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2006/12/14

腦病院へまゐります

『腦病院へまゐります』(若合春侑:著 文春文庫)
読了。
1998年、第86回文學界新人賞を受賞した作品、『腦病院へまゐります』と、『カタカナ三十九字の遺書』の2編を収めた短編集であります。

本屋さんで文庫本を見ていて、ふっと本書の背表紙が目に留まりました。なんか気になって。
で、ふと思い出したのが母檸檬さんのある歌、「脳病院へ参ります」というフレーズを思い出して、ああ、それで目が留まったのかと気がついて。それで買いました。

『腦病院へまゐります』は“正字正假名遣ひ文”で書かれた作品です。

両作とも男にないがしろにされる、いいように扱われる、女の話。
『腦病院へまゐります』はカフェの経理係だった人妻。カフェの人手が足りなくて、臨時に店に立った時に、エリートコースを歩む大学生に出会って。そして、肉奴隷にされて。陵辱の限りを尽くされます。
『カタカナ三十九字の遺書』では住み込み女中さん。後に主となる最初の主人の息子に強姦され、肉便器にされて。避妊すらされず、孕めば中絶、ボロボロの体にされてゆき。

本作の世界には、「男女の自由意志による平等な関係」などおくびにも存在しません。
陵辱する男、それを受け入れる女。

人はなぜ自分を虐待する人間、ないがしろにする人間に愛を注げるのか、それは不思議な事であると同時に、ごくありふれた事の感じがする事も事実です。「だめんず」話なんかを見ても。
バタードウーマン、ですか。閉塞的な関係、その関係の中でしか愛を得られない、だから、愛を失うより陵辱を受け入れたほうがいい、そういう意識になるのか。
その関係をいったん捨て去り、自由になって、他所に愛を求める、そういう事ができなくなる。そいういう関係に縛られてしまう。
まぁ、宗教で言えばカルトに取り込まれるようなものなのでしょうか。

う~ん…。

まぁ、ほんと、私はほとんど恋愛経験がないですからよく解りませんが。
その代わり、私は孤独については色々知っていると思うけど。
そして、孤独から解き放ってくれそうな存在に縋りつきたくなる、思わずすがり付いてしまう時もあるけれど。それで迷惑をかけてしまう事があります…。ストーカータイプかも?
だから、そういう関係に固執してしまう気持ちもわかる、かなぁ。
「希望は人間のかかるいちばん重い病気です。」(寺山修司)
「孤独やさみしいなんて口にしてはいけない」(生島治郎『ハードボイルド風に生きてみないか』)

いじめで何よりも陰惨なのは「シカト」ですからね。
そのために、たとえ陵辱でも、自分をないがしろにしている相手でも、受け入れていくのでしょうか?

いや、違うかもしれない。

何時からかおまへさまの存在全部、魂ごと何でも受け入れようとしてゐたんだ。(本書22p)

女性の海容性かなぁ。

ほんと、解らないけど。
いや、解ってるけど認めたくないのかも…。

じゃ、質問を変えましょう。
「お前は“男”としてこういう“女”は欲しいか?」

「欲しくない」とは言い切れません。自分の中のサディスト的衝動をぶつけられる女、あるいは、好きな時に、千摺の右手よりも気軽に好きな時に股を開ける女、そして、そういう自分をそれでも受け入れてくれる女、愛してくれる女。「欲しくない」とは言い切れません。

私にもそういう関係を求めてしまう、昏い衝動はあります。それを否定はしません。
だって、そういう自分のダークサイドって、目を背ければ背けるほど肥大化し、自分を呑みこんでしまう様な事になると思っていますから。ダークサイドに操られていると識らず、ライトサイドと勘違いしてダークサイドの衝動に身を任せてしまう、なんて事があるでしょうから。

ただ、そういう関係を求めることは、「いけないこと」と認識しています。
そして、それをしない事は、人としての最低限の誇りの問題と思ってます。

もちろん、人の理性なんか脆いものでしょうが…。

いや、話がややこしくなったです。
やっぱり恋愛物は、こういったドロドロしたものも含めて、苦手です。

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