から「現実逃避」と批判されているわけですが。それこそ「フィギュア萌え族(仮)」なんて言葉でね。しかし、2次 元萌えヲタクたちは、かつての哲学者、2次元を夢想した哲学者たちの末裔であると。イデアとかは2次元の世界じゃないかと。そして、現代は、資本主義が世 界を制している時代。つまり、3次元一元論の世界となっていて。だから、その世界で疎外された人々が2次元に行くのはけっしておかしい事ではないと。

ほんと、本書はこういう場所で、うまくまとめる事が下手な私が紹介するより、いろんな人に読んで欲しい本です。この前の本田透さんのトークショーによると再版も決まったようですし。
なので、いくつか気になった部分をちょっと紹介します。

喪男の『萌えルート』と『鬼畜ルート』の問題。『鬼畜ルート』ってのは、エロゲとかギャルゲにある、相手をどんどん傷つけて不幸にしていくルートへと進んでいくというのが原義なんですが。
二股かけたりね。あるいは直接的に相手に暴力をふるうってルートのあるゲームもあるみたいです。

喪男はルサンチマンから出発しますから、「萌え」によってそのルサンチマンを解消するという方向の精神(=善の心)と、ルサンチマンを他者に押し付けて溜飲を下げようという復讐の精神(=悪の心)の両面を持つのです。我々は二つの精神のうち、善の心=「萌え」だけを三次元に適用し、悪の心=「鬼畜」は二次元に留めておかなければならないのです。(本書312p)

正直に認めますが、私も「萌えの心」とともに「鬼畜の心」も持ってます。暴力衝動、破壊衝動。世界の破滅を望むことから、電車とかでむかつく奴を殴りつけたいというところまで。
「もてない男」として、私をこっぴどく振った女を監禁して嬲りものにしたいとかいう衝動も持ってます。それこそ前に買った沙村広明さんの画集、『人でなしの恋』に描かれた責め絵の世界みたいな感じで。などと思ったら、『喪男の哲学史』の表紙は沙村広明さんで、なんかやっぱり繋がるみたいです。

それは私の2次元、心の中にある「檻の中の獣」です。3次元に解き放つつもりはありません。しかし、その獣がいることを意識して、見張っておかなければ、知らず知らずのうちに3次元に出てきてしまうかと。だから、それを見つめ、たまには“2次元の”餌を与えてなだめたりしてます。

私はそう思ってますし、そう対応しています。この文章を読む方に関してはどうかは解らないのだけど。
ただ、その獣を暴れさせてしまっている方で、「これが正義だ」と嘯いている方もネット上とかで散見されるように思います。それは、その獣を知らず知らずに暴れさせていて、それが“正義心”から出たものと勘違いなさっているのではと思うのですが。

たとえば、“ネット右翼”とかにもそういう人は多いのではないかと。つまり、「国家萌え」ですな。

近代では恋愛が神に代わって個人の自我を保証する装置になったとさんざん書いてきましたが、「神」と「恋愛」の狭間に実はもう一つ、「国家」「民族」という装置も発明されていたのです。(本書200p)

上記のくだりはナチスの勃興についての解説部分ですが。
しかし、現代においても、“自我の安定装置”として、神も持てず、恋愛もできず、キャラ萌えもできず、というような人たちが、「国家萌え&鬼畜ルート」を選んでしまい、それがネット右翼となって、掲示板に他国への中傷書き込みをするようになっていったのではないかと思ってます。

さて、「恋愛資本主義」ですが。


『電波男』よりさらに進んで、ヴェルナー・ゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』などを引きながら、「資本主義そのものが恋愛にまつわる奢侈によって生まれた」と語られています。

そして『恋愛資本主義』大はやりの昨今。本田透さんは最近の脳科学の成果を引いて。

ただし恋愛には寿命があり、いずれは「愛着」という段階に移行します。(中略)この段階では、激しい恋愛感情は終わりを告げ、まったりとした癒しの関係が作られていくわけです。そしてその関係は長続きするのです。こういう関係のまま結婚して暮らしていけば「家族愛」が生まれるわけです。
ところが「恋愛資本主義」は、この「愛着」つまり家族愛というものを軽視します。「消費」のために一生涯にわたって恋愛させ続けないといけないからです。恋愛資本主義とはドーパミン至上主義、快楽至上主義なのです。そこで、「不倫」とか「援助交際」とか「老いらくの恋」とか「熟年離婚」とか「やらハタ」という消費キーワードが続々と発明されます。僕は、ドイツやイタリアをはじめとする恋愛資本主義体制の先進国で出生率がのきなみ低下した原因は(出生率が低下した国は日本だけではありません。したがってオタクの増加が原因ではありません)、恋愛資本主義が人々を「永久恋愛システム」に放り込んで、いつまでも恋愛に駆り立て続けているからだと思います。
恋愛が家族を破壊したのです。
恋愛は必ず醒めるものです。これは生物学的にそう決まっているのです。短い恋愛の炎の後には、倦怠が続きます。
(中略)
それ以前に僕は見た目がブサイクなのでモテません。ええ、愛されませんとも。(本書297~298p)

『恋愛結婚』。「恋愛」と「愛着」は別物。そして、「恋愛」で「結婚」してしまい、「愛着」にシフトしていく事に失敗して、離婚とかするのかもしれない。

落語なんかを聞いてると、大家さんとかご隠居さんから、「そろそろ所帯を持ってはどうかい?」なんて嬶ァを紹介されるなんてシーンがよく出てきますが。そっちの方が結婚としては長続きできる場合が多いのかもしれない。

ま、かつて家事は大変な事で。たとえばご飯ひとつ炊くのにも、井戸で米を研いで、かまどに火をおこして、付きっ切りで見てなきゃいけないもので。だから、結婚してユニットを構成して、家事をしたり、仕事に出たりしなきゃいけないものだったけど。今はご飯を炊くのもスイッチひとつだし。いやいや…。

本書には語りたい事がたくさんあるのですが。
ただ、私はうまくまとめるのが下手ですし、読みやすい本ですし、いい事がたくさん書いてあるし、本書を読んで目からウロコの人もいっぱいいると思うから。
「読んでください」とBUFFメ平伏であります。

ほんと、読んでください。

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