« 『結婚のすべて』 | トップページ | 死は隣にあって »

2006/11/27

煌翔での上映会

先週の土曜日は11月最後の土曜日ということで、南阿佐ヶ谷の煌翔でかわなか先生と萩原朔美さんの上映会がありました。6回目です。
あたしはすっかり忘れていて、思い出してあわてて煌翔に予約の電話を入れたのがその前日の金曜日。お恥ずかしい。

上映プログラムは
『映像書簡6』(かわなかのぶひろ&萩原朔美 1995年)
『鬼が笑う』(佐川佳代 2006年)
『旅の繪2』(かわなかのぶひろ 2006年)
でした。

『映像書簡6』。この煌翔での月例上映会はこの映像書簡シリーズを毎月1本づつ順繰りに上映するというのがメインの趣向なのですが。それも回を重ねて6です。

まず、かわなか先生のパート。早送りで昼夜を繰り返す山の風景。それから萩原朔美さんの雲の画につづいて、かわなか先生の花の画。
そして、花つながりから、萩原朔美さんの父親の葬儀の風景。萩原さんの父親は萩原さんが幼いころに両親が離婚して、年に1度くらいしか会う事がなかったとか。
そして、かわなか先生の自死した父親の思い出が描かれ。
ナレーションで語りかけてくる萩原朔美さん、黙して映像だけを提示するかわなか先生。

そして、若手ゲスト作品が佐川佳代さんの『鬼が笑う』。
セルフドキュメンタリーですね。父親を描いています。

3年前、祖母が亡くなり、莫大な遺産を相続できそうだったんだけど、相続を放棄した父。
そこから話が始まって、腎臓を壊し、透析を受けるようになった父親の姿。
暖かく描いていると思います。場内には笑いが溢れていましたから。

遺産。あとでお伺いしたお話しによると億単位だったそうですが。その相続を放棄して。
う~ん、やっぱりそれだけの額のお金をいきなり手に入れると人は狂うものかと思います。そこらへんを恐れたのでしょうか。
まぁ、今時の世の中ならカネの亡者になる事がエコノミカル・コレクトなのでしょうが。『消費する家畜』であるべき現代人にとってもね。ヒルズあたりの連中みたく。
ただ、その気持ち、解るような気もします。まぁ、ほんと、日常のお金にも汲々してみみっちくなってる私としては、解るような解らないような感じですが。
実際にそれだけの遺産を相続放棄するのは勇気がいることかと思います。

お父さん。まぁほんとオヤヂオヤヂしているお父さんですが。カッコイイと思うし。それを受け入れるご家族もそうだと思います。

毎月1本のかわなか先生の新作は『旅の繪2』でした。韓国の学校でかわなか先生の作品上映とレクチャーがあって、その模様を描いた作品でした。ただ、かわなか先生が韓国にいらしたのはほんの数日前の事で、さすがに完成までは漕ぎつけず、荒編集版になったようですが。

韓国は今建設ラッシュで、たくさんのピカピカの高層ビル群が立ち並んでいます。
一方、かわなか先生の目線として、居酒屋や市場の風景もあって。

講義のあとの呑み会、洗面器に入れて供されるマッコルリ(濁酒)。
飛行場の格納庫のような建物の中にある市場街。アメ横みたいな小コマに作られた商店街と屋台村みたいな飲食店街が同居しています。その豊穣さ。
しかし、『旅の繪』シリーズの『時の繪』でのビルマの市場風景もそうですが、屋台の様々な美味いものたち、ほんとおいしそうです。食べてみたいです。

残念だけどこの国、日本はレイジーでプライドだけは高い、他国の悪口を並べ立てるだけでかろうじてプライドを保っていて、この国のためには何もしていない輩が増えてますが。
たぶん、日本は近いうちに韓国に追い抜かれるかと。

そういった現象を憂慮はすれど非難はしません。
米国だって80年代ごろ、そういう現象はあったし。進出してくる日本車のせいで職を失ったデトロイトあたりの自動車工場で働いてた労働者が、腹いせに日本車を叩き壊して溜飲を下げたり。その一方、アメ車の品質低下が問題になっていて。その挙句に起きた痛ましい事故がスペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故で。また、日航機が御巣鷹山に墜落して多数の犠牲者を出したのも、尻もち事故の時にいい加減な修理をしたボーイング社の「モノ作り」能力の低下が原因かと思いますし。

なぜ当時の米国において「モノ作り」能力低下したのか、「レイジーでプライドだけは高い」労働者が増えたのか、そして、今はどうなっているかは判りませんが。
日本における現状においてはこう解釈しています。

戦後、焼け跡となった日本は豊かになろうと必死にみんなで努力してきた、と。で、高度経済成長を遂げて、バブル時代までオーバーシュートしてしまったのだけど。しかし、豊かな暮らし、アメリカ製の映画やテレビドラマに描かれていたような暮らしはほぼ手に入ったのだけど。でも、手に入ったと思ったら、それは存外につまらないもので。また、その代償として、人の心は乾いてしまっていて。しかも、『消費する家畜』として馴致されてきた現代日本人は、逆に言えば「心のよりどころ」でもあった、地縁血縁といった己を縛るものを切り捨ててきて、自我をブクブクに膨らませて、己の欲望を第一に生きることを肯定されて。

“豊かさ”を手に入れるために色々な事を切り捨ててきた事、そしてその代償として手に入った“豊かさ”に。その“豊かさ”に人はむなしさを感じていて。だからレイジーになって。
また一方、ブクブクに膨れ上がった自我がウドの大木みたいな“プライド”となって。
それが今の日本と思います。

たぶん韓国も日本と同じ道を歩むでしょう。いつか手に入れた“豊かさ”に倦み、”豊かさ”への代償に切り捨ててしまったものの痛みにさいなまれるでしょう。
そしてまた新たな新興国がそれに取って代わり、日本や韓国と同じように“豊かさ”への道を突き進むでしょう。

なんかもう、そういったのは人としての“業”だと思っています。
しかし、そう考えると『鬼が笑う』と通底しますな。
まぁ、まだまだこの世はカネの亡者ばかりじゃないと。新しい時代、パラダイムシフトがあるとしたら、そういう方向に行ってほしいと思います。

いや、閑話休題。

煌翔さんにもいつもの通り良くして頂いて、おいしいものを頂きました。
スジとかの煮込みにマッコルリ。
スジの煮込みはモツの煮込みより好物なので嬉しかったです。
マッコルリのビール割りというのも教わりました。美味いです。今度マッコルリが手に入ったら試してみようと思います。

|

« 『結婚のすべて』 | トップページ | 死は隣にあって »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92510/12841665

この記事へのトラックバック一覧です: 煌翔での上映会:

« 『結婚のすべて』 | トップページ | 死は隣にあって »