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2007/01/07

秋葉原で回したもの

で、金曜日、PCのメモリを買ったついでにちょっとだけガチャポンを回してみました。
えと、『褌娘』なるシリーズと、『たのしい飼育当番。』というシリーズです。
070107 写真右は『たのしい飼育当番。』シリーズ、小学校の時とか教室の片隅で飼われていた昆虫や魚や小動物のシリーズみたいです。10種類+シークレット1種類の全11種類のランナップ。
あたしが引いたのは「カブトムシ&オオクワガタ」でした。プラスチック製の虫カゴ。串に刺したキュウリ、スイカの皮、そして、木切れにとまったカブトムシ。土の中にはカブトムシの幼虫も表現されています。ちょっとパズルじみたパーツの組み換えで、カブトムシをオオクワガタにチェンジできます。
虫カゴの取っ手が動いたり、レンズになってるフタが開閉できたり、ちょっと凝ってます。スケールの合うフィギュアがあれば虫カゴを手に下げさせたり、ちょっとしたジオラマ仕立てにもできそうです。

んで、写真左は『褌娘』。

褌姿の少女というちょっと訳わかんないシリーズです。いや、ココロのどこかが解ることを拒否しているのかもしれませんが…。
褌は3種類、九尺褌、黒猫褌、割褌。で、褌の色違いがそれぞれ赤・白・黒とあって3種類3色、計9種類のラインナップみたいです。フィギュアのコストのかなりを占める原型&金型は3種類で済んでますから、ずいぶん安く上がってるような気がします。しかしさすがに数ははけないでしょうが。
引いたのは割褌の白ですね。まぁ、いちばんオーソドックスではないかと。

添付のリーフレットはラインナップの紹介のみです。どうせならそれぞれの褌の由来、いつごろ発生したのか、どういう人たちがどういう時に締めてたのかとか、締め方の解説とか、そういう薀蓄が載っていればもっと遊び心が出ると思うのですが。

造型はちょっともっさりした感じがします。あと、色使いはあっさり目で、ハイライトとかシャドウの表現はないのですが、水着の日焼け跡とか表現されています。ピンポイントですな。

写真から解るかどうかはっきりしませんが。羽織ってる半被がちょっと浮いた感じがします。不自然な感じがします。普通、こういうフィギュアの造型のときは、衣装の厚みを考えて、ボディを細くしたり、凹みをつけたりするものなのでしょうが。どうやら“キャストオフ”前提の仕様のようです。

フィギュア関係のサイトはよく見に行きます。ただ、懐具合、そして、飾る場所の問題から、あまり買ったりはしないのですが。
去年あたりからフィギュア関係のサイトで“キャストオフ”という言葉をよく目にするようになりました。ぶっちゃけて言えば、「服を脱がす」って事です。服を脱がして飾られるという事。

フィギュアってのは、パッケージの時は、スカートの色とかが肌に色移りしないように、スカートとボディの間にビニールを挟んでおいたりしてるようです。で、買ってきて飾るときはいったんスカートをはずして、挟んであるビニールを取って、スカートを着け直して飾る、と。

もちろん、そういう仕様にしてしまえば、スカートを外したまま飾る輩が出てくるのは時間の問題で。そういうのがエスカレートして、メーカーも“こそっと”衣装を脱がせられるギミックを仕込んだりして。で、そういうフィギュアが売れたりするようです。

「エロは強し」なんでしょうか。

んで、フィギュア関係の掲示板を探し回ってたら、フィギュアの“ぶっかけ”なる写真掲示板を見つけたりしました。これもぶっちゃけて言うと、オナニーして、フィギュアに精液をぶっ掛けた写真を住人が貼っていくという掲示板です。そういう写真が何枚も貼られていてね、さすがに驚きましたが。でも、そこまでフィギュアに萌えられる人がいるというのもすごいなと思いました。
そして、それは、三時女に裏切られ続けてきた喪男たちの、二次元に解脱しようとする喪男たちの、せいいっぱいの叫びかもしれない。そう思えば彼らの行動にも一定のシンパシーは感じますです。あたしも彼らの境地に達したいとちらと思ったりして。

まぁ、こういう少女ネタのエロフィギュアであります。「少女でエロい」フィギュアもたくさんあるようですが…。

私個人としては、人が心に思うことは自由であるべき、と思ってます。たとえペドでもね。もちろんそれを現実にしてはいけないけど。しかし、ドン・キホーテが出てくる危険性もある程度は理解しています。何度も書いてますが、ドン・キホーテが槍を構えて突っ込んでいったい相手が風車だからお笑いになるのであって、どこかの農夫だったらそれは気違いの通り魔殺人です。そうは理解していますが。しかし、妄想は現実に近いほどその妄想を持つ人にとっては“癒し”になるのではとも理解してますし。難しい事だけど。

岸田秀の『唯幻論』をひきますが。私がどれだけ理解しているかは自信がないけど。
人は本能の壊れた動物である、と。人はてんでばらばらに「私的幻想」を抱え込んでいると。で、人は、その幻想の中でお互いに共有できそうな部分を「共同幻想」として、社会を形成している、と。しかし、「共同幻想」から取りこぼされた「私的幻想」は各人の中に存在し、それがくすぶっている限り、社会は安定しない、と。

で、私論ではありますが、この、「共同幻想」から取りこぼされた「私的幻想」の受け皿が、いわゆる「虚構」ではないかと思っているのです。小説やお芝居、映画、コミックやアニメ、そしてこういうフィギュアも。だから、その、私的幻想の受け皿として、こういうペドフィギュアも“癒し”ではないかと、そう思っています。
しかし、もちろん、その「私的幻想」が個人の中で、特に「社会」(=「共同幻想」)から孤立してしまいがちなタイプの人にとって、暴走してしまう事もあるというのも理解しています。「私的幻想」と「共同幻想」を混同してしまうというか。

ここらへんはどうあるべきか?ほんとうに難しい事だと思っていますが。

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