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2007/01/10

高円人展へ

昨日は人形作家さんの由良瓏砂さんの公演を観に、高円人展へ行ってきました。

高円人展というのは公式サイトによると「高円寺ゆかりのアーティストに作品発表の場を設けるべく、有志により開催したユニークな展示会。」だそうであります。大槻ケンヂが「日本のインド」と書いた高円寺。無力無善寺やペンギンハウスとか、よく行くライブハウスも高円寺に多いです。
その、高円寺テイストの展覧会のようです。

今回、パフォーマンス公演のようでした。瓏砂さんは詩の朗読。あと舞踏というかダンスというか、その方が男性おふたり女性おふたり、歌の女性の方、そして、伴奏に男性の方おふたり、そして、鈴木美紀子さんがいらしたのでびっくり。鈴木美紀子さんのライブ、時々行きます。懐かしくて暖かい歌声が好きです。

伴奏の男性のおひとかたは自作楽器を使っていらっしゃいました。2種類かなぁ。ひとつはよく見えなかったんだけど、もうひとつは弦を回転するドラムで擦ったり、弦を弾いたりして演奏する楽器でした。ドラムで弦を擦って音を出す楽器は、ハーディー・ガーディーとかあるそうですが、そういう仕組みだから、弓で弾く楽器とかと違って、音が途切れずに出ます。面白い音でした。

公演会場は暗くて、暖かすぎるぐらい暖かくて、まるで胎内のような感じでした。

パフォーマンス、楽しみました。

ふと思ったのだけど。『詩の朗読』あるいは『ポエトリー・リーディング』という事。

印刷物にせよ、手書きにせよ、紙に書かれた詩なら全体が見通せる訳です。その、全体から意味が取れると。しかし、朗読なりリーディングなりで語られる詩の場合、それは断片的にしか頭に入ってきません。いや、聴衆は普通きちんと詩の頭から最後まで頭に入ってるものなのでしょうが。私はそうではないです。そこらへん、いつもどうかなぁと思ってて。
もちろん朗読される事によって詩には文字の連なり以外の、朗読者の声という味が加えられるわけですが。

しかしその、詩としての全体の流れとして捉えられるべき言葉が、私には断片としてしか入ってこないのです。“詩”を丸ごと掴めないというか。それがなんだかもどかしいし、ポエトリー・リーディングに対してちょっとだけ忸怩たる思いをする部分です。もちろん、その詩の断片も全体の中のフラクタルな断片であり、その断片を一瞬一瞬受け取る事がまた、全体を視る事になるのかもしれませんが。

う~ん、難しいです。

歌とかだったらあまり忸怩たる、あるいはまどろっこしい思いはしないというのもおかしいですが。

まぁ、そういう事。

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